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脱会のステップ【第2章③組織を知る②】

宗教を辞めたいけれど辞められない人に向けたシリーズ記事。
私自身のキリスト教系の教団「エホバの証人」での経験を基にして書いています。

前回から、元教団の方の書籍を紹介しています。
※まだの方はこちらを先にお読みください。↓

組織はこうした元教団の一員だった人が発行する書籍や、書いているブログを「背教者の情報」として信者に見ることを禁じています。

それは「悪魔の罠」だと主張するわけですが、そうした背教者の書籍では、組織にとって書かれるとまずいことを指摘しており、それを読んだ人の相当数が組織に疑問を持つことをわかっているので、禁止しているというのが実情だと思います。


これは最近話題になっている「排斥制度」とも関係が深いことです。
組織は、背教的な考えを持っている信者を排斥処置にすることがあります。排斥処置になった信者は、周囲の信者と話をすることさえ制限されます。要は集団無視に遭います。

※エホバの証人に関係のある方であれば、最近の方針転換で「排斥者に対しても声をかけて良い」という教えになったことをご存知かもしれません。
しかし、その声をかけてよい排斥者には「背教者」は含まれていません

このようにして、背教者とコンタクトを取らせないようにして、いわば排斥者を「口封じ」しているのだと思います。
ある意味では、組織を守るための戦略として仕方がないのかなとも思いますが、冷静に考えるとけっこう露骨だなとも感じます。


さて、今日も元信者の方の出している書籍を紹介したいと思います。
個人的には、今回の一冊はほぼ完全に「この組織が教えているのは聖書の教えではない」と確信するに至った一冊です。


『異邦人の時再考』C・O・ヨンソン

こちらは、前回紹介した『良心の危機』と比較すると少し知名度は低いかもしれませんが、とても面白い名著と呼べる一冊だったと思います。
※2019年に日本語訳が出ました。Kindle版でも読めます。これは本当に価値あることだと思います。

著者のヨンソン氏は、スウェーデンで長老・開拓者として奉仕していた方でした。
すべてのきっかけは、彼の研究生から投げかけられた一つの疑問でした。

それはエホバの証人の年代計算についての疑問です。
エホバの証人は「1914年からイエスが天で王として支配している」という教義を持っています。
そして、その1914年説を支えるのが聖書のいろいろな記述から得られた年代計算の結果であり、その計算の起点となるのが「エルサレムがバビロニアによって滅ぼされた年」であり、教団はこの年代をB.C.607年であるとしています。

しかし、歴史学・考古学的調査によって、エルサレムの滅びはB.C.587年であると見解が一致しています。

著者は、数年間にわたって徹底的にこの年代に関して調査していった結果、エルサレムの滅びはどう考えてもB.C.607年ではなく、B.C.587年であるということを明らかにします。


したがって、この書籍は、この年代計算について徹底的に検証した一冊です。
正直にいうと、少し難しい部分もあるので、本を読み慣れていない人にとっては、根気強さが求められるかもしれません。
この著書はまさに論文です。しっかりと根拠を示しながら、エルサレムの滅びがB.C.587年であると言える理由を10以上示していきます。

読んでいるだけだと混乱してくる部分もあるので、ノートを取りながら読み進めていくことをお勧めします。
私も、20ページ以上にわたってルーズリーフに内容をまとめながら読んでいきました。

詳しい内容は本書を読んでいただければと思いますが、簡単に私の感想を述べておきます。


まず純粋に「これはすごい」「ヨンソンさん、ありがとう」と感じました。これだけの膨大なデータや根拠を揃え、論じていくためには相当な年月がかかったことは想像に難くありません。
しかし、そのおかげで日本にいる私のような一般の信者にもその研究成果が行き渡るというのは本当に素晴らしいことであり、著者に心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。

そして、なぜ組織がここまで大学進学を否定するのかがわかったような気がしました。
本書を読み進めていく中で、組織の論じ方が全くアカデミックなルールに反しているということが判明していきます。
自分たちのB.C.607年説を支持するために、いろいろな学者の引用を行なったり、古代の文献を使用したりしているのですが、学者の本来の意図とは異なる文脈で引用していたり、ある部分では信頼できると採用した文献を、別の部分では信頼できないとして否定していたりするのです。

言い方は悪いですが、自説を支持するのに都合の良いところだけを切り貼りして、あたかも根拠があるように見せているというわけです。


大学にしっかりと通って、レポートや論文を執筆した経験のある方であれば、これがいかにルールを逸脱した行為であるかはお分かりだと思います。

しかし、組織の出版物を読んでいるだけだとなかなかこれに気がつかない。いかにも”それっぽく”書かれているからです。
大学で身につける「批判的思考」もおそらく組織にとって都合が悪いのだろうなという解釈をせずにはいられませんでした。


まとめ


さて、前回と今回で、元エホバの証人だった方の書籍を紹介してきました。
いずれも海外の方の本でしたが、日本でも自身の経験を書籍化している元信者の方がいます。
私は、まだ読んでいませんが、もし興味があればそちらを読んでみるのもいいかもしれません。

そして、
前回のフランズ氏、今回のヨンソン氏に共通することですが、組織は離れたものの信仰は失っていないという点です。お二方は変わらず神を愛しているようです。

つまり、たとえこの組織を離れたとしても神を信じ、愛し続けることはできるということだと思います。

最後にヨンソン氏の言葉を引用してこの記事を終えたいと思います。


「組織を離れてどこへ行きましょうか」との問いに対する答えは、使徒ペテロが次のように言った時と今でも同じである:「主よ、わたしたちはだれのところに行けばよいというのでしょう。あなたは永遠の命のことばを持っておられます。」(ヨハネ6:68)「永遠の命の言葉を持つ」のはキリストである。何かの組織ではない。

『異邦人の時再考』序文より。本文の下線部を太字に変更した。

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