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父親の浮気発覚から1年後に生家を失ったけど質問ある?(16/20)

『新しい生活』
父親の浮気発覚から1年3ヶ月後

上記のnoteの続きです

▼生家との別れ

ついに、家を去る日がやって来ました。

この世に生を受けてから19年間を過ごした生家との別れは、唐突に知らされました。祖父から「この家(土地)を売る」と聞かされたのは、わずか3週間前のこと。本当に急で、次の住まいを探したり、引っ越し業者へ依頼をしたり、とても苦労しました。ただ、慌ただしくて、生家を失う実感がまだ完全に湧いていなかったことが、唯一の救いだったのかもしれません。

あの忌々しい人たちから開放されると思うと胸がすくようでした。束縛からの自由を手に入れる喜びを感じる一方で、空っぽになっていく部屋に目を向けると次第に寂しくなりました。

祖母と近所のお店で選んで植えた花も、幼いときから身長を刻み続けた柱も、木目が人の顔のように見えて怖かった扉も、祖父が手入れしていた庭も、2階の窓から見える鉄塔のある風景も、もう二度と見ることはできないのです。

ボクの生家は、もうじき亡くなります。この家は少しお年寄りでしたが、まだまだ生きられました。具合が悪くなったら治しますし、将来、自分の妻や子どもを紹介する可能性だってありました。ボクたちはこの家に守られ、共に生きてきたからこそ、“無くなる”ではなく“亡くなる”、“直す”ではなく“治す”と表現したいと思います。

父や祖父母の引越しは、ボクたちより少しだけ先のようです。父がどこへ行くのかは知りませんでしたが、当時はまったく関心がありませんでした。とりあえず別居という形になるわけですが、母はすでに離婚届にサインをして渡してありましたし、「離ればなれになって寂しい」という感覚は微塵もありませんでした。

ボクたちの引っ越しが行われているとき、1階では伯母たちが祖父母の引越し準備をしていましたが、「扇風機なんて、また買えばいいのよ! 安いものでしょ!?」という伯母の声には呆れてしまいました。

こういう金銭感覚だから、お金に困るんだろうなぁ……。

いつの間にか“鬼の住処”と化してしまった生家は、間もなく取り壊されます。このとき、ボクはこの“鬼の住処”がなくなれば、自分の心が自由になると思っていました。しかし、それが間違いであることに気がつくのは、もう少しあとのことでした……。

▼祖父母との思い出

「今日を最後に、おじいちゃん、おばあちゃんと、もう生きて会えなくなるかもしれない」と思うと、これまで祖父母と共に過ごした日々がよみがえってきました。

まだ幼かったころ、祖父はボクをバイクのうしろに乗せて近所を走ってくれました。少年野球の練習場に行って栗を食べたこともありましたし、夏にお蕎麦を打ってくれたこともありました。母が胆石で入院したときは、祖父の部屋に寝かせてもらいました。

植木職人だったので、家の庭をいつも綺麗に整えていました。昔は作業の邪魔ばかりしていましたが、中学生になったころから、庭の手入れを積極的に手伝うようになりました。

いつか自分がこの家を継いでも、綺麗な庭を保てるようにと……。

ゲートボールの名人でもあった祖父は、たくさんのメダルを持っており、それが何よりの自慢でした。近所の公園へ行くと、「3番ゲート通過!」という祖父の声をよく聞きました。

祖母は、誰よりもボクを可愛がってくれました。腹具合を気遣って、いつもカップラーメンを3~4個常備していましたし、茹でたトウモロコシや蒸かしたさつまいもを食べさせてくれました。よくデパートにも連れて行ってもらいましたし、こっそりお小遣いもくれました。

祖母はリウマチを患っていたので、電球を換えたり、家具を動かしたり、高所の掃除をするのは、いつもボクの役目でした。お手伝いを終えると「ありがとうね~。お前さんがいてくれて良かった」と、うれしそうに言ってくれました。

あの表情は、今でも忘れられません。

こんなことになるなら、おばあちゃんが茹でてくれたトウモロコシをもっと食べておけば良かった。もっとお手伝いをしておけば良かった……。

▼新しい生活

新しい生活が始まりました。

住まいは2DKのアパート。最寄り駅まで徒歩だと20分以上かかりますが、緑が多くて落ち着いた場所です。自家用車がないので、移動手段は徒歩か自転車でした。バスは極力使わず、浮いたお金は1日でも早く生活の質を向上させるための基金としました。

テレビがないので、ラジオをよく聞いていました。テレビのある生活に慣れきっていたので、耳からしか情報が入ってこないラジオに最初こそ不便を感じたものの、次第に想像力を刺激してくれるラジオに魅せられていきました。

ボクはアルバイトを探し、母は介護の仕事を始めました。

そして、いつも空腹でした……。

少し落ち着いてから生家に行ってみると、当然ながら家には誰もいませんでした。玄関には鍵がかかり、雨戸も閉めてあり、少し前まで自分が住んでいたのが信じられませんでした。目の前にかつての住まいがあるのに入れないもどかしさ。もう自分の家ではないことの実感が湧きました。

またしばらくして生家に行ってみると、文字通りそこには何もありませんでした。更地になっていたのです。“鬼の住処”はこれで完全に無くなり、ボクは鬼たちから解放されたはずでした。しかし、父や伯母たちに対する復讐心によって、今度は自分自身が鬼と化そうとしていました。

「あの人たちを絶対に許さない」

自身の心が、次の“鬼の住処”になろうとしていたのです。その為なのか、週に2回ほど、伯母が突っかかってくる夢をみました。とても嫌な夢ではあるのですが、唯一良かったことは、ありったけの怒りを伯母にぶつけられることでした。夢のなかのボクは、伯母を怒鳴りつけていました。

▼一通の手紙

新しい住まいに移り、父や伯母たちと顔を合わせることがなくなっても、ボクたちの心を痛めることは起こりました。

「さっき、佐賀のおじいちゃんから電話があったよ」

実家から連絡があったというのに、なぜか母には元気がありませんでした。

「本当に? なんて言ってた?」

「おじいちゃん、ウチの問題のこと知ってたみたい。『何も言わなくていいから、また佐賀に遊びにおいで』って……」

それは、今まで我慢していた悲しさや悔しさ、怒りを包み込んでくれる優しい言葉でした。心のなかに潜む鬼が、少し小さくなった気がしました。けれど、どうして母方の祖父は、家族がバラバラになったことを知っていたのでしょうか?

5月に帰省した際、叔父と伯母にはウチの状況を少し説明しましたが、祖父母には心配をかけまいと、何も話してはいませんでした。しかも、家族が別々に暮らすようになったことは、まだ叔父たちも知らないはずでした。

一体どうして?

その疑問はすぐに解けました。父方の祖父が、母の実家に「この度、新居に引っ越しました」という手紙をご丁寧に送っていたのです。数日前にボクらの元にも届いたのですが、まさか佐賀にまで送っているとは思いませんでした。

どうして、佐賀のおじいちゃんたちが心配するような手紙を送るんだよ!

手紙を受け取った佐賀の祖父母は、どんな気持ちだったでしょうか。遠くへ嫁いで行った娘が、つい数ヶ月前に孫を連れて帰ってきた。それから半年後、突然、向こうの両親から千葉の新居に引っ越したという手紙が届いた。きっと、何事かと思い心配してくれたでしょう。自分たちが何かの力になれないか悩んでくれたでしょう。

それを考えるとボクは悔しくて、父方の祖父が憎らしくてたまりませんでした。再び心の鬼は膨れ上がりました。

〈学んだコト〉
自分のことしか頭にないと、周りを不幸にしてしまう。

▼父方の血

引越しをして、あの家、あの人たちから離れても、まだ問題がありました。それは、自分に流れる父親の血。こればかりはボクが生きている限り、避けることはできません。

自分があの人たちの血を引いていると思うと気が沈みましたし、父方の名字を名乗ることが死ぬほど嫌でした。たとえ両親が離婚をしても、名字を変えても、ボクの父親はただ一人ですし、父の血は自分のなかに流れ続けるのです。

そうなると「自分の代で父方の血を絶つ」と考えるのは、自然なことでした。思い上がりかもしれませんが、こんな血を後世に残したくないと考えたのです。「絶対に結婚しないし、子どももいらない」と、半ば意地になっていた部分もありました。心のなかで大きくなりつつあった鬼が、その考えを助長させていたのです。

漫画やアニメだったら、闇に堕ちそうな主人公みたいでカッコいいかもしれませんが、ボクはリアルな人間です。ふと自分を客観的に見たときに、そのあまりのどす黒さに思わず引いてしまいました。

「これが自分の人生なのか? あと何年生きるかわからないけど、ずっと嫌な気持ちで過ごさなければならないのか? そんな卑屈な人生、ちっとも楽しくないじゃないか!」

怒りを覚えない人間はいないのですから、ボクは自分のなかの怒りを当たり前の感情として受け止めることにしました。それに良く考えたら、怒りの源となったつらい経験があるのだから、これを活かさない手はありません。これまでの経験を活かし、人の心の痛みがわかり、思いやりの気持ちを大切にできる家族。笑顔の絶えない家庭を築こうと決めました。

この決意は、自分のなかの鬼を抑えるのと同時に、伯母たちに対する復讐の気持ちを薄れさせました。恥ずかしい話ですが、「もし次に千葉の人に会ったら、頬を引っ叩いてやる!」と思っていたのです。

よく考えたら、頬を引っ叩いて痛いのは、自分の手と心です。

このときから、母に対して、父や伯母の悪口を言うことをやめました。

悪口って、言うとだんだんエスカレートしてしまいますよね。言えば言うほど相手のことが嫌いになって、ますます酷い言葉を使うようになるという悪循環。それに伴って、性格も歪んでしまうわけです。

悪口を言ったところで問題が解決するわけではありません。嫌いな相手のことを考える時間を、どうすれば自分や周りの人が幸せになるだろうかと考える時間に充てたほうが、はるかに建設的です。

〈学んだコト〉
マイナスの思考からは悪いことしか生まれない。
自分のためにも、周りのためにも、プラスの思考を持つことが大切。

〈学んだコト〉
悪口を言ってはいけない。なぜなら、それを言う人は価値を失うから。


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