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父親の浮気発覚から1年後に生家を失ったけど質問ある?(18/20)

『相手の立場になって考えてみる』
父親の浮気発覚から2年8ヶ月後

上記のnoteの続きです

▼自分にとって父とは?

ボクと父は、本当に会話の少ない親子だったと思います。“だったと思う”とあいまいな言い方なのは、自分で自分の家族を客観的に見ることは難しいからです。

ただ、友人の家に遊びに行った際、友人が父親と会話しているのを見て、「ウチとは違うな」と感じることが多々ありました。

親子の会話が少なかった原因のひとつは、ボクが父に対して苦手意識を持っていたからです。小さいころは、なぜか理由がハッキリしないものの、漠然と父が苦手でした。しかし大人になった今なら、なぜ苦手意識を持っていたかがわかります。それは、父のことをよく知らなかったからです。

父は自分自身のことを話す人間ではなかったので、ボクは父がどのような考えを持っているのか、ほとんど知りませんでした。加えて、出張の多い仕事で家を離れることが多く、コミュニケーションを取る機会が少なかったことも重なって、父親というものをよく知らずに育ちました。

自分にとって父親とは、「おはよう」「いってらっしゃい」「おかえり」を言う存在。たまに学校のことを聞いてくる存在。あまり家にいない存在でした。

自分の記憶のなかの父は、キャンプや遊園地、バーベキューなどの特別な日には存在しています。けれど、ありふれた日常に、その姿はほとんどないのです。

みなさんは、見知らぬ人といきなり友だちや恋人にはなれませんよね。何かきっかけがあって、お互いのことを少しずつ知って、共通する話題を見つけて、そうして次第に仲良くなっていくのだと思います。

ウチの場合、父は自分の趣味や好物、昔の経験を話してくれる人ではなかったので、ボクは目の前にいる男の人がどんな人なのか、怖い人なのか、安全な人なのか、わからなかったのです。

父のことがわからないから苦手意識を持つ、苦手意識を持つからコミュニケーションが取れない、コミュニケーションが取れないから父のことがわからない、という悪循環……。

▼父との思い出

父と接することは苦手ではありましたが、目には見えない親子の絆というものは存在していたと思います。

ボクがまだ幼稚園に通う前の話ですが、父の運転するクルマで職場へ連れて行ってもらったことを今でも覚えています。母によると、ボクがまだオムツを着けていたころから、父は自分の膝の上にボクを乗せて職場まで運転していたそうです。

また、休日はジャージを着ることの多かった父が、紺色のテーラードジャケットを着て幼稚園に迎えに来てくれたこともありました。その際、担任の先生から「お父さん、カッコいいね」と言ってもらえて、とても誇らしかった記憶があります。

そして高校3年生の7月。ボクは、仕事を頑張る父にお礼を言いたくなりました。高校生活も最後の年を迎え、自分の将来を強く意識するようになったことが、これまで育ててくれた親への感謝の気持ちにつながったのだと思います。

当時、父は屋外で仕事をしていました。春から夏の時期は、腕や首のうしろが真っ赤になっており、帰宅すると、よく冷却スプレーを使っていました。そんな父の姿を見ていましたし、カラダを酷使しながら家族を支えてくれていることにずっと感謝していたのです。

本来であれば面と向かってお礼を言うべきなのですが、何しろ父と会話をすることが苦手だったので、メールで気持ちを伝えることにしました。いろいろと文章を考えてみましたが、どれも恥ずかしくなってしまって、最終的にはシンプルなメールになりました。

「いつも家族のためにありがとう」

しばらくすると、父から返信がありました。

「お父さん、頑張るから」

このメールを見て、厚い雲の隙間から光が射し込んできた感じがしました。これを期にもっと父を知って、今までの微妙な関係を改善しようと思いました。清々しい気持ちでいっぱいになり、母に報告までしました。

“あの出来事”が起こったのは、この直後です。

このとき、すでに浮気していた父は、どう思ったのでしょうか。
このとき、すでに父の浮気を知っていた母は、どう思ったのでしょうか。

心はズタズタに引き裂かれ、父のことが本当にわからなくなってしまいました。

▼相手の立場になって考えてみる

父の浮気問題を発端とする一連の出来事によって、ボクも母もつらい思いをたくさんしました。一時は被害者意識に強くとらわれて、「どうして自分だけがこんな目に……」と苦しんだこともありました。しかし、“被害者側”だけの視点で物事を考えて良いのか、疑問が湧きました。“加害者側”には、“加害者”になってしまった何かしらの要因があるのではないか、と。

そんな疑問を抱くきっかけとなった本があるのですが、それは後ほど紹介したいと思います。

祖父母の仲の悪さが、幼かったボクの成長に悪影響が出ることを母が心配したことを以前のnoteで触れました。母はこの家に嫁いだばかりのころ、祖父母のトゲトゲしい関係性に驚いたそうで、父に「どうして、お義母さんたちは別々に生活しているの? どうして喧嘩ばかりしているの?」と尋ねたそうです。

この問いに対し、父は「昔からこんな感じだった。両親が仲良くしている姿を見たことがない。これが普通だった」と不思議な顔をして答えたそうです。

つまり三姉弟(伯母・父・叔母)は、幼いころから両親が喧嘩する姿ばかりを見て育ってきたのです。仲の良い両親の姿を知らないのです。これでは、人の心がわからない人間になってもおかしくありません。

父はそんな両親の元で育ったためか、家族観に関して少し歪なところがありました。しかし、それでも自分の息子にはいろいろな経験をさせてあげようという気持ちは持っていました。父には、スキーやキャンプ、遊園地など、さまざまな場所に連れて行ってもらいましたし、美味しい物もたくさん食べさせてもらいました。

楽しい思い出をつくってもらったのも事実、最後にそれらをすべて壊されてしまったのも事実。ですが、仲睦まじい家族を知らない父たちも、ある意味で被害者なのかもしれません。

▼人生を変えた1冊

ここで、ボクの人生を変えた本を紹介したいと思います。これまで綴ってきた自身の家庭問題の本質を捉え、考えることに、大いに役立った本です。

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デール・カーネギー著『人を動かす』

装丁が古いのは、元は母の本であったためです。ずっと本棚にはあったものの、「古いし何だか難しそう」と、22歳になるまで手に取ることはありませんでした。

この古びた本を処分するつもりで、試しに数ページだけ読んでみたことが、その後の生き方、とくに“人との接し方”を変えることになりました。

本に記されている、ほぼすべての項目が自分にとっては新鮮で、目から鱗が落ちたのですが、そのなかでも、とくに参考になった部分を紹介します。

まず、本に登場する一番最初の項目から衝撃を受けました。

それは、「盗人にも五分の理をみとめる」というもの。

ここに述べられている内容をまとめると……

人間はたとえ自分がどんなに間違っていても、決して自分が悪いとは思いたがらないものである。そして、他人のあら捜しは何の役にも立たない。なぜなら、相手はすぐさま防衛体制をしいて、なんとか自分を正当化しようとするからである。それに、自尊心を傷つけられた相手は反抗心を起こすことになり、危険である。人を非難するかわりに、相手を理解するように努めよう。

そして、次の言葉は心に深く刻まれました。

人を批評したり、非難したり、小言を言ったりすることは、どんな馬鹿者でもできる。そして、馬鹿者にかぎって、それをしたがるものだ。

さらに「人の身になる」という項目の「相手の考え、行動には、それぞれ相当の理由がある」という部分に触れ、父から見て自分はどういう息子であったかを考えるようになりました。

▼もう一度 父と会う

1年ぶりに、再び父と会いました。

今回も父から「会えないか?」というメールを受け取ったのですが、これがなければ会うことはなかったと思います。というのも、“あの出来事”に関する気持ちの整理は徐々についてきていたものの、自分から父に対して何らかのアクションを起こそうという気には、まだなれなかったからです。

関わらなければ傷つくことはないですからね。ただ、それは「逃げているだけ」だと言われれば、そのとおりだと思います……。

1年ぶりに会った父は、表情が多少柔らかくなっており、少し小さくなったようにも感じられました。そして、小さいころによく連れて行ってもらった中華料理店で、初めて父と一緒にお酒を飲みました。

高校生のときは「あと数年も経てばオヤジと一緒に酒を飲むのだろうな」と、その日が当たり前のように来ると思っていました。それから“あの出来事”があり、遠回りはしたものの、こうして親子でお酒を飲んだことは、大きな一歩を踏み出したと言えるのかもしれません。

元々口数の少ない父ではありましたが、お酒が入ったことで多少饒舌になり、ボクたちはこれまでの時間を埋めるように、さまざまなことを話しました。そして、そのなかでもっとも印象的だったのが、父が“あの出来事”を反省していたことでした。

「お父さん、2人には迷惑かけちゃったからな……。借金も片付いてきたから、貯金もして、2人のために何かするよ」

さらには「お母さんとも食事したいけど、お父さん恥ずかしがり屋だからさ……」と、以前の父からは決して出なかったであろう言葉に驚きました。

この日は、これまでの人生で一番長く父と話をした日になりました。

ボクと父にとっての最適な距離間は、1~2年に1回会う程度なのかもしれません。たとえるなら地球と月のような関係で、この距離のバランスがお互いを生かしている感じです。

そして改めて考えてみると、父が過ちを犯した理由が理解できる気がします。父はきっと、ひとりで寂しかったのではないでしょうか。仲の良い両親を知らずに育ち、息子には苦手意識を持たれていたわけですから……。

だからといって家族を裏切っても許されることにはなりませんが、お互いに“あと一歩”が足りなかったのだと思います。


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