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サウンドクリエイターがなぜ泣くほど嬉しかったのか

東京2020オリンピックの入場式の行進で
ゲーム音楽のオーケストラが流れた

「これドラクエの曲や!」テレビを見ていて思わず叫んだ
すごい時代になったな~
いつかゲーム音楽が認められる日が来ますように
そう思ってひたすら曲を作り続けていた頃を考えると
それはもう想像を遥かに超えてた
もちろん私の曲などは使われていないけど
ほとんどのゲームサウンドクリエイターのみなさんや
すでに引退はされているけど貢献されてきたみなさんが
入場式の行進のことを心から喜んでおられたに違いない

それは、ゲーム音楽を認めてもらえず
悔しい思いをしたり、胸張って作曲家です!と言えなかった過去が多かれ少なかれあったからではないでしょうか

1,982~1983年頃は、まだゲームが認知されていなかったから
ひたすらゲーム音楽というものの説明が大変だった時期
まず「コンピューターで音楽を作っている」といってもほとんどの人が????の時代だった

ファミコンが発売された1983年7月
しばらくして家庭に浸透してきた頃から
いわゆる「ピコピコ音」という言葉が登場する
「ゲーム音楽作ってます」「あ~あのピコピコね」と帰ってくるのが常だった時代
なんかピコピコ鳴ってるだけの訳のわからない音
そう「音」という認識でまだ曲と思ってもらえない時期
「あれって曲なの?」とよく言われたものだ
一生懸命作って、ナムコなんてもうすっごい曲だ!って思っていても
一般的にはピコピコ音・・・という認識の枠の中だ

1984年にはすでに
アルファレコード内にゲームミュージック専門レーベル
「G.M.O.レコード」が立ち上げられていた

ゲーム音楽がひとつのジャンルになる日が来ると確信されてなのか
ジャンルに必ずするんだいう強い思いがあったのだろうか
早くからレーベルを立ち上げておられた小尾一介さんはすごい人だ
今回のオリンピックでゲーム音楽が使われるようになった
原点を作った人だ。讃えられるべき存在だと思う

その頃から
ゲームが好きな人達から曲として認められ
ゲーム音楽のファンが増えてきた頃ではあるが「あんな音楽がすきなの???」といわれ
理解してもらえず、ものすごく疎外感を感じておられただろうと思う
なんか申し訳なく、もっと私達が頑張らないと!と思ったものだ
しかしそれを作ってるサウンドクリエイターもまた「それって仕事?」「あれが音楽?」と理解してもらえなかったのだ
FM音源が登場してからは
「あ~あのゲームセンターで鳴ってるうるさい音やね」と言われ
いつまで立ってもそれは耳障りな音という領域を抜け出せずにいた


「いつかゲーム音楽というジャンルを確立したい!」

その頃から強く思い始めていた

1988年6月、サイトロン・アンド・アートが
ポニーキャニオンと「サイトロン・レーベル」を設立し
各ゲーム会社がバンドを作り
ゲーム音楽のCDが次々発売されていく

いよいよジャンル確立か!これで音楽として認められるよね
そう思って私達は大いに盛り上がっていた
「ストライダー飛竜」のアレンジバージョンがアルバムの中に収められることになり
アルフ・ライラ・ワ・ライラのメンバー4人でアレンジした
「曲の中のパーカッションの部分を生演奏でやりたい」
そう思い、サイトロンの方に
パーカッションのスタジオミュージシャンを
探してほしいとお願いした
いよいよゲーム音楽も打ち込みだけじゃなく生音入れるよとすごく盛り上がっていた
でも探していただいた結果
ほとんどのスタジオミュージシャンの方から断られた
プライドと技術を持ってやっておられる
スタジオミュージシャンの方は
ゲーム音楽なんて相手にしない
それが現実でした。
「そうだよね・・・・ゲーム音楽だもんね」
それを受け入れるしかなかった時代

ただ一人だけ最終ギリギリでOKしてくれた方がいた
北島三郎の「与作」で「カ~~~ン」というヴィブラスラップという楽器を入れた人だと言ってた。ほんとにいい人だった。気持ちよくこちらの要望を聞いてくれ楽しそうにパーカッションを入れていただいた
感謝の気持ちでいっぱいだった。
もし機会があれば「ストライダー飛竜」のアルバムの
「ヴァージョンスノウ・イン・サヴァンナ」を聞いてください
一生懸命パーカッションを演奏してくださってます

そうした厳しい状況の中でも
理解をしてくれたミュージシャンやエンジニアやマニピュレータと呼ばれる方々に助けられ、私達はCDを制作することが出来たのです

その後も弦楽四重奏を生演奏でと思っても
オーケストラのプロの方は来てくれませんね
音大の学生さんならやってくれそうですけど
と言う感じで。
私達は素人の集まりという枠から抜け出せず
「私は作曲家です」と胸はって言えなかった時代。言ってはいけないような気持ちになった時代

なので、オリンピックですごい一流のオーケストラでゲーム音楽が演奏されるなんてすごい時代です
私は早くに出産でCAPCOMを辞めてしまいフリーになったので
そんな厳しい状況しか知りません
その後はゲームの曲をオーケストラで演奏したり
海外で演奏会があったり、世界中にファンが出来たりして
どんどん認められる時代が来るのですが
ここまで来たか!!ですよね
もっといい曲を!、もっと技術を、もっと知識をと頑張ってこられたサウンドクリエイターの方々のおかげで
一つの音楽ジャンルをという望みを超えて
世界中に受け入れられる音楽の頂点として
また新たな一歩を踏み出したゲーム音楽の今後を楽しみに
私もいつまでも挑戦し続けたいと思います

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