リレー企画「あなたが愛した負けヒロイン」⑤

早稲田大学負けヒロイン研究会です。古の負けヒロイン列伝……じゃなかった。リレー企画の第五弾を送りさせていただきます。
今回は東雲祐月(@yshinonome42 )さんからご寄稿頂きました!ありがとうございました!愛と情熱がすごい(語彙力)。ぜひご覧ください。きっとあなたも、”彼女”が好きになります。

以下、”文学少女”シリーズについてのネタバレが含まれます。








○はじめに

 はじめまして、東雲祐月と申します。ふだんは小説や同人ノベルゲームのシナリオを書いています。
 基本的に自分は物語畑の人間でして、筋道だった説得力のある論を展開するということがどうにも苦手で(しかも悪文)、それゆえ本稿もひときわとっちらかって読みにくいことこの上ない紹介文になっていることと思います。なにぶん不慣れですので、どうかそこはご容赦・ご笑覧いただいて、もう後戻りできないところまで来てしまったひとりの哀れな人間の書き残した怪文書をお楽しみください。

 さて、本稿ではライトノベル“文学少女”シリーズのヒロインのひとり「琴吹ななせ」という個別の具体例を通して「負けヒロインとは何か」という普遍的な問いに迫ったり迫らなかったりします。いや、ぶっちゃけそんなことは大した問題ではなく、ただ「琴吹ななせ」という在りし日の私の心に癒えない傷をつけたキャラクターの在り方について、皆さんに知ってほしいだけなのかもしれません。彼女の生き様にみんなも傷ついてしまえ。決して癒えることのない傷を負ってしまえ。そんな一抹の呪いを込めて、この文章を書いています。
 や、今までの連載陣の紹介されているヒロインたちがわりかしメジャーどころの「負けヒロイン」さんが多くて、今さら一昔前のラノベ? それも“文学少女”シリーズ? というか「琴吹ななせ」って誰? みたいになるんじゃないかといった恐れや迷いが自分にないかと言えばまぁ大嘘になるんですが、それでも琴吹ななせというヒロインを皆さんに知ってほしい、この子の生き様が私に与えた痛みを皆さんにも追体験してもらいたいという強い気持ち・強い愛でやっていこうと思います。

 なお、本稿では作品の本筋に関する重大なネタバレは極力しないつもりですが、琴吹ななせを紹介するうえでどうしても避けられないネタバレがいくつもあり、また本作の最終的な結末と絡めて彼女を論じる都合上生じてしまう最終的な結末のネタバレもあり、その他随所で細かなネタバレに触れていることだけはあらかじめご了承いただければ幸いです。
 だけど、自分としてはむしろ作品を未読の方にこそ本稿を読んでもらいたい。そうして、作品に触れる際にななせというキャラクターに着目して読んでもらうことで、あなたもかつての私と同じように傷つき、彼女のことを好きになってほしいと切に願っています。心の底から。

○“文学少女”シリーズについて

 高校生の頃、後の自分に計り知れない影響を与えることになるいくつかの作品と出逢いました。そのうちのひとつが、今回紹介する“文学少女”シリーズ(野村美月、ファミ通文庫)です。作者である野村美月さんの代表作と位置づけられるこのシリーズは、イラストを担当する竹岡美穂さんの清廉な絵柄と相まって、第一巻「“文学少女”と死にたがりの道化<ピエロ>」が発売されて15年が経過した今でもなお色あせない輝きを放つ、紛う方なき名作です。漫画や劇場版アニメなど、刊行当時はメディアミックス展開もされていたほどの人気作でした。私はリアルタイム勢ではないためどちらも未履修ですが……
 ちなみに作者の野村美月さんですが、2016年を最後に新作が刊行されていませんでした。しかし、2020年から後続のシリーズとして、なんと“文学少女”より十数年後の物語である「むすぶと本。」シリーズが刊行され、作家活動を再開されました。心から嬉しく思います。良かった、本当に……
(休筆の経緯についてはご本人のnote記事に詳しいので、興味のある方はご覧になると良いと思います)

 私がこの作品に触れたのは高校生だった2014年のことで、刊行をリアルタイムに追っていたわけではありませんでした。出逢った場所は高校の図書室、今にしてみるとそうした偶然の出逢いに胸が熱くなります。というのも、後述するように、図書室という場所は琴吹ななせというキャラクターと深い関わりがある場所だからです。

 さて、琴吹ななせというキャラクターを紹介する前に“文学少女”シリーズについて軽くご紹介する必要がありますね。ここで、本作の内容をごく簡単に説明するために「“文学少女”シリーズ15周年特設サイト」からあらすじを引用したいと思います。

『天野遠子。高校3年生、文芸部部長。
 自称“文学少女”。
 彼女は、物語を愛するあまり食べてしまう妖怪だ。
 水を飲みパンを食べる代わりに、本のページを引きちぎってむしゃむしゃ食べる。
 でも、いちばんの好物は、肉筆で書かれた物語で、強引に文芸部に入部させられた後輩の井上心葉は、毎日彼女に振り回され「おやつ」を書かされる日々を送っていた――。
 魅力的なキャラクターと古今東西の名作文学をモチーフにした野村美月先生の代表作。
 竹岡美穂先生とのゴールデンコンビ誕生の記念すべき作品でもある、ビター&ミステリアス・学園コメディ!』

 ストーリー紹介の初っ端からあまりにも盛大にぶちかましているわけですが、ぜんぶ事実なんだからしょうがない。メインヒロインが本を千切っては食べ、千切っては食べながらクセが強めのメルヘンチック文学食レポをかましていくのが“文学少女”シリーズなのです。ていうかメインヒロインの紹介文なのに妖怪って、いや実際にそうなんだけども、妖怪って……

 このように、本作はタイトルどおり「食べちゃいたいくらい」物語を愛している“文学少女”天野遠子と、それに振り回される語り手であり後輩の井上心葉を中心とした物語です。主人公は心葉くんで、メインヒロインはタイトルどおり遠子先輩。
 ここで最初に明言しておきますが、本作は文学少女・天野遠子と作家・井上心葉の物語です。これを大前提として、本稿は論を展開していきます。論といってもまったく論理的ではありませんが……

 構成としては、基本的には各巻ごとに古今東西の文学作品になぞらえた事件が起き、“文学少女”がその謎を「読み解いて」事件を解決する展開が、主人公である心葉の一人称で描かれます。物語の範型としては、広義の推理小説に含まれるかもしれません。
 ですが、本作の事件は確固たる謎や本格的なトリックというより、蓋を開けてみればごくありふれた人間関係のもつれが原因であることがほとんどです(事件内容がありふれているとは言ってない)。
 ですから、本作における事件はあくまでストーリー上の要請に従って起きるもの、また下敷きとなる古今東西の名作の流れに沿ったものであり、事件そのものに眼目が置かれているわけではないというのが個人的な意見なんですが……。だとしたら主眼はどこにあるのか、それについては後述したいと思います。

 ちなみに、事件の内容は「ビター&ミステリアス」なんかでは済まされないほど激重いことがほとんどです。どれくらい重いのかというと、人間関係が死ぬほどドロドロしているし、出てくるキャラクターの半分以上が言動も内面もヤバいし、だいたいの話で死人が出る。ライトノベル(大嘘)。竹岡美穂さんの透明感溢れる絵柄に惹かれて本作を手に取ると、そのあまりの濃密な人間関係っぷりと読者に癒えない傷を残したいとしか思えないナイフのような展開の数々に情緒がお亡くなりになります。おちゃらけた遠子先輩と彼女に振り回される心葉くんを中心としたラブコメにニヤニヤしていると、その後の展開との落差で感情がぐちゃぐちゃになるのでじゅうぶん注意してください。ちなみに私は久々に読み返して死ぬほど苦しい思いをしました。読者諸賢におかれましても、同じように情緒を破壊されてほしいと心の底から願います。

○琴吹ななせというヒロイン

 さて、ここからようやく本題の負けヒロイン「琴吹ななせ」について、思いの丈を語っていきたい。いかせてください。
 琴吹ななせは心葉のクラスメイトで、ヒロインらしくまっとうに図書委員を務めています。イラストレーターの竹岡美穂さんが描くななせをぜひご覧いただきたいんですが、茶髪っ子です。ちょっと性格キツそうな見た目だけど、どこか繊細な雰囲気がとてもかわいらしい、そんな女の子です。
 公式設定によると美人だけどガードが固く、目つきも口も悪いせいで(本人いわく「ガサツ」で「口のききかたとか知らないから」)何かと周りに誤解されがちで、中学のときに助けられたことがきっかけで想いを寄せている心葉に対してはなかなか素直になれず(ちなみに心葉は助けた相手がななせであることを覚えていませんでした。南無……)ついついキツく当たってしまう、管見ではツン7:デレ3という理想的な比率を体現した、まさに理想のツンデレヒロインです。
 完全に余談ですが、試しに「琴吹ななせ」で検索してみてください、某知恵袋サイトで「琴吹ななせが可愛すぎて、不憫すぎて生きるのがつらいです」という悩みが寄せられているくらいですから。わかります、私もとてもつらいです。ちなみに、こちら十年以上前の投稿なんですね……同志よ、今いずこに……

 とはいえ、こんな通り一遍の説明で片付けられるほど琴吹ななせというキャラクターは甘くありません。ここでは、琴吹ななせの可愛さと不憫さ、そしてその際だった特異さを、具体的事例を紹介しながらなるべく詳らかに解き明かしていきたいと思います。刮目せよ。

○琴吹ななせのここがスゴい!その1
「シンプルに口が悪い」

 どれくらい口が悪いかというと、ツンデレ特有の照れ隠しが過ぎてついつい心葉へのガチ陰口を叩いてしまうくらいです。しかも、最悪なことに本人にがっつり聞かれてしまいます。
「いやいや、陰口つっても『べ、別にアイツのことなんて好きじゃないんだからねっ!』的なやつでしょ? 大げさすぎない?」と思われたそこのあなたのために、以下に当該シーンのななせの一部台詞を引用します。教室で友だちと恋バナをしているシーンですからそのつもりで。

「(友だちに好きな人がいるか聞かれて)好きなやつはいないよ。嫌いなやつならいるけど……」
「井上心葉」

「(友人からの異議を受けて)そこがムカつくの。いっつもわざとらしい薄笑い浮かべててさ。おなかの中でなに考えてんのかわかんなくて、気持ち悪い」

――野村美月『“文学少女”と死にたがりの道化<ピエロ>』より

 ……思ったよりガチなやつ来ました。本当に心葉くんのこと好きなの? と頭を抱えたくなる、いっそ清々しいくらいの悪口です。
 これ、第1巻のほんの序盤のエピソードなんですね。初っ端からぶちかましに来ています。まだななせの初登場シーンから数十ページくらいしか経っていません。好きな人への照れ隠しからの陰口が当の本人に聞かれてしまうとか、ヒロインとして最悪ムーブにも程があります。というか、照れ隠しとはいえ陰口叩くのは人として最悪なんですよね……
 倒錯しているようですが、このシーンを読んで琴吹ななせのことが一気に大好きになったのが私です。頼むからそんな目で見ないで……

 この台詞は、照れ隠しであると同時にななせの本心であるように思えます。というのも、これらの言葉のとおり、心葉はとある過去のトラウマから、波風を立てないように「へらへら」と振る舞っているからです。彼が素の自分を見せるのは、基本的に遠子先輩に対してだけなんですよね……
 今まで人と無用な軋轢を起こさないように当たり障りのない対応をしてきた心葉は、ななせの陰口を偶然教室の外で聞いてしまい心の底からショックを受けます。しかし、なけなしのプライドも手伝って、敢えて教室にずかずか入り込み、あたかも何も聞いてなかったかのようなふりをする白々しい心葉くん。これには談笑していた女子たちもビビってしまい、琴吹さんに至ってはさっきの照れ隠しを聞かれてしまったかもしれないと気が気ではありません(心葉くん的にはこのときのななせの表情が睨んでいるように見えたようです。たぶん実際は泣きそうになっていたんじゃないかと思います)。完全に自業自得です。あーあ……
 さらに、心葉くんに対するその後の琴吹さん流の挨拶も一部ご紹介。

「(数学の予習をしていた心葉に熱いガンを飛ばし、用を聞かれて)別に、井上に用なんかないよ」

「セコイやつ。優等生ぶってヤな感じ」

――野村美月『“文学少女”と飢え渇く幽霊<ゴースト>』より
「(教室の入り口で心葉と鉢合わせして)相変わらず締まりのない顔っ。なんで井上って、誰にでもへらへらしてんの。そこ、どいて」

「(ななせの焼いてきたクッキーに対してうまいこと感想を言えなかった心葉に向かって)井上、そういうやつだもんね。誰にでも愛想良くてニコニコしていて、けど、おなかの中ではなに考えてんのかわかんないの」

――野村美月『“文学少女”と繋がれた愚者<フール>』より

 照れ隠しという名の言葉のナイフ。「コイツはいったいなんなのだ」という念を禁じ得ません。心葉がいったい何をしたというのか?

 だけど、作品を読み進めるうちに不器用な彼女のいじらしさ、またかわいらしさが読者にもはっきり伝わってくるということについては、ほんとうにすばらしいさじ加減のキャラ描写だなあと感嘆せずにはいられません。というよりかわいい。かわいすぎる。思わずななせを応援せずにはいられません。これがギャップ萌えというやつらしい。
 ななせの人となりは、どことなくリアルです。こういう性格キッツいけど根はすごく良い子みたいな感じの子、どのクラスにもひとりくらいいたんじゃないか? それはありえざる青春の幻覚なのか? 僕は果たしてツンデレヒロインのクラスメイトだったという虚偽記憶を心のよりどころとして今の今まで生を歩んできたというのか? 僕はいったい何を言っているのか?
 また、これらの照れ隠し(暴言)は、本心を隠して波風立てずに生きている心葉に対するななせの本気の苛立ちから来ている面もあるのだと思います。ななせが心葉を好きになったとき、心葉は今のようにへらへらしておらず、自分の本心のままに笑って過ごす、とても素直な男の子でした。そんな心葉を好きになったななせにとって、今の心葉は心底「気持ち悪い」存在であるとともに、どうしても気になってしまう存在なのだろうと思います。心葉が今のようなひねくれヘラヘラ系男子になってしまったことについては、作中でも重要な要素である彼のトラウマが関係しています。それについては後述します。

 他にも、1巻では遠子先輩が図書室の本を「ついうっかり」食べてしまった件で心葉に弁償費用を再三請求したり(たぶん心葉とおしゃべりするための口実。かわいい)、1巻で起きる事件の中心人物である後輩の竹田さんの不振な行動をわざわざ心葉にチクったり(これはちょっとした嫉妬かな。かわいい)、2巻では遠子先輩と無茶をして自分だけ骨折して入院したり(ふたりは意外と仲が良い。かわいい)、過去のトラウマからついつい人前で暴言を吐いてしまった心葉を裏でかばったり(健気でかわいい)……
 ――と、シリーズを読み進めるたびにいじらしさとかわいらしさ全開で、好感度ポイントが上がりっぱなしです(ほんとうか?)。シリーズ前半においては、終始出ずっぱりの遠子先輩に較べても出番はけっこう少ないはずなのに、そのヒロイン力はまさに驚異的。さらに、ななせメイン回の4巻を皮切りに、後半になってくると徐々に後景に退くことで不在ゆえの存在感を放つようになる遠子先輩とは対照的にななせの純粋な出番が増えていき、メインヒロインである遠子先輩ともタメを張れるレベルでその存在感をぐんぐん増していくことになります。恐るべし、琴吹ななせ……

 さらに、地味にすごいなと思うのが、これだけ暴言吐いても心葉くんに嫌われてるわけじゃないんですよね、ななせ。まぁ彼女がほんとはとってもいい子なんだということは読者にも心葉にもちゃんと伝わっているということなんだけど、それにしたってどんだけ心が広いのか心葉。まぁ彼は逆に自分が嫌われてると途中まで完全に誤解してしまっているわけだけど。南無……

 ここまで紹介してもなお、ななせのヒロインとしての強度はそこまで高くないように思われます。だって、ひたすら不器用で死ぬほど口が悪いというだけですからね、この子。これでは、ただのありふれたツンデレヒロインでしかありません。

 ……と、思うじゃん? まだ試合は終わってないんですねこれが。

○琴吹ななせのここがスゴい!その2
「ひたすら不憫、ひたすら健気」

 彼女は、ただひたすらに不憫です。1巻では当の心葉に陰口を聞かれてしまいますし、その後も遠子先輩の無茶に付き合ったせいで骨折して入院する羽目になったり、3巻では意図せずして心葉のトラウマを盛大に掘り返してしまったり、それを気に病んで雨のなかずっと心葉の家の前で立って待っていたら風邪を引いて心葉たちと予定していた演劇の本番に立てなかったり、4巻では大切な親友が事件に巻き込まれて悲惨な目に遭ったり、5巻では裏ヒロインとキャットファイトの末階段から転げ落ちて入院したり(二回目)、胸が痛くなるようなやり口で心葉との仲を引き裂かれそうになったり、7巻下巻では危うく強○されかけたり…………
 いや、最後の件に関してはヒロインが受けていい仕打ちじゃないんですよノムさん。知らせを受けて心葉が駆けつけなかったらヒロインとしてほんとに洒落にならなかったんだから……(※東雲は心の中で野村美月先生を密かにノムさんと呼んで敬愛しています。なぜ?)。

 最後の件を含めてもドン引きせずにはいられないほど不憫な彼女ですが、そもそもその結末からして不憫と言わざるを得ないのが「負けヒロイン」という属性の業の深さであり、そういう意味でも琴吹ななせは紛う方なき「負けヒロイン」です。「かわいそうはかわいい」という恐ろしすぎる標語をいつかネットの海で見かけましたが、こういった我々受け手の心性はいったいどこから起因するものなのだろうとたまに考えます。「判官贔屓」などという生やさしい言葉で済ませていいのでしょうか。これが「惻隠の情」ってやつなのかな……うん、たぶん違うと思います。

 それと同時に、ここまで来ればもはや周知の事実だとは思いますが、ななせは「負けヒロイン」として大事なもうひとつの特性である「健気さ」を併せ持っており、彼女の負けヒロイン度にますます磨きがかかります。この章では、健気ポイント高めのななせの台詞を紹介することで、読者の皆さんに行間をお読みいただき「負けヒロイン」しぐさを感じていただくとともに、私の説明の手間を省き(おいおい)、さらには後ほど話題に上がる作品構造を理解する上での補助線となればいいなと思うなど。
 まずは、3巻から。

「(泣きながら)あたし、ヤなやつだ。芥川が苦しんでて、みんな、芥川のこと心配してるのに……別のことが気になってたまらないなんて……」

「い、井上が……遅刻したり、早退したり、昼休みに、急にどっか行っちゃったり……遠子先輩や竹田と、なんかこそこそ話してたり……きっと、芥川のことで、他人に教えたくないことなんだろうなって……予想、ついたし……そのくらい……空気、読めるよ。あたし……いつもは、こんなんじゃないんだよ……うじうじすんの嫌いだし、本当に違うんだよ……で、でも……竹田も、知ってるみたいなのに……。あたし、井上に嫌われてるから……井上は、あたしには、本気でしゃべってくれないから……」

「わかんないなら謝んないでっ。井上のそーゆーところが嫌なの。誰にでも優しくて、愛想がよくて、適当で、イライラするし……哀しくなる。……中学のときは——そんなんじゃなかったのに……。井上、ちゃんと楽しそうに笑ってたのに」

「……あたし」「中学の時、井上に会ったことが、あるの」

「井上はきっと覚えてないよ。けど、あたしにとっては特別なことだった。だからそのあとも、あたしは井上に会いにいったの。何度も何度も、冬の間、ずっと、毎日——」

「あの頃の井上は、いつも楽しそうだった。いつも笑ってて、幸せそうだった。いつも、隣に、あの子がいた」

「いつもいつも井上はあの子と一緒だった。あの子のことばっかり見てて、嬉しそうに笑ってた。けど高校で会ったとき、井上は全然楽しそうじゃなくて、誰とも本気でつきあわなくて、なのに表面はにこにこしていて、楽しいフリをしてたの。だからあたし、悔しくて——。だって、やっと会えたのに、井上は前の井上と違っていたから」

――野村美月『“文学少女”と繋がれた愚者<フール>』より

 ……めちゃくちゃ台詞が長いし溢れる想いがとにかく重い。あまりに重すぎる……
 ここでいう「あの子」というのは、中学生のときに心葉と仲が良く、後に心葉にトラウマを刻みつけた朝倉美羽という裏ヒロインのことです。彼女に心から心酔し、甘々な日常を過ごしていた心葉は、日常的に小説を書いては心葉に見せていた美羽が小説新人賞に応募すると聞き、ほんのサプライズのつもりで自分も美羽との幸せな日常を多分に反映した小説を書き、新人賞に投稿することにします。
 ——そして、結果的に心葉は天才美少女作家「井上ミウ」として華々しいデビューを飾り、美羽は心葉の目の前で屋上から飛び降ります。この出来事が、心葉の心にトラウマとして深く刻みつけられることになりました。

 ななせが好きになった心葉とは、つまり美羽に恋をしていた頃の幸せに満ちあふれていた心葉であり、自分を偽る今の心葉は見ていて哀しくなる存在なのです。

 次に7巻下巻から、上述の強○未遂の際に言い放った一言。

「井上は、あんたの言うことなんかきかない! あ、あたしだって——あんたがなにしたって、絶対に井上と別れないからっ! こんなの全然大したことないっ。あんたになんか、怯えたりしないっ! あたしは、この先もずっと井上と一緒にいるんだから!」

「……この前言ったこと、本当だよ。井上が好き……あたしは、井上の側にいる」

――野村美月『“文学少女”と神に臨む作家<ロマンシエ>下巻』より

 ——あれ? もしかして琴吹ななせって負けてないんじゃない? と思ったそこのあなた——そのとおりです。

 最後に、念願の琴吹ななせメイン回である4巻から、最強の台詞を引用して本章の〆といたします。

「ありがとう……。校章……くれたことも……。ありがとう……ずっとお礼、言いたかった……。ありがとうって言いたかった……井上のこと……ずっと見てた」

「井上は……あたしの、初恋だったんだよ」

――野村美月『“文学少女”と穢名の天使<アンジュ>』より

○琴吹ななせのここがスゴい!その3
「恋が実る「負けヒロイン」」

 3巻までの照れ隠しもとい悪口雑言の数々で心葉くんの心を摑んで話さなかった琴吹ななせですが、4巻『“文学少女”と穢名の天使<アンジュ>』に至ってついに念願のメイン回を張ることになります。
 ……大親友が事件に巻き込まれるという、およそ考え得る限り最悪のシチュエーションで。

 ななせのために奔走する心葉。相変わらず不憫ながらも健気に振る舞うななせと、少しずつ心を通わせていく心葉。ななせの親友の失踪という辛い状況が重苦しくのしかかるなか、ついにななせは心葉に想いを告げます。
 ——そう、ふたりは晴れて恋人同士になるのです。

 ……負けヒロイン愛好家の皆さん、安心してください。心葉と恋人同士になった後も、基本的に琴吹ななせが不憫であることに変わりはないんです。というより「勝って」いるのにぜんぜんそんな感じがしない。もはや勝ってない。心葉の一人称で物語が進行するがゆえに、読者は否が応でもななせの劣勢を突きつけられることになるのです。あの、安心とは……?
 5巻では、さんざん心葉のトラウマの原因として引っ張られていた裏ヒロインの美羽がついに登場し、過去のトラウマの原因となった悪い女の登場にポンコツと化した心葉は、周りの人々との関係性をも壊されかけ、心身ともにボロボロになります。ななせも例に漏れず酷い目に遭いまくりますが、それでも心葉のために美羽にバケツいっぱいの水を浴びせかけ、心葉のために美羽と殴り合いの喧嘩をすることでその健気さを発揮します。いや、本当ですってば。盛ってないよ?
 7巻でも、遠子先輩とななせをそれぞれ二日連続で自宅に連れ込んだ心葉くんのせいで、ななせの方が彼女なのに心葉の家族にめちゃくちゃ戸惑われますし(そりゃそうですよ、土日それぞれで違う女の子を家に連れてくるんですから)、心葉にとある目的を持って近づく人物がななせと心葉の恋路を徹底的に邪魔してきます。で、ついに先述の事態に……
 なんというか、ここまで来ると不憫なのもお家芸というか、通常運転というか……ほんとにかわいそうですね、彼女。

 気を取り直していきましょう。

 最初に4巻を読んだとき、ななせと心葉の関係性がどんどん変化していくのがにわかには信じられませんでした。まだシリーズも折り返しに入ったばかりという中盤のタイミングで主人公への想いを遂げる、明らかにメインヒロインではないヒロイン。ラブコメの文法からしてもまず起こり得ない展開だと思います。いや、前例は探せばいくらでもあるのだろうけど、私自身は寡聞にして知りません。ルート分岐を前提とする作品を除いては、今も昔もジャンルの主流ではもちろんないでしょう。
 琴吹ななせというヒロインの存在は、当時の私にすさまじい衝撃を与えたのです。

 しかし、シリーズ当初からななせを応援していた当時の私は、こうした一種の掟破りの展開に心躍りつつも、心のどこかではきっとわかっていたのだと思います。

 ——琴吹ななせは、“文学少女”天野遠子に負けるのだと。

○物語構造における必然的な帰結として、琴吹ななせは負ける

 どうしてななせは負けるのか。メインヒロインがそもそも遠子先輩だからだとか、タイトルに“文学少女”とついてるからだとか、当たり前の理由だけではもちろんないはずです。お約束の展開から敢えて外れることで、物語の感情曲線を限界まで振り切ってみせるのが本作であり、作家・野村美月だからです。

 ここでヒントになり得るのが、各巻のテーマとなっている古今東西の名作文学です。ここでは、特にシリーズ全体の展開と密接に関わると思われる作品ふたつに絞って取り上げていきたいと思います。4巻『“文学少女”と穢名の天使<アンジュ>』の題材となったガストン・ルルウ『オペラ座の怪人』と、7巻『“文学少女”と神に臨む作家<ロマンシエ>』の題材となったアンドレ・ジッド『狭き門』がそれです。とはいえ、私もこれらの作品を精読したわけでもないので、非常にざっくりとした分析ですが……

「オペラ座の怪人」については、もはや語るまでもないでしょう。密室古典ミステリの名作「黄色い部屋の謎」で知られるガストン・ルルウの代表作で、ご存じのとおり何度も舞台化・映画化されています。日本でも「劇団四季」が上演していますね。

 一方、「狭き門」はフランスの作家アンドレ・ジッドによる小説です。「狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし」(文語訳新訳聖書)というマタイによる福音書の7章13節に由来する題名のこの作品では、愛する男性と神への信仰との間で葛藤するアリサという女性の姿が描かれます。

 本作に話を戻します。
 7巻において、美羽のトラウマから解放されてからもなお小説を書くことを拒む心葉。それに誰よりもショックを受けたのは、誰よりも近くで彼を見守り続けてきた”文学少女”遠子でした。
 最終巻である7巻では、ついにメインヒロイン・遠子の背景に踏み込むことになりますが、それ以上にトラウマから解放された心葉が真の意味で「作家」になる物語としての意味合いが多分に含まれていると言えます。いえ、7巻だけではありません。本シリーズそのものが語り手である心葉の内面に深く深く切り込み、そうして「神に臨む作家<ロマンシエ>」として再生していく軌跡を綴った物語であるのではないかと、改めて思うのです。

 琴吹ななせは、なぜ負けるのか。悪い女やクズ男の胸が苦しくなるような酷い妨害といった外在的な事象は、ことここに至ってはもはや意味を持ちません。
 そこにいるのは、“文学少女”と作家だけです。他の何者も、そこには存在し得ません。
 この構造にこそ、ななせの報われなさが内在しています。

 4巻においては、ファントムとクリスチーヌ、そしてラウルという構図がしばしば引き合いに出されます。
 4巻で、とある人物は天野遠子をファントムに、そして琴吹ななせをラウルに喩えました。ななせは、ファントムには決してなれない。だけどラウルにはなれる、と。
 ここにおけるラウルとは、ざっくりと定義づければ、平凡な、だけども穏やかで幸せな日常の象徴です。そしてファントムは、素晴らしい才能を秘めた、けれども醜い傷跡を仮面で隠し、昼日中では生きられない哀しい存在としての象徴です。
「オペラ座の怪人」では、クリスチーヌはラウルを選びます。ファントムの魔法で歌姫となったクリスチーヌは、それでも最終的には日常の象徴であるラウルの元へと帰っていくのです。

 琴吹ななせは、ひたむきに心葉を想い続けることで彼の支えであり続けました。ななせがいなければ、心葉は過去のトラウマに永遠に苦しんでいたのだと思います。
 もう小説は書けない、書きたくないと苦しむ心葉に、ななせは言います。「書かなくてもいい。ずっと側にいる」と。クリスチーヌが帰るべき穏やかな日常を体現するかのように、琴吹ななせはどこまでも心葉に寄り添い続けます。
 一方、本作におけるファントムもまた、「オペラ座の怪人」の筋書きをなぞるようにクリスチーヌにレッスンを施していました。「おやつ」と称して大量の三題噺を書かせ続け、たとえ嫌がらせでどんなにマズい「おやつ」を渡されたとしても、涙目になりながらすべて咀嚼し、すべてにきちんと感想を述べていた人物。
 天野遠子こそ、まさに本作におけるファントムに他なりません。
 そして、原作と異なり、本作におけるクリスチーヌはファントムを選ぶのです。

 一方、心葉と遠子、そしてななせの関係を「狭き門」になぞらえると、これまた不思議な符号に気づかされます。
 ここにおけるアリサは、心葉にもう一度小説を書いてもらいたいという願いと、いつのまにか芽生えていた心葉への想いとの間で揺れ動き、ひとりで「狭き門」に入ろうとする“文学少女”天野遠子です。ジェロームは、遠子のことをどうしても忘れられずに苦悩する井上心葉。そして、自分と同じくジェロームを想うジュリエットに彼を譲ろうとしたアリサのように、遠子は心葉と彼女のために身を引こうとします。ここにおけるジュリエット、ジェロームへの想いが決して実ることはないジュリエットとは、誰あろう琴吹ななせに他なりません。

 7巻のラストで、心葉は遠子のために小説を書き上げます。しかし、その原稿を読んだ遠子は、これは私が食べていいものではないと言います。
 心葉は、自分だけの作家ではなく、みんなの作家になるべき人だというのです。
 “文学少女”天野遠子は、ひとり「狭き門」をくぐります。
 そして、遠子の望みどおり、心葉は再び「井上ミウ」として「神に臨む作家<ロマンシエ>」に至る道を歩み始めるのです。
 ——そこに、琴吹ななせはいません。
 苦しむ心葉のためを想い「もう小説を書かなくてもいい」と伝えたななせから、心葉は去っていくのですから。

 話はそれだけにとどまりません。
 本作におけるラウルとは、いったい誰か。井上心葉にとって、平凡で、穏やかで、幸せな日常の象徴とは誰のことだったのか。
 そのことは、心葉自身が一番よくわかっているはずでした。わかっていながら、なお気づかないふりをしていました。

 彼が、長い時間を一緒に過ごした人。
 失われて気づいた、かけがえのない日々。
 放課後の文芸部。どのシーンにも、彼女がいたことを心葉は思い出します。

 ——そう。ななせは、心葉にとってのラウルにすらなれませんでした。

 こうして、琴吹ななせは“文学少女”に、物語そのものに敗れ去るのです。

 7巻で、遠子にまつわる事件を“文学少女”に代わって読み解いてみせた心葉は、文芸部での遠子との日々を追憶します。
 そして、ふいに湧き上がる感情。書きたいという感情。
 原稿用紙に向かい小説を書き始める心葉を、ななせはただ近くで見ていることしかできません。
 心葉の想いの向かう方にいるのは、ななせではない誰か。
 心葉にとってファントムであり、同時にラウルでもある人。想い続けるアリサのために、彼は小説を書き続けます。

 そうして小説を書き上げた心葉に、ななせは言い放ちます。
 その小説、破って、と。

 ——その答えを、物語の結末を、私はこれ以上書きたくありません。

○“文学少女”シリーズの魅力

 本作は、あえて断言させてもらうと、ライトノベルならざるライトノベルです。はっきり言ってカテゴリーエラーもいいところで、どう控えめに見積もっても青少年向けとは言いがたい内容です。遠子先輩のキャラ造形や立ち振る舞い、何より野村美月さんの文体からして明らかに少女小説的な作風ではあるのですが、それをはるかに突き抜けた感情のもつれが物語の展開をぐっちゃぐちゃにし、昼ドラ顔負けの人間ドラマがぶち込まれます。これを単に「ビター&ミステリアス」の一言で片付けるのはどう考えても無理筋というものでしょう……
 しかし、ともすれば重大なカテゴリーエラーになりかねないところを、それでも青少年向けのレーベルにおいてラブコメ作品の隠れた名作という位置づけに納まっているのは、ひとえに作者の力量と、何よりキャラの魅力によるところが大きいのでしょう。特に、本稿の主題に挙げた琴吹ななせというヒロインは、いわゆるツンデレという従来の定型化されたヒロインの枠組みに則りつつ、ツンデレヒロインが受ける仕打ちとしてはあまりにもあんまりな目にさんざん遭いながらも、なお一途に心葉を想い続けたという点で本作における一種の清涼剤として作用し、おちゃらけじゃじゃ馬メインヒロインの天野遠子とともに本作をラブコメ作品の域に引き留めることに貢献していたと言うことができます。ぶっちゃけた話、ただツンデレが極まっているだけのごく普通の女の子である琴吹ななせの存在がなければ、ヤバいやつらがヤバい感情をひたすらぶつけ合うドロドロ展開に胸焼けがして最後まで読めなかったかもしれません。高校生の自分、よく最後まで読んだな……

 さて、すでにさんざん紹介してきたことからわかるように、本作の主眼は「感情」だと思います。誰も彼もが強い想いを抱き、それを他人にぶつけ、傷つけ、傷つけられ……そこには、綺麗なだけじゃない人間の姿が執拗に描かれています。
 ですが、そうした作中の人間模様に注がれる視線は、あくまで優しく穏やかです。それは、誰よりも物語を愛する“文学少女”天野遠子の視線に他なりません。もつれにもつれた人間模様を読み解き、周囲の人々に優しく語って聞かせる彼女の姿からは、人間を慈しみ、愛する気持ちがひしひしと伝わってきます。そう、物語と人間は同じものなのだと、“文学少女”は私たちに教えてくれるのです。

 また、物語構造の話に立ち返ると、各巻ごとに下敷きになっている文学作品が、そのまま心葉たちを取り巻く状況や心葉自身の内面にどこまでも重なっていくのが見事です。再読して、そのあまりのダブり具合にめまいがしたほどです。
 1巻では「人間失格」、2巻では「嵐が丘」、3巻では「友情」、4巻では「オペラ座の怪人」、5巻では「銀河鉄道の夜」、外伝的立ち位置の6巻では「夜叉ヶ池」、そして最終巻である7巻上下巻では「狭き門」……
 これらの作品は、各巻を伏流する通奏低音として響き、事件の内容と重なり合い、やがてはシリーズ全体を織りなす網の目を形成していきます。そうして、“文学少女”という作品に込められた想いが、少しずつその輪郭を現してきます。

 それは、一言で表せば「物語讃歌」ではないでしょうか。
 物語は、人と人との網の目が織りなすもの。過去の名作文学でも、本作でも変わるところはありません。
 そこに描かれる人々は、どうしようもなく弱く、そして強い。
 お互いを想い合う人々の、救いようのない感情のもつれ合い。そのさなかに「聖なるもの」がふと立ち現れる瞬間を“文学少女”は確かに読み解き、そうして優しく、慈しむように物語を咀嚼するのでしょう。
 私も、そうした美しい瞬間が、本作に確かな形で立ち現れているのだと信じています。

 すでに述べたように、私がこのシリーズを読んだのは高校生のときであり、それから数年間、一度も再読することはありませんでした。今回琴吹ななせを紹介させていただけることになり、シリーズの主要な巻を久々に再読したところ、驚愕しました。
 あれほど強い衝撃を受け、忘れられない物語として記憶していたはずの本作、その物語の細部の一切が私の記憶から消し去られてしまっていたのです。
 単なる記憶の風化にしては、くっきりと輪郭を残した記憶の欠落。おそらく、あまりに強く衝撃を受けた読書体験だったがゆえに、自己防衛機能が働き作品細部の記憶が封印されていたのかもしれないなどと想像してみたり。

 琴吹ななせの敗北は、それほどまでに私の心を深く傷つけたのです。

 こうして、此度の負けヒロイン紹介に係る本シリーズの再読は、当時の鮮烈な読書体験の追体験であると同時に、かつて傷ついた自分の心を癒やし、その痛みから決別するという意味をも付与されることとなりました。そうしたすべての感情が、本稿における琴吹ななせという「負けヒロイン」の紹介に込められています。
 改めて、このような救いようのない怪文書を寄稿するなどという奇行を快くお許しくださり、またとない機会を与えてくださった早稲田大学負けヒロイン研究会様に厚くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

○さいごに

 改めて、琴吹ななせというヒロインについて。

 今まで紹介してきたように、彼女は決して完璧な女の子ではありません。目つきも口も死ぬほど悪いし、がさつだし(本人談)、なかなか素直になれないし、やることなすこと裏目に出まくるし、さんざん酷い目に遭うし、強がるわりにすぐ泣きそうになります。

 だけど、どんなときでも自分の想いを決して曲げない彼女の在り方は、確かに心葉の励みとなり、前に進む勇気を与えました。弱虫で泣き虫、ついでに口のききかたを知らないけれど、ひたむきで、まっすぐで、胸に秘めた想いは誰にも負けない。琴吹ななせは弱いけど、強い。
 そんな彼女が、最高のヒロインであることに疑念の余地はありません。

 ——「負けヒロイン」とは何か? 小難しい定義を付与する必要などなく、ただ「三角関係ないし多角関係において、想いを遂げることができなかったヒロイン」のことであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
 受け手に突きつけられる倫理的な問題を包含するこの概念を用いて、我々がキャラクターをまなざすことにはある種の暴力性が内在していると言えるのではないか? わかりません。ただ、想い破れた彼女たちに対して我々受け手はあまりに無力であり、物語外部からの「救済」などという余地は到底介在し得ません。破れた想いは彼女たち自身が受け止め、自身の足で前に進むしかないのです。

 私たちが負けヒロインを想う感情には、しかし、単なる憐憫以上の何ものかが秘められているのではないでしょうか。我々読者は本当に、無力なまま物語を享受するだけの存在でしかないのでしょうか。

 “文学少女”天野遠子は、4巻のラスト付近で「オペラ座の怪人」の登場人物・ファントムについてこう語ります。

「物語を読み終えたとき、多くの人たちは、ファントムの哀しみに胸を打たれ、彼が歩んできた道がどんなものであったのか、物語の中に残された手がかりを頼りに、考えずにいられない。そして、どんな形であれ、彼が救われるよう願ってしまうのよ。物語を読み終えたとき、ファントムは、現実に存在していた人間のように感じられるわ。
 クリスチーヌは、ファントムを選ばない。
 だけど、読者はファントムを忘れない。
 ファントムの嘆きを、ファントムの生を、ファントムの愛を、忘れないわ。
 仮面を取り払った醜いファントムをこそ、愛するわ」

――野村美月『“文学少女”と穢名の天使<アンジュ>』より

 そう。
 私たちはどんな形であれ、彼女たちが救われるよう願ってしまう。物語を読み終えたとき、彼女たちは、現実に存在していた人間のように感じられる。
 ——我々読者は、そうして彼女たちを好きになる。
 これが、負けヒロインへの想いに対する、本作から導かれる答えのひとつの形なのだと思います。

 ——井上心葉は、琴吹ななせを選ばない。
 だけど、私はななせを忘れない。
 ななせの涙を、ななせの笑顔を、ななせの恋を、忘れない。
 照れ隠しについついキツく当たってしまう等身大の琴吹ななせをこそ、これからも好きでいる。

 最後に、作中を通してななせの一番の味方であり続けた人物の台詞を、シリーズのなかで私が一番好きな巻『“文学少女”と穢名の天使<アンジュ>』から再び引用し、本稿の結びとさせていただきます。

 ——ななせは可愛い。本当に可愛い。世界でいっっっちばん可愛い。

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