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父親の浮気発覚から1年後に生家を失ったけど質問ある?(20/20)
『前を向いて生きる』
上記のnoteの続きです
▼“これから”を生きるための伏線
前回までのnoteに、ボクが父親に浮気されたこと、その浮気相手から罵声を浴びせられたこと、祖母がアルツハイマー型認知症を患ったこと、伯母に虐げられた挙げ句に生家を失ったこと、それらの経験をカタチにしようと思ったこと、その経緯をすべて綴らせていただきました。
今回までに綴ってきた内容は、ボクが“これから”を生きるための長い伏線であったと言えます。シリーズ最終回となる当noteでは、その伏線を回収しつつ、“これから”の話をして締めたいと思います。
▼消えた祖父母のお金
ボクは祖父母の墓前で、「これまでの自身の体験を何らかのカタチで社会の役に立たせよう」と決意しました。それが今、最終回を迎えた、このnoteを書いている理由につながるわけです。
ここで終えられれば話の締めとしては最高だったのですが、祖父母が亡くなったことで、ひとつの問題が浮上しました。
それは、小説になったり、事件になったり、沼にはまったりする問題。
ずばり遺産相続です。
伯母は、祖父母を引き取ったことで、2人のお金の管理も担っていました。しかし、というか案の定、伯母は何も記録を残していませんでした。祖父母の収入(主に年金や恩給)を何に、いくら使ったのか、いくら遺産があるのか、すべてが不明なのです。
肝心の相続ですが、叔母は、家を買うときに祖父母にお金を出してもらったことを理由に放棄しました。そして父は、相続を放棄していないにもかかわらず、どういうわけか伯母からは何も知らされておらず、今日に至るまで何も行われていません。
伯母によれば、「お金は、新しい家と、両親(祖父母)の介護に使って無くなった」とのことですが、その裏付けがないのです。母が2人を看ていたときは、ノートに支出と用途をすべて記録していたのですが……。
伯母夫婦は、伯父の仕事場を兼ねた元々の家と、ボクの生家を売ったお金で買った新しい家を千葉に所有しています。伯母は父に対し、「近いうちに夫が引退して元々の家は必要なくなるから、それを売ったお金を渡す」と言ったそうです。ただ、それも今日に至るまで行われていません。
そもそも新しい家は、祖父母の介護をするために買ったわけです。2人が旅立ったのだから、伯母夫婦は元の家に戻り、新しい家を売って、そのお金を姉弟で分け合えば良いと思うのですが、そうはしないんですよね。
ボクは、「長男であるにもかかわらず、千葉の人に親を看てもらった負い目があるから、オヤジは遺産について何も言えないんじゃないの?」と父に言ったことがあります。
すると父は、「俺がオヤジとおふくろの面倒を看るって言ったら、『男には無理だ!』って突き返されたんだ」と、伯母とのやりとりを明かしました。
そして、「いまさらカネのことで姉ちゃんにどうこう言うつもりはない」と。
▼自分が生まれた意味
改めて、波乱万丈な体験をした思います。
そこで疑問なのが、なぜ自分は、この家、この親の元に生まれてきたのか、ということです。
世間では「子どもは親を選べない」といわれる一方で、「子どもは親を選んで生まれてくる」という話も聞きます。結局これは、物事をプラスかマイナス、ポジティブかネガティブ、どう捉えるかの違いであって、どちらも正しいと思います。
たとえば、「親がしつけと称して子どもを痛めつけ、結果として殺めてしまった」などというニュースを観ると、「子どもは親を選べない」と感じます。
一方で、「自分がプロになれたのは、幼いころから両親が惜しみない支援をしてくれたから」という話を聞くと、「子どもは親を選んで生まれてくる」と感じます。
我が家の場合ですと、父は仲間と事業を立ち上げました。ボクが11歳のころには、その事業に失敗。当時の社長に貸したお金も返ってきませんでした。その後もさまざまな仕事をしては失敗してお金を失い、最後は浮気をして、家庭崩壊まで招きました。
当然ボクは、「どうしてこんな家に生まれたんだ……」と思いました。「父が堅実な仕事をしていれば、もう少し豊かな生活を送れたはずなのに」「倫理観のある親の元に生まれていれば、こんなに心を傷めなくて済んだのに」と。
連休になると、海外旅行へ出向く家族のようすがテレビでよく流れます。それを観るたびに「海外に出かける家族もいるんだなぁ。それに比べてウチは……」と思いました。
ボクは、「自分はすでにこの家に生まれてしまったのだから、ある意味で諦めなければならない」と思っています。ただそれは、幸せになることを諦めるのではなく、自分に向かってくる問題を避けることを、です。
たとえば、有名人の親を持つ子どもは、心ない人から「親の七光り」と言われることを避けることはできないと思います。その場合、「自分はそういう家に生まれたのだから」という心構えがあるのとないのとでは、精神へのダメージが変わってくるのではないでしょうか。
人は、生まれたときからプラスやマイナスの差を持っています。プラスの状態から人生が始まって、ますます良い方向へ行く人もいれば、最初は恵まれていたのに悪い方向へ行く人もいるでしょう。マイナスの状態から人生が始まっても、良い方向へ行く人もいます。
マイナスからのスタートだから、プラスに至るまでが厳しい場合もあれば、マイナスだからこそ、容易にプラスまで持っていける場合もあるでしょう。
結局は自分の人生なのだから、他人と比べずに、目の前のことに立ち向かえばいいと思います。自尊心を持って、将来に視点を向ければいいのです。過去は変えられなくても、未来は創れますからね。
そう考えると、ボクは「父親に浮気され、祖母がアルツハイマー型認知症を患い、伯母に虐げられた挙げ句に生家を失う」という経験して、そこから学んだことを社会の役に立たせるために生まれてきたのだ、と思うのです。
誰だって、家族に裏切られることも、家庭が崩壊することも、家を失うことも嫌です。そういう経験を狙ってしようと思ってもできませんし、そうなったところで、このように言語化して世間に出そうと考える人間も限られます。
だから、今ボクのやっていることは、自分だけの特権であり、使命であると考えます。単に自身にとって都合のいい解釈をしているだけなのかもしれませんが、過去を引きずりながら暗い気持ちで生きるよりはマシだと思います。
▼ありがとう
自身の体験を一切の脚色を加えずに綴ってきた『父親の浮気発覚から1年後に生家を失ったけど質問ある?』も終わりに近づいてきました。
このnoteでは、過去の出来事を振り返ると同時に、それに対するボクの考えを記してきました。ここでもう一度、自分の気持ちを整理したいと思います。
過去を受け入れること、そして、それをこれからの人生にどう活かすかが大切です。
「自分は酷いことをされた。絶対に許さない。復讐してやる」と、恨みながら生きていくのか。「こんな酷い人生もう嫌だ」と、悲観しながら生きていくのか。「自分がされた酷いことは、人にはしないようにしよう」と、過去を糧にして前向きに生きていくのか。
すべては自分の気持ち次第です。
“あの出来事”から学んだこと、気づかされたことが、たくさんありました。
家族の大切さを教えてくれてありがとう。
苦手だった父と向き合う機会を与えてくれてありがとう。
逆境のなかに素晴らしい価値が眠っていることを教えてくれてありがとう。
▼前を向いて生きる
自分が取った行動は、必ず何かしらのカタチで自分に返ってきます。
勉強をすれば自分の視野が広がります。掃除をすれば自分はもちろん、周りの人もいい気持ちになります。悪口を言えば自分の心が狭くなりますし、それを聞いた人は嫌な気持ちになります。こちらが好意を持って接すれば、相手も好意を持って接してくれます。こちらが敵意を持って接すれば……。
自分の行動は、物品のように目に見えるもので返ってくる場合もあれば、知識や経験、評判など、目には見えないもので返ってくる場合もあります。だからこそ、ボクは自分を貶めるような言動や行動を取らないように心がけています。
それでも今日までいろいろと失敗をしてきましたし、絶望を感じることもありました。でもそのつらい経験を糧として、また新しい日を迎えるようにしています。
▼「良い」も「悪い」も表裏一体
ボクも母も、父や伯母たちの言動や行動に心を痛めてきましたが、父たちにはそれ相応の結果が訪れています。“信用”というかけがえのない財産を失ったのです。加えて父は、自分の行いを後悔し続け、共に暮す家族までも失いました。
ただ、人は誰でも、良い面と悪い面を持っています。今まで父たちの悪い面ばかりが目立ってしまったので、良い面もしっかり記しておきます。
父は、優しい人です。
伯母は、思いやりのある人です。
叔母は、面倒見の良い人です。
これらを踏まえて“あの出来事”を振り返ると、父たちはそれぞれ、自身は良かれと思って行動していたと思われる部分が垣間見えます。
父は、優しいからこそ、別の場所に居場所を求めてしまった。
伯母は、思いやりがあるからこそ、祖父母のことで過激になってしまった。
叔母は、面倒見が良いからこそ、中途半端に手を出してしまった。
以前のnoteで紹介した「盗人にも五分の理をみとめる」ことで、たとえ完全に許せなくても、憎しみの気持ちは、いくらか軽くなります。
生きている限り、「良いこと」も「悪いこと」もひっきりなしにやってきます。ボクは「良い」と「悪い」は表裏一体で、すべては考え方次第だと思っています。
たとえ「悪いこと」があっても、それを悲観せず、“転んでもただでは起きない”精神で、「そこから何を学べるか」を考えてみませんか? 少しでも学ぶことがあれば、それはちょっとでも「良いこと」に近づくのではないでしょうか?
▼さいごに
人生は一度きりです。みなさん一人ひとり、学ぶべきことや学びたいことは数え切れないほどあると思います。けれど、自分の人生だけで得られるものには限りがあります。しかし、他者の人生で起こった「良いこと」や「悪いこと」を知り、その人がそこから何を学んだのかを知ることができれば、少ない時間で、その人の知恵が手に入ることになります。
だからボクは、“あの出来事”から学んだことを綴って公開しています。
ある意味で、ボクは人生経験が浅く未熟な部分が多々ありますが、またある意味で、人によっては一生味わうことのない家庭問題を乗り越えた経験があります。
この貴重な経験を糧とし、前を向いて生きようと思います。
〈学んだこと 一覧〉
・お金は人を変える。もしくは、その人の本性を映し出す。
・どんなにつらくても、現実から目を背けてはいけない。
・やったらやっただけの結果が必ず付いてくる。
・信頼を得るのは大変だが、それを失うのは一瞬。
・『親子の仲でも金銭は他人』である。
・自分がされて嫌なことは、絶対に人にしてはいけない。
・人は、何歳であっても成長できる。
・不幸なのは、決して自分ひとりだけではない。
・正しいことを行う人には、必ず味方になってくれる人があらわれる。
・自分のことしか頭にないと、周りを不幸にしてしまう。
・マイナスの思考からは悪いことしか生まれない。
・悪口を言ってはいけない。なぜなら、それを言う人は価値を失うから。
▼あとがき
ここまでの文字数を計算したら、77,000文字以上ありました。
noteを読んでくださったすべての方に感謝を。とくに、最初から最後までお付き合いいただいた方、本当にありがとうございました。
公開したnoteは、定期的に見返して加筆・修正をしています。
何度でも読んでいただければ幸いです。
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