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やり方はスケープゴート②

ある時、いつものように電話応対をしたので、メモをし、帰社した支店長に伝えました。すると「いちいち言わなくって、おいとけばわかる‼️」と怒鳴られたのです。それ以降、口頭で伝えるのは辞めました。
ところが、ある一本の電話…それだけは、特別な存在だったそうで、伝えなければならないお客様だったようなのです。そんな事、入社して半年の社員にはわかりません。

そこから標的は私に変わりました。

電話に出るな
接客するな
他の人が忙しくしていても、コピー一枚、私に頼むこともなくなりました。
私は一日中、カタログを見て無言で過ごすのみの日々を過ごす事になったのです。

3週間ほどは黙って従い、それからはちょっと足掻きました。けれど、何も変わりませんでした。
そして、ろくに挨拶もされなくなっていったのです。

これではいけない

支店長に話し合う時間をもらいました。彼の言い分は「電話を伝えなくていいと言ったから伝えないとか、すぐ人のせいにばかりしている。仕事ができないのは、俺のせいじゃない、自分のせいだ」

正直、何を言っているのか?と思いましたが、そこは折れて謝罪しました。
「そんなに仕事が欲しけりゃやってみろ」
そう言い放った支店長は、次から次へと、仕事を振ってくるようになったのです。その量はとても言葉に表せません。何か仕事が本社や顧客から来れば、全て回ってくるので、仕事が終わらないうちに仕事ばかりが溜まっていきました。

中には新商品のPRというものもありました。しかし、取扱説明書もなければ、本社の詳しい人には、「忙しいから」聞くなとのこと。仕方なく、インターネットで探し、触って見て使い方を模索しました。
新商品の中にはアプリもありました。それも誰も使い方は教えてくれません。「新しいアイデアで使い方を開発しろ」と、基本も教えてくれず無理難題をふっかけられました。
iPadは2台あり、1台しかWi-Fiが通じてないことも教えてくれず、顧客のところへ行ったはいいが、Wi-Fi無しの方を持っていき、冷や汗をかいたことも。その時は、自分のスマホとデザリングしてなんとか乗り越えましたが、もちろん、その料金は、支払ってもらえません。

その頃。既に私は病み始めていました。電車通勤の私は、人身事故があるたびに
「今日も私が死んだ」
「今日は私が2人死んだ」とかぞえるようになっていたのです。

ひと月ほど経ち、そのアプリをお客様にお披露目する機会を持とうという事になりました。
私なりに準備をし、アプリは支店内で1番わかるようになっていました。毎日、20時までアプリに食いつくように触って、お客様からどんな質問が来ようとも、大丈夫となるように、PowerPointも覚えて、その日に備えました。

でも。知らなかったのです。

そのお披露目会をする前に支店長の前で、「予行演習」を「しなければならない」というルールを。
支店長は、相変わらず、ずっと忙しく出たり入ったりしていました。私に声をかけることはなく、例の如く電話の要件は伝えても「後でいい」と言い捨てられることも多く、デスクに座っていることはほとんどありません。座っていると思えば、電話しているという有様。一度は見てくださいとお願いをと考えてはいましたが、声をかけられる状態ではありませんでした。

そして、お披露目会前々日、18時終業過ぎ。

外から帰ってきた支店長は、
「なぜ予行演習をしない⁉️」と怒鳴り出したのです。今日は何度も事務所に帰ってきていたので、声をかける事ができたというのが、彼の言い分です。そして、
「今回、成功したとしても、俺は認めないからな‼️」と言い捨てて帰っていきました。

そして、やっぱり
「今日も私が死んだ」と思いつつ電車に乗って、
これ、『希死念慮』じゃないかしら?とふと思ったのです。

翌日は土曜日。公休だった私は、土曜日でも初診を受け付けてくれる精神科を探し、飛び込みで受診しました。
普通の受け付けさえ、あたたかい会話に思えたこと。そして長い待ち時間と心理テストを受けて、さらに待ちました。
その間に、小さなその病院のパンフレットを読んでいるうちに、涙が溢れて止まらなくなりました。たわいない言葉です。なのに、涙が出て止まりませんでした。
先生にお会いしても涙は止まりません。私は、「すいません」と何度も言ったのを覚えています。先生はティッシュを差し出して優しい穏やかな声をかけてくれました。そして
「あなたは、中期の鬱です」とはっきりおっしゃいました。そして「明日からお仕事、お休みしましょう」と。
明日はお披露目会の日。説明する私がメインです。事情を話し、「明後日から休みます」という私に先生は
「いけません。ならば今日からお休みです。診断書を書きますから、絶対に仕事に行ってはいけませんよ」と優しくも強くきっぱり言われました。

私の中に、頑張ってきた事が無になる怖さや虚しさ、もうビクビクしなくていいのか?といういろんな気持ちが湧いてきていました。あまりにたくさんの気持ちで収集がつかず、無になったような感じになっていきました。

薬をもらって家に帰り、会社のメールアドレスに診断書を写メして、今日から会社に行かない旨と、診断書は本社総務に直接送る事を書いてメールしました。

労りの言葉も、困ったとか、そんな言葉も何もありませんでした。そうして、約一年、休暇を取る事になったのです。

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