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花を買いに行く。キャリアデザイン講義のご褒美に。


花を買いに。

自分のために花を買うのは本当に嬉しい。
音楽大学の後輩のために60分のキャリアデザイン講義の動画を撮る、という偉業を成し遂げた(笑)頑張った自分へのご褒美に、花を買うことにした。
よく晴れた土曜日の午後、夫と、車ではなく歩いて出かけるのは嬉しい。

もちろん、薔薇。
どんな色にしようかと一つ一つ薔薇を覗き込みながら、ああ、後輩たちが喜んでくれるといいなぁと思う。
仕事は、お金のためではない。
誰かに喜んでもらうためにするものだ。
少なくとも、私にとっての仕事はそうだ。そうあるべきだ。

今回の場合、その「誰か」は、私の母校である武蔵野音楽大学の2年次生250名。
本来なら、音大のいくつかあるホールのどれかでの講義となる予定だったが、動画を送ることになった。
つまり、講義予定日よりもかなり早く制作を始めて、前の週には納品しなくてはならないってことがわかり、突然めちゃめちゃハードルが高くなった。
10月は本番が他に6件あって、その全てが動画収録を伴い、編集して受講生に送るものだ。うち1件は門下生の音楽会だから、うちの編集スタッフは猫の手も借りたい忙しさなのだ。

が、ここで怯む(ひるむ)わけにはいかない。
攻めの姿勢で全うするのが私のやり方だ。


コロナ禍での大学の授業

コロナ禍で、全ての授業がオンラインや動画になって、音楽大学では一般の大学よりもそのダメージが大きい。
楽器のレッスンというものがあるからだ(実習を伴うものはどの大学も大変だと思う)。
もちろん、リモートでもある程度はできるし、この春はピアノの先生方にリモートレッスンの勧めを3月から6回シリーズで書きまくってきた。
これは、その第1回。



フリーの先生方が仕事を失わないためにできることを、少しでも伝えたかったから、書かずにいられなかった。

だが、音数も少なく曲が短い子供のレッスンと違って、音大の専科で扱う楽曲のオンラインレッスンはかなり厳しい。
空気を震わせて届く「音」を扱う繊細な勉強なのに、空気の振動はおろか、音情報の一部が欠落した状態でのリモートでは、教える側と教わる側双方にストレスがかかる。

演奏のない講義だけの授業でも、映像で伝える1コマ分の先生方の苦労は通常の何倍にもなるはずだ。

私は、ゲスト講師だから1回きりだけれど、毎週何コマも講義を持つ先生方や事務方の忙しさはいかばかりかと思う。在学中の彼らの音楽の勉強が少しでも順調に進むことを祈るばかりだ。


そんな中で呼んでいただけたのだから、卒業生としてはいつも以上のことをしたくなる。
ゲスト講師ならではの60分スペシャル番組を作ろうじゃあないの! と思ってしまったのだ。
「攻めの姿勢」の理由は明らかだ。
仕方なく作るのでは大変過ぎる。
喜んで作るのだ。


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私は何をしてきたのか、これまでの仕事が整理できた


就職課から、話の内容のリクエストが届いた。就職をしたことがない私が、「キャリアデザイン」について話すのだから、指標をいただけたのは有難い。

現在の職業、仕事の内容。学生時代の生活。大学で学んで役立ったこと。卒業後、現在の仕事に至った経緯。もっと勉強しておくべきだったこと。社会人として必要と思われること等。

そこで、6つのテーマに沿って何を伝えたいかを書き出し、1テーマ10分を念頭にバランスをとることに決めた。仕事の内容は、これまでのコンサート、セミナーなどからわかりやすい映像をピックアップしてキャプションをつけることにした。
作曲作品や書籍は自分のwebからピックアップ、子供向けピアノ教本『ピアノランド』シリーズが大ヒットして今も作り続けていること、愛好家やピアニストのためのピアノ曲集を沢山書いていること、セミナーやコンサートを企画主催出演していること等を「なぜ、そうしたかったのか」を交えて話していった。

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声で伝えることと、文字で要約して伝えることを同時に盛り込んだので、短時間に受け取る情報量が多い動画になった。おそらく日常でも多くの動画を見ている彼らには、ながら勉強したくなるのんびりしたものは見せたくない。「え、ちょっと待って!」と止めて確認したり、二度三度と見直したくなる内容でないと心に残らないと思った。私のテンポ感と彼らのテンポ感がフィットすればいいけれど。


撮影した後に 気づいたこと

講義の内容ではなく、編集が終わってから気がついたことをあれこれ書こうと思う。

私は、小学生の頃から作曲していて(最初についた先生のソルフェージュ教育のおかげで、頭に浮かぶ音楽は書くことができた。物語が浮かんでも文字が書けなければ記録できないわけだから、これはとても助かった)、作曲は誰にも学びたくなかったから大好きなピアノを専攻することにした。

学生生活についてはピアノ専攻なのに一人作曲に励んでいるのは、私にとっては当たり前だったけれど、特殊だったかもしれない。

大学で学んで役に立ったことはもう山のようにあって、時代の変遷、楽器の発達と作品の関連や、多くの作曲家の語法をピアノ作品から学べたこと等。

もっと勉強すればよかったのは、他の楽器とのアンサンブル。語学。自分が求めていなかったために、機会を逸したことが悔やまれる。環境はあったのに!

どちらも、作曲するという視点からの「勉強してよかったこと、勉強すればよかったこと」になっている。ピアノのテクニックは、作曲家が求めたものを表現するために必要なことだから、当然のように興味を持って勉強したけれど、それも、ピアノ科のそれとは異なる視点からだ。

上手に弾くためのテクニックというよりは、作曲者のイメージを実現するためのテクニック。そして、それを体系づけていくことに興味があった。芸術的な欲求と身体の使い方との関係を考えながら、自分なりに分類していくという見方。しかも、学びやすさと教えやすさとを加味して。

のちにピアノ教本を書くにあたって、こういう視点、ものの見方がよかったのかもしれないと思った。私の研究的な態度は、健康のために19歳で始めたクラシックバレエの影響が大きい。幼児の頃からトゥシューズを履いていた人には、大人になってバレエを始める人の戸惑いはわからない。どうやってピアノが弾けるようになったのか覚えていない私は、バレエのレッスンでその視点を得た。

起立性低血圧で合唱の時間に倒れてしまうので、「立つ」ことから練習しようと始めた健康のためのバレエがこんなに役に立つなんて、人生何がプラスになるのかわからない。


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ピアノは、弾くことから教えちゃいけない。
(もちろん、それでちゃんとできる子もたくさんいるけれど、)
弾くだけになってしまうことがある。

音楽を先に教えてから、その後で演奏できるようになればいい。
音楽を楽しい、美しい、好き、こんな風に表現したい……が先にあってから指を動かさないと、心が動かないまま指だけを訓練することになる。

このことが“二段階導入法”という、私のピアノ教育の根幹になっている。
そうか、私の生き方や考え方が演奏家志向ではなかったのがよかったのかもしれない。

そんなことに気づいた動画撮影だった。


学生に、正直に話したこと


私が今音大生だったとして、30年以上仕事をしているバリバリの先輩が来て話をしてくれても、それは単に別世界の出来事のように感じるのではないか。この人は、特別に恵まれていて(才能や家庭や財産や人脈など)、自分とは縁のない、特別な人だと思うのではないか。

なぜなら、音大生だった私は、この先どうやったら音楽で生きていけるのか全くわからず、自分の人生を誰も保証してくれない(当たり前ですが)心細さと不安にさいなまされていた。サラリーマンの娘で、熊本の実家から通えるところへの就職を望まれていて、貯金もない。

戻らないで一人で生きていけるのか。
でも、就職はしないで音楽家になると決めている。

そんな学生時代の私に見せたい動画にするには、その不安を正直に伝えなくちゃね……と、最後に19、20歳のころの自分の心をさらけ出した。

何かしたいのに何をすればいいのかわからないもどかしさは、濃い霧の中にいるようだった。
いい演奏会を見れば見るほど自分との埋めがたい差に苦しんだ日々。
「こんな曲、私に書けない」「こんなに素晴らしく演奏できない」と、いいものを見れば見るほど落ち込んでいった。
今思えば、修行中の身で一流の人と比べて落ち込んだことも褒めてあげたいくらいだが、吹けば飛ぶような頼りない存在だったことだけは確かだ。

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でも、投げ出さなかった。
好きだったんだと思う。音楽が。ピアノが。作曲が。

卒業してジャズ理論・編曲を6年間学んだことや、レコード会社に持ち込んだ話、競作に負けた話、音大からの紹介で先輩に仕事をいただいたところから少しずつ道が拓けた話……。

請求書の書き方を覚えようね!  とか、決定権のある人と交渉しないと何も決まらないよ、とか、身を以て学んだことも散りばめながら、音楽を学ぶ学生さんたちに「就職をしないで仕事を作った人の例」として60分、全力を尽くした。編集も、扉をいれたり、音楽をかぶせたり、スクロールしたり、時間をかけた。


バラの花を買う


だから、編集が終わったら、スタッフも私もボロボロになって(笑)。
スタッフには、地元で一番美味しいシュークリームを二つ買った。
自分のためには、薔薇を買う。(シュークリームも 笑)


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花の写真は私が撮った。
私を撮ったのは、今回も夫。


コロナ禍の中、就職難は益々酷くなっている。学生さんたちはあの頃の私よりももっと不安だろう。今は不安でも、何とかする方法を考えよう、と思えたらいいな。そのヒントがちょっとでもあれば嬉しい。

そして、先輩を頼っていいんだよ、と言いたい。色んな人にお世話になって何とか仕事が回るようになって神様に感謝している人は皆、後から来る人にやさしいはずだ。「厳しさ」という「やさしさ」もあることも含めて、少なくとも、後輩を騙す人は滅多にいないと思う。

利用したまえ、先輩を!
そして、自分を大切にしてね。

あ、もう、講義が配信になったころだ。ドキドキだ〜。
プロへの講義では緊張しないのというのに。




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