末日

テレビには、蛍の光をバックに日本国旗だけが映っている。
今日の0時をもって全てのテレビ放送が終了し、もうこの画面しか映らなくなった。昨晩、各局が1週間続いた超大型特番のフィナーレで喧しかっただけに、この静寂には現実感がなかった。もっとも大して面白くなかったので、最後すらろくに観はしなかったが。


たしか10年ほど前だったか、有名な政治家の誰かが、こんなことを言った。

「最近の日本、メシが不味いんだよね」

取り囲んでいた記者が応答に困ってしばらく沈黙する光景は、なぜか記憶に残っている。その後彼は、飲食業に失礼だとかなんとか批判されて、形式的に謝っていた気がする。

だが、それは決して嘘ではなかった。

はじめに、牛丼屋の飯が不味くなった。牛肉は濡れたティッシュのような、米は合成樹脂のような、生卵は他人の鼻水のような味がするようになった。

そして徐々に、安価でない食い物も不味くなっていった。そこそこのレストランでも、食卓に味の素が並ぶのは当然になった。それでも足りなくなって、やがてチェス盤のように調味料が林立し、それを誰も変だと言わなかった。だから私には、あの政治家の失言がとても解放的に聞こえたのである。


今思えば、それも一つのきっかけだったのだろう。

「滅亡」の2文字をよく見るようになったのは、間違いなくその時期だった。

初めそれは、野党が政権の失政を糾弾するために使う言葉だった。「滅亡内閣」「滅亡国家」は選挙運動のキーフレーズだった。国会で「滅亡」と書かれた大きな紙を広げた議員が、顰蹙を買っていた。

ところが「滅亡」ブームは、野党政治家の思惑とは違う方向で拡散していった。ネットでは日本の終わりを嘯くインフルエンサーが注目を集め、駅前の本屋に『滅びゆくわたしたち』なる本が平積みされていたこともあった。

だがまだ、そこまではネタの領域だった。潮目が変わったのはその後だったと思う。

SNSでは、日本をいかにして滅ぼすか議論されることが珍しくなくなった。それに反対する人々は「延命さん」と揶揄され、企業の公式アカウントは「延命さん」的発言によって何回か炎上していた。

ネットの外でも、人々は急速に滅びを受け入れていった。新年会の挨拶で、取締役が「じきに滅ぶ国ではございますが」などと言ったので私は可笑しく思ったが、誰も笑っていなかった。

そしてメディアが、広告が、書店が、最後には政治家が、日本の滅亡を謳うようになった。これが完全に国家の既定路線になったのは、今から3年前のことだった。


私は手持ち無沙汰になって、ネットで議事堂前の生中継を見ていた。動画サイトには大量の配信ページが並んでいたが、3番目に視聴者の多いページが一番シンプルで見やすい画面だった。最も視聴者が多い配信は、中継映像を端に追いやって、愛国的でノスタルジックな動画を流していた。テレビで何度も見せられたのによく飽きないな、と思った。

画面の右半分では、政府要人たちが着々と式典を遂行し、その前後に自衛隊員が整列していた。そして左半分には、大地を貫くようにそびえ立つ、「完結省」と刻印された巨大なミサイルの全体が映っていた。

その威容に見惚れながら、不穏当な群衆の動きを凝視していると、左上の数字が時刻ではなくカウントダウンだったことに気付く。見ればもう1時間を切っていた。

立ち上がって窓外の晴天を見やる。時折大きな声が聞こえてくるが、それ以外は平和そのものである。調べた限り、発射されたミサイルはこの部屋からちょうど見えるらしい。ということは、大気圏外で日本全国に拡散した後、落下してくる様子も見えるはずだ。私の部屋は、永田町に落ちる一発の爆発半径内であった。


ノックが聞こえた。
出ると、3人家族がすまなそうに立っている。夫の方は雀荘で会ったのをきっかけに少し親交があった。かれらの部屋は廊下を挟んで向かいにあり、発射の様子が見られないのだという。

招き入れると、もっさりした白い犬を抱いた妻が、犬もすいません、と言った。小学生くらいの娘は入るや否や部屋の隅に座り込み、スマートフォンを横向きにして何かに熱中しはじめた。

夫は断固とした歩調で窓際に立つと、さっぱりした感嘆の声を上げた。そして振り返って、楽しくてしょうがないといった風に、例のミサイルの話を始めた。弾頭の威力がどうだとか、諸外国の反応がどうだとかいう話は面白かったが、大部分はネットの受け売りにも思えた。

話題はやがて雀荘でのエピソードに移った。そのさなかでふと妻に振り向いた彼は、
「お前も麻雀覚えればよかったのになぁ」
「うん。時間がなかったからねぇ」
「そうかぁ」
と簡単なやりとりを交わす。諦めたように私に顔を向け、
「また近いうちに——」
そう言いかけて、パソコンの画面を見ると押し黙った。カウントダウンは、残り10分を示している。
あそっか、と彼は呟いた。


君が代は 千代に八千代に
細石の 巌となりて
苔の生すまで


首相の演説が終わり、式典の演目は発射を残すのみとなった。首相が発射ボタンに歩み寄る。

「日本が歴史上最も素晴らしい国であるために、今日このときをもって、国家の歩みを完結いたします。国民の皆様、そして諸外国の皆様、本当にありがとうございました。さようなら」

ひとしきり爆炎を噴き出すと、ミサイルは風船のように浮き上がっていった。少し遅れて、音にならない低い振動が私の全身を震わせた。4人と1匹が見つめるはるか遠くに、まっすぐ天空を目指す小さい芯が見えた。

向こうの空がほのかに赤らんでいる。
そろそろ夕暮れだ、と私は思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?