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車が雪に嵌りました

 みすみんご自慢の四駆パンダを車検に出したタイミングで大雪が降りました。長野県は体感40㎝くらい積もったような気がします。代車で実家から借りた前輪駆動のパンダは雪に嵌って庭から出られなくなりました。

 みすみんは雪かきをしながら想いました。雪が災害として認知されだしたの、自動車の普及と関係あるのかなと。人間が徒歩と鉄道で移動していた時代は歩いていくことができただろうし、線路だけ除雪すればよかったのです。

 みすみんも雪の八ヶ岳は登ります。除雪されてなくても歩けます。しかし地上に降りると、自動車が走るための道路が一軒一軒の建物に通じていて、自動車が走れなければ生活が成り立たない社会が広がっています。除雪の手間が自動車の登場により人類に課されました。

 人類の文明圏が広がり、技術が高まるに従って、それを維持するコストがかかります。今まで災害とされなかった自然現象が災害として認識されるようになったのかもしれません。今まで台地や自然堤防に住んでいた人類が川の近くの氾濫原に住むようになれば氾濫も災害になります。高い堤防も必要になるでしょう。これからは電気と電波の時代ですから、どんな些細なことでも災害になるかもしれません。

 そういう意味では障害も災害に近い経過を辿っているかもしれません。 今までひとつの性格や特徴として存在していた肉体の状態が、人類文明が大量生産するようになるに従って、規格として押し込められるようになり、枠に入り切らなくなった特徴が障害とされるようになってしまったのかもしれません。

 みすみんも発達障害があるため、一度に多くの仕事をこなすことができません。就職も短時間のものはあまりないですからままならない。みすみんが働けないのは、働かせようという社会が一人あたりにかなりの量の労働を押し付けているからともいえます。障害は社会の側にあるという考え方もそこにあります。

 では大量生産を前提とした今の人類文明が、生み出してしまった健常者の規格から溢れた者たちにどう責任を果たすのか。必要な事物を必要な人に届けるために、生産の決定に規格から溢れた者の意思を反映し、文明の成果を最大限人類ひとりひとりに還元する仕組みを作ることが必要になるでしょう。

 資本主義が人類に対して責任を果たすとなると、すべての個人が主人公だという民主主義の意思決定と、学術的な思考が生産手段をコントロールする必要が出てきます。原義のコミュニズムです。いちばん資源を必要としている障害者が、健常者を前提とした生産規格に合わないという理由で生産する手段を絶たれ、貧困に苦しんでいます。各人の自由の発展のために、障害者から見たコミュニズム論とかないかなとAmazonで本を漁っています(資本主義の奴隷)

 結局、雪で車が出せなかったのでバイトはキャンセルしました。早く溶けてください。長野県の雪は、普段は降らないのにいきなり降って溶けて凍るので厄介ですね。

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