新幹線で豚まんを食べないマナーと自由について。
ちょっと前から私の興味・関心として『匂い』があり、最近関連するニュースとして以下のようなものを見た。SNSで軽く話題になっていたのでご存知の方もいるだろう。
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だいたい世間の受け止め方と変わらないと思うが所感を記しておこうと思う。
◆所感
ヤフコメやSNSを見る限り大多数の反応は『ルール違反じゃないから好きに食べればいいのに』というものだ。私の考えもこれに近い。
もし豚まん関連の事件が頻発していれば禁止というルールが決められているはずだが現実はそうではない。駅構内で売ってるらしいし。
ただ『ルール違反じゃないならOK』という考え方はちょっと危ないとも思っている。
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私は『ルールとして明文化されていないマナー』のようなものが無駄だとは思っていないタイプで、そのほうが多くの人にとって自由だと思うからだ。
多数の反豚まん派が正式な意見を出せば組織は動かざるを得ないかもしれない。クレームに対する企業のスタンスを見ればそうなるような気がする。
まあつまり、マナーというグレーゾーンで各自がそれぞれ調整(我を通したり、我慢したり)すれば、結果的に多くが自由を享受できるのだろうと私は考えている。お互い様の精神である。
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自由というのは『自分軸』みたいなことではまったくなく、周囲への配慮・調整を前提とするし、場合によってはそれに伴う不利益も享受することを意味する、と私は考えている。簡単に言えば責任を負うということだ。
新幹線で豚まんを食べる場合、ガチでヤバイやつに絡まれる可能性を含んだうえでの自由であり、不快感を感じる人たちのちょっとした我慢を前提とする自由である。その結果を組織の問題(ルールが無い)にせず個々人で責任をとる。自由というのはそういうものだろう。豚まんに限らず。
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そんなわけで、多くの人は『ルール違反じゃないから好きに食べればいいのに』という意見を持ちつつ、実際に食べるかというと別な気がする。少なくとも私はたぶん食べない。(状況によるが。)
結局、前述した『自由に伴うアレコレ(の可能性)』が面倒なのだ。美味しいものは落ち着いて食べたいし。もし買う際に座席や周囲の状況がわかっていないとしたら、そもそも買ってない気がする。
ただまあ、豚まんくらいなら多くの人はちょっと我慢すりゃいいくらいのことだとは思う。この程度で気を遣うようでは息苦しい世の中が加速するので、やっぱり個々人がもうちょっと我儘になりつつ他人の我儘も許容していくくらいの意識は必要かもしれない。
◆おわりに
それにしても、今回の『新幹線で豚まんを食べる』というのが仮に一般的なマナー違反だとしても、その結果被った精神的なダメージがまったく釣り合いがとれてない感じ。
ツイッターことXは『文脈を無視して短文で罵詈雑言を吐く奴』や『長文で論破してくる奴』で溢れかえっているのであり、不特定多数を相手に有効活用するには割と図太い精神力が必要だと思う。ほぼ情報発信してない私が言っても説得力無いが。
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