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父親の浮気発覚から1年後に生家を失ったけど質問ある?(14/20)

『バラバラになる家族』
父親の浮気発覚から1年2ヶ月後

上記のnoteの続きです

▼家の売却まで あと20日

祖父の「家を売る」という発言に愕然としました。しかも、「来月の頭にはこの家を業者に引き渡すからよ。引越しの準備をしてくれよ」とのこと。

この時点で“来月の頭”までは、すでに3週間を切っていました。いくら何でも3週間足らずで新しい住まいを探し、引っ越しの準備をし、各種手続きをするなんて、厳しいにもほどがあります。

それを祖父に訴えると……

「そうだよ。だから大変なんだよ」

大変なんだよ、じゃないよ。何で他人事なのさ……。

人によっては発狂してもおかしくない場面なのかもしれません。しかし、生家を失うショックがあまりにも大きかったのか、事態がやっと進展したことが重畳だったのか、ボクは妙に落ち着いていました。

ここまでの話の流れをまとめると、次のようになります。

【1】母は、父の裏切りに耐えかねて家を出ました。直後、叔母の家を訪ねて経緯を説明し、祖父への伝言と祖母の介護をお願いしました。

【2】叔母は了承し、祖父母の面倒を看るためにウチに通ってくれるようになりましたが、母からの伝言は祖父に伝えていませんでした。

【3】母の事情を知らない祖父は、現状の不満と心配を募らせ、ついには叔母を追い出してしまいました。そして、以前から祖父母の財産を気にしていた伯母は、これを機に祖父母を引き取ることにしました。

【5】しかし、千葉にある伯母夫婦の家は十分な広さ(部屋数)がないうえに、自営業者である伯父の仕事場も兼ねているため、新しい家を買うことにしました。

【6】ところが伯母たちにはお金がなかったので、ボクたちが現在住んでいる家(土地)を売って、そのお金を新居の購入や今後の生活費に充てることを企てました。

【7】父方親族は、ボクや母を抜きに話を進め、不動産会社と土地の売却契約を結んでしまいました。

こうして、19年間を過ごした家を追い出されることが決まり…… いえ、裏で決まっていました。父方親族は、いつもこの調子です。後先考えず、周りの人の気持ちを考えず、ただ自分たちのやりたい様に行動するのです。とくに伯母は、自分の意にそぐわない者や事象があれば憤激し、相手の意見に聞く耳を持ちません。まさに直情径行、軽挙妄動です。

『直情径行』(ちょくじょうけいこう)
相手の気持ちなど考えずに、自分の思うままに行動すること。
『軽挙妄動』(けいきょもうどう)
軽はずみに何かを企て、みだりに行動すること。

▼あいまいな決着

信じていた親や親族に裏切られ、ついには自分の生まれ育った家までも失おうとしている……。自分の生家は、いつの間にか心のさもしい輩が巣食う“鬼の住処”と化していました。

「俺の人生って何なんだろう? こうなるために生まれてきたのか……」と、夢も希望も無くなりかけていたとき、父が夕食後に話しかけてきました。

「おじいちゃんから、この家のこと聞いたか?」

「うん。売るんだって?」

淡白に答えました。すでに決まってしまったことなのだから仕方がないと諦め、何かを言う気力もありませんでした。つらい現実を受け止めることで精いっぱい。怒りをぶつけることも、嘆き悲しむこともありませんでした。

「来月の上旬までには、ここを出て行かなきゃいけないから」

「おじいちゃんから聞いたよ……」

「それでお父さん。お母さんと何度か話し合ったけど、どうも合わないから……。お母さんとは、別々に暮らすことになりそうだからさ……」

「あぁ、そう……」

「それでお前は、どっちについて行こうと思うんだ?」

「……」

父の浮気を知ったときから、いつかは下さなければならないと覚悟はしていました。けれど、いざ問われると実に嫌なものです。そもそも父は、あれだけのことをしておいて、息子は自分を選ぶと本気で思っていたのでしょうか?

母について行くと答えました。

「……わかった。お母さんは疑っているみたいだけど、もうあの女とは何も無いからさ」

「わかった」

「うん……。女のことは申し訳ないと思ってる……」

「……」

「学費のことは心配しなくていいから、お父さんが何とかするから」

「ありがとう……」

「あと、もっと外に出た方がいいよ」

「うん……」

最後は適当に流してしまいましたが、「もっと外に出た方がいい」とはどういう意味だったのでしょうか。大学にはサボらず通っていましたし、家庭問題による精神的なダメージが酷くなるまでは、サークル活動にも参加していました。

「人の気も知らないで勝手なこと言うなよ!」と言い返せないのがボクの悪いところです。しかし、精神的に相当参っていて、もうこれ以上かかわりたくありませんでした。

この日、親子の問題にひとつの区切りがついた気がしました。

▼バラバラになる家族

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新しい家族の環境は、上図のようになります。

祖父母は千葉へ行き、娘夫婦・孫・ひ孫と一緒に暮らし、家を失ったボクと母は別の場所へ、父もどこか別の場所へ。

こうして夫婦、親子、そして介護の問題は、別居という形でこの場は収まることになりました。しかし、根本的な解決に至ったわけではなく、これからも悩み、考える日々が続きます。

お互いがよく話し合い、双方が納得する結論を導くことがベストです。100点満点の結果を出すことは難しくても、お互い譲り合い、70点程度で決着をつけられれば良かったのですが、なぜ、今回それができなかったのでしょうか。

先ほど、『伯母は自分の意にそぐわない者や事象があれば憤激し、相手の意見に聞く耳を持たない』と書きました。問題はまさにそこなのです。そもそも、「自分こそが正しい」と考えているから「譲らない」し、「話し合えない」のです。

ここまで完璧(悪い意味で)だと、ほぼ詰みです。こちらが相手と同レベルまで堕ちれば人間として終わりですし、警察沙汰になる可能性もあります。

▼母が帰ってくる

20日以内に新しい住まいを見つけて引っ越さなければならないので、とにかく時間がありませんでした。現実を受け止めて行動するしかないのです。

家の売却が決まったあと、伯母たちは祖父母の面倒を看るために、週に1回以上のペースで家を訪ねてきました。こんなに頻繁に来られるのなら、最初から来て欲しかったです。

そんななかで唯一の救いは、事態の進展を受けて母が家に戻ってきたこと。厳密に言えば、ボクが伯母に小突き回されても、父が何もしなかったことを知り、ボクをこれ以上この家に置いておくことは危険だと判断したのです。

▼おばあちゃんのこころ

何とか新居を見つけ、引っ越しの日程も決まったあとは、とにかく準備に追われていました。その途中には市役所にも行って、離婚届も貰ってきました。母はサインをして父に渡しましたが、父は離婚をする気が失せたようで、それを仕舞い込んでしまいました。

引っ越しの準備をしていると、トン、トン、トン、と誰かが階段をゆっくり上ってくる音が聞こえました。階段を覗き込むと、祖母が四肢を使い、リウマチを患うその不自由な身体で2階へ上がろうとしていました。

「おばあちゃん、どうしたの!?」

ビックリして尋ねたものの、耳の遠い祖母には聞こえていなかったようで、そのまま黙々と、ゆっくり階段を上っていきました。そして階段を上りきって、部屋中に積まれたダンボールを目の当たりにしたのです。

ソファーに腰を下ろした祖母は、寂しくなった部屋をジッと見渡して言いました。

「この家を出て行くの?」

「うん……」

どう答えたら良いのか困惑しましたが、隠しても仕方がないと思い、正直に答えました。

「私が迷惑をかけたからね……」

「そんなことないよ」

もっと気の利いたことを言いたかったのですが、言葉が出ませんでした。

すかさず母も、祖母の隣に腰かけて「そんな悲しいこと言わないで……」と言いました。

「いろいろとありがとうね。昔は突っかかってねぇ。ゴメンね」

かつて、我が家にも嫁姑問題がありました。祖母は10年ほど前まで、母に厳しく当たっていたのです。認知症になってもそのことを覚えていたのでしょう。かつて嫌味を言ったにもかかわらず、自分を介護してくれた母に申し訳無さを感じたのでしょう。祖母は素直に詫びました。そして、父と祖父を追い出して、この家に3人(祖母・母・ボク)で住めればいいのにね、と語りました。

「本当にお世話になったねぇ。昔は嫌なことを言って、本当にゴメンね」

よほど昔のことを気にしていたのか、祖母は再び謝りました。

すると、祖父も2階へ上がってきました。

「大丈夫か? ばあちゃん」

「2人の顔を見に来たのよ。最近見てなかったから」

「うん……。(階段を)降りるときには気をつけろよ」

祖母はこの家の売却を知りません。自分たちは千葉へ、ボクと母が別の場所へ、父はこの家に残ると思っているようでした。

▼ボクらの味方

家を去るまで残り1週間ほどとなり、引っ越しの準備は大詰めを迎えていました。荷物を減らしつつ今後の資金を確保するため、ボクは今まで集めていたゲーム機やゲームソフト、CD、漫画などをすべてオークションで売り払いました。この1年で失ったものと比べれば、手放すのも惜しくはありません。

祖父母が千葉へ引っ越すということは、母が苦労して申請した介護認定手続きも、ケアマネージャーさんと何度も話し合って築いてきたものも、すべて水の泡になったということです。

ボクは、「もういいよ。十分だよ。一生懸命やったじゃん」と母を労いました。

自己中心的な伯母たちは、母を独断と偏見で苦しめ続けてきましたが、母の懸命な介護を近くで見てきた看護師さんは、最後に母のことを悪く言う伯母にビシッと言ってくださいました。

「ここまで面倒を看てくれるお嫁さんはいませんよ!」

ボクと母は、最初はたった2人で伯母たちと戦ってきました。

その“2”という戦力は伯母たちには遠く及ばず、これまで悔しい想いをしてきました。けれど、母方の親族、ケアマネージャーさん、看護師さん、ヘルパーさん、母が勤めていたお花屋さん、古くから付き合いのある友人など、ボクたちを支えてくれる人はたくさんいました。

ボクも母も、父たちの悪口を吹き込んで味方を増やしたわけではありません。言葉よりも態度や行動を見て、応援してくださったのだと信じています。

今回、ゲームや漫画を手放しましたが、その気になれば買い直すことができます。しかし、自分を支えてくれるかけがえのない味方は簡単に手に入れられるものではありませんし、値段を付けられない存在です。

いつしかボクたちの戦力は、100にも1,000にもなっていました。

〈学んだコト〉
正しいことを行う人には、必ず味方になってくれる人があらわれる。


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