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他責思考と自責思考

今日、地元に住む妹から電話がかかってきた。妹は割と仲が良くて、しょっちゅうくだらない愚痴をこちらにぶつけてくるのだ。

私は、電話中に他のことをするのが苦手なので、電話がかかってくると必然的に自分の作業をストップせざるを得ない。そのことに若干ストレスを感じる部分もあるのだが、身内なので言ったり言えなかったりする。

それで、今日は「自分の他責思考を止めたい」という愚痴だった。なんでも、職場で嫌なことがあったらしく、それでイライラしていたのだそうだ。まぁ、これも普段通りではある。

だが「他責思考を止める」とはどういうことなのか?元々、日本人は自責思考が強いと言われている。妹だって、私に対してはざっくばらんな口ばかりを叩いてはいるが、根は繊細で内弁慶なのだ。それなのに「自分が悪い」と責め立ててどうなるというのか。

「自分が悪い」と責め立てるのは簡単だ。そもそもが完璧な人などいないのだから。

例えば、私は今朝は9時半に起きた。何度も寝直して、ようやくその時間に起きたのだ。学校に行くための昼食を取る時間が11時であることを考えると、もう少し早く起きて、作業を初めた方が良かったはずである。

だが、そんなことで自分を責めてどうなるというのか。結局自分が傷つくだけである。「明日は早く起きよーっと」くらいの気持ちでいいのだ。一々重く捉えすぎるから辛くなる。

大体、現代社会は急ぎすぎなのだ。別に少し出社や作業が遅れたとしても誰かが死ぬわけでもなければ、特段困るわけでもない。ただ会社の生産性が、ほんの少し低下したりしなかったりする程度なのである。それを鬼の首を取ったかのように騒ぎ立てて、目の敵にする社会。もう少し、穏やかであってくれるといいのになと思った。

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