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脱会のステップ【第3章②マインドコントロールの手法】

宗教を辞めたいと思っているものの、様々な理由で勇気がでない、行動できないという方に向けたシリーズ記事。

私自身のエホバの証人というキリスト教系の宗教団体での経験を基に書いております。

さて、本日ですが、
この脱会できない問題の核心部分であり、私自身にとってもここをいかにして突破できるかが最重要だと考えている部分であり、ぜひ興味を持たれた方はじっくりと読んでいただきたいと思います。

※本日の記事は少々長くなると思います。前もってお断りしておきます。


「宗教2世」問題の難しさ


元旧統一教会信者による安倍元首相銃撃事件を皮切りに、「宗教2世」の問題が社会的な問題として大きく取り上げられるようになりました。

元信者の方が勇気を出してテレビに出演したり、記者会見を開いたりして、その教団の実態を明らかにし、ようやく国が宗教的な虐待の対策の必要性を意識し始めたところがあります。

また、宗教2世を支援する団体の活躍もあり、少しずつですが、この問題の重大性が伝わってきているように思います。

しかし、こうした懸命な活動の一方で、当の宗教団体の方は「どこ吹く風」といった対応であるようにも思われてなりません。(特にエホバの証人はこの傾向が強い)

教団が決まって言うのは、
信者個々人の決定したことであり、組織はそれを強制していない

という「自己責任論」です。

(これだけ脱会しにくい仕組みが整っているのですが、)「辞めようと思えば、いつでも教団を脱会することはできる。」と主張し、その上で「それぞれが聖書の原則に従って決定しているのであって、教団が何か特定のことを強要することはない。」
という回答を繰り返しており、今後もこれを繰り返し続けることでしょう。

よって、おそらく教団側からの謝罪を求めたり、なんらかの賠償を請求すること
もなかなか厳しいというのが現状です。


これら一連の問題で、私が最も危険かつ重大であると考えているのが、
マインドコントロールによる支配があった。
ということです。


このようにいうと、もちろん教団側としては
マインドコントロールなどはしていない
と主張すると思います。

しかし、その教団の想定しているマインドコントロールとは、
暴力や罵倒によって特定の主義主張を教え込む
といったイメージの内容であるように思います。

確かに、そうした意味では教団はマインドコントロールを行っていないと思います。

しかし、私が思うにはそれはマインドコントロールではないと思います。
なぜなら、それは単なる支配であり、歴史上繰り返されてきた強者が弱者を支配する形態となんら変わりないからです。


マインドコントロールとは、
コントロールする側が望んでいる行動を
コントロールされる側に教え込み、
コントロールされる側はそれを「自分の意思で」行っていると思い込むこと
です。


このマインドコントロールが成立すれば、どんなことが起こるか想像に難くありません。

・信者は(教え込まれた教義を)「自分の意思だと思って」行う
・何か問題が生じても、教団は信者がそれぞれの決定において行ったことであり、それを強要していない
と説明できる。


はい。

まさに、現在起きている「宗教2世」問題そのまんまということなのです。


しかし、本当にマインドコントロールなどできるのでしょうか。

実は、驚くほど簡単に人はコントロールされてしまうということが、様々な研究や調査によってわかってきています。

その手法について、いくつかを紹介します。


マスメディアの利用


人類の歴史上、最初に登場したマスメディアは新聞などの印刷物でした。

ルターやカルヴァンといった人々によって始まった宗教改革が成功した裏には、グーテンベルグが活版印刷術を発明したことが大きく関わっているともよく言われます。
しかし、これには弱点が存在しました。それは文字を読むことができる人にしか情報を届けることができないという点です。
当時、文字の読み書きができなかった相当数の人々はその情報を自分で取得することができなかったのです。

やがて、時代が進みラジオが発明されます。
ラジオは耳で情報を仕入れるため、文字の読めなかった人にも情報が行き渡るようになりました。
こうしてはるかに多くの人に一度に情報を届けることができるようになりました。

これを非常に有効に活用したのがナチス・ドイツだと言われています。

彼らは繰り返し、繰り返し、自分たちの主義や思想をラジオを通して、語ったそうです。
こうして教えを繰り返し聞き続けるうちに、それが人々の価値観として定着していきます

その結果がどうなったかはここで書く必要はないでしょう。

さて、
このマスメディアですが、
多くの宗教団体もこのマスメディアを持っています。
エホバの証人もjw broadcastingというインターネットテレビ局を持っており、
文字の読めない人々にも自分たちの教えが伝わるようにしています。


もちろん、動機自体は悪いものではないと思います。
素晴らしい神について、多くの人に知ってもらいたいといった思いが、そうさせるのでしょう。
しかし、私たちとしては、その仕組みというかメカニズム自体は意識的であるべきだと思います。



ストーリーの影響力


情報をマスメディアによって繰り返し伝えることだけではなく、それをどのように伝えるかという点も、受け手を支配するために重要なことです。
そこで目指されるのは、「いかに情報を印象付けるか」であり、そのためにしばしば用いられるのが「ストーリー」の力です。

たとえば、戦争の悲惨さをただそのままストレートに伝えてたとしても、残念ながら人々の心にはなかなか響きません。
しかし、物語を作って、主人公の愛する人が戦争によって命を落としてしまうという結末で話を終えたらどうでしょうか。
人々の心には、「戦争はダメだ。こんな悲しいことがあってはいけない」と自然と思うはずです。

宗教に所属していなくても、私たちの多くが日々、こうした「ストーリーの力」によってコントロールされています。


たとえば、一昔前、少年マンガの主人公の男の子は
・スポーツができるが、勉強はできない
・一人称が俺
というタイプが非常に多かったのだそうです。

こうした設定が結果として、
勉強ができなくても、スポーツができる男子がクラスで人気者になる
といった現象を生みました。
反対に、
勉強はできるが、運動はまるでダメという男子は「ガリ勉君」として揶揄される傾向にありました。(あくまで傾向の話です。)


それだけ「ストーリーの持つ力」は、私たちの意思決定や価値観に無意識レベルで影響を与えています。


それを踏まえて、宗教の話に戻りましょう。

さて、先ほどエホバの証人はjw broadcastingというオンラインテレビ局を持っていると話しました。
すでに教団を離れた方はご存知ないかもしれませんが、
今教団が最も力を入れているのは、こうしたオンライン配信で使う映像の撮影です。

なんでも、アメリカやオーストラリアに大きな土地を購入し、ビデオ撮影のためのロケ地を建設しているということです。(もちろん、信者の寄付から資金は出ているでしょう)

そして、このnoteを見ている若干の現役信者の方はご存知でしょうが、毎年教団は異常なほどの熱意を込めて長編映画を作成しています。

ここまで読んでくださった皆様であれば、
教団の真意はさておき、これにどのような効果があるかはお分かりだと思います。


これは無意識レベルでの価値観の刷り込みが徹底的に行われているということに他なりません。

そして、さらに厳しいなと感じるのが、「子供向けのアニメーション映像」です。

宗教2世、3世の子どもたちは、教団の価値観が存分に反映されたアニメ映像を見て育っていきます。

自分の意思とは一体何なのだろうか、と思わずにはいられません。


彼らは何を見るかすらも選択できない状況の中で、
それを客観的、批判的に考慮する力を持たせないまま、
望ましい行動をするようにいわばプログラミングされているのです。


「子どもであっても自由に宗教に参加するしないを選択できる」などと言っていますが、こうした環境で育った子どもが”自由に選択できる”と本当に思っているのでしょうか。

とは言うものの、
親として「望ましいと思う価値観を子どものためを思って教え込む」ということが虐待に当たるか、といわれると難しい部分があります。

しかし、
・他の選択肢(生き方)も存在するし、それを選択したとしても私は一人の子どもとしてあなたを愛する
・この生き方と異なる道を選んだとしても、親としてできるサポートを続けていく
といった子どもの自立を支えるような態度を取ることはあってもいいと思うのです。
そうした親としての立場を取るのが”理想論”だと言われればそれまでですが、せめてそうした姿を目指して欲しいなという思いはありますし、
私自身が将来親になる機会に恵まれるのであれば、そうありたいと思うものです。

価値の内在化


さて、
このようにして、私たちが繰り返し教えられたことや、ストーリーなどを通して印象にづけられた特定の価値観や行動は、「自分の意思で」行っているように感じ始めます。

ここで興味深いのは、ある人たちにとっては
もはや「教団に強要されているようにすら感じない。」と言う点です。

価値観が形成されているので、
たとえ進んでそうすることが難しい行動であったとしても、
ついには自分の行動が教団の価値観に沿ったものであるかどうかを自分で監視し、律していくという状況が誕生します。

自分が自分自身を監視する
少しわかりにくい言い方ですが、

エホバの証人にいた方であればピンときたと思います。

「自問、自己吟味」です。

組織から発行・発表される「ものみの塔」の研究記事や、ビデオ放送で頻繁にこの「自問」という言葉が出てきます。

こうすることにより、組織があれこれと指示を出さなくても、信者は自分自身の手で自分を管理するようになっていきます

もちろん、その基準は教団の設定したものですが、信者はそれを自分の価値観と思い込んでいます。
結果として、自分の意思で、自分が進んでそうしているようにすら思えるという状況が生まれます。

私は、これがマインドコントロールの完成形であり、最も恐ろしい問題点であると感じています。
なぜなら、
人格という深いレベルにまで深刻な影響を与え、たとえ脱会したとしてもその後の人生を壊滅させかねないほどの後遺症をもたらすからです。

すでに脱会して数年、数十年が経過している元信者の方でも、
未だに生きづらさを抱えている方が多いのがその証左です。

その方々のブログを読んでいると、非常に多くの方が
・自分は本当のところ、何を望み、何が嫌で、どのように生きていきたいのかが分からない。
・自分自身の気持ちが分からない

という胸中を明かしています。

これは、いかに教団によって形成された「わたし」がこれまでの人生で幅を利かせてきたかがよく分かる例でしょう。



しかし、非常に残念なことに、
これまで説明してきたようなメカニズムを法的、客観的証拠に基づいて示すことはかなり困難だと言えます。
このnoteの最初に、政府が宗教にメスを入れたり、司法が介入することが難しいと申し上げたのはまさにこの点においてです。


ゆえに悲しいことですが、
現在のところ、当事者一人一人が自分を取り戻して生きていけるようになる、
というのが一番の解決策であり、
そのためにも、自分の身に何が起こっていたのかを知ることがとても重要だと思っています。

そのためにもし私の書いたnoteや紹介したブログなどがお役に立てるのであれば、望外の喜びです。


そこに「神」が関わることの責任


やはり長くなってしまいましたが、最後に次の点に触れて終えたいと思います。

ここまでの内容を読んできて、こう感じた方もいると思います。

別に宗教ではなくても、こうした「マインドコントロール」的なことはあるのではないか。


おっしゃる通りだと思います。

・学校の強化指定クラブでのいき過ぎた指導
・「マルチ商法」と呼ばれるネットワークビジネスの構造
・いわゆる「毒親」問題
などなど
同様の構造が隠れている問題は社会のあちこちに存在していると思います。
そして、この問題は社会としても取り組むべき問題であるはずです。


しかし、こうしたコミュニティと宗教との間には大きな違いが一つあります。

それは宗教の多くは、神を据えており、
教義とは、神が命じていることだとしている。

つまり、
それを否定すること=世界を作った神の否定
となってしまいます。

それはすなわち、自分が(社会ではなく)世界不適合者であるという底知れない恐怖や悲しみを抱えることになり、
これは他の会社や学校といったコミュニティで感じる疎外感と一線を画するものがあると思います。

もちろん、学校や会社などで受けるマインドコントロールが大したことないと言うつもりはありません。

しかし、この世界で生きていかなければならない以上、
仮にも神の存在を信じていた時期があった人が、それに背いて生きていくことの辛さ・罪悪感というのは想像を絶するものがあると思います。


もし、学校の先生やカウンセラーさんなど、宗教2世の方と直接関わる職業の方で、このnoteを読んでくださっている方がおりましたら、ぜひこの点を思いに留めていただければ嬉しい限りです。


また、現在進行形で脱会後の生きづらさと戦っている方にとっても、
自分がそう感じているのは、別に変なことでも何でもなく、これまでの自分から新しい自分へと変わろうとしているステージなのだと思ってもらえればと思います。


決して、楽な道ではないと思いますが、その歩み、格闘は間違いなく価値のあることだと思います。



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