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人類こそ環境を破壊する地球の癌だ。人類を人道的に減らすため、女子教育の推進を。

さて、刺激的なタイトルを付けてみたが、英語圏のリベラルメディアではちょくちょく話される内容を紹介しよう。

環境を守るための究極の方策は、人類の減少だ。

人間は、生きているだけで環境を破壊する。極論すれば、人間が生きるためには土地のリソースーー典型的には食糧生産のための農地――を何らかの形で使わねばなず、その土地に住んでいた生物の生存リソースを奪うことに出る。これは不可欠のことであり、たとえ再生可能エネルギーしか使わないヴィーガンであっても定性的には自然の生態系を破壊しなれば生きていけない。

ここから、環境を守るための究極の方策は人類を減らすことである、という結論が導かれる。これも突拍子もない意見では決してなく、1970年代には人口爆発が危惧されローマクラブの活動につながっていたし、人類史を見れば(当該時期の技術的限界で規定される)環境収容力の限界による人口停滞は何度も出現している。

人類を減らす最も効果的な手段は、女子教育だ。

人口爆発の問題が言われ出して以降、人口抑制は「正義」となり、様々な人口抑制策が言われてきた。その典型例は避妊具の配布であり、アフリカでは蔓延するHIVの対策とも合わせてコンドームの無償配布が行われている。

数ある人口抑制策の中で、近年急激に浮上してきているのが女子教育である。先進国の少子化、女子教育が普及しつつも先進国ほど産業が進んでいない「中進国」での顕著な出生率の低下など、女子教育が産児数を減らすというデータが否定できないほど多く溜まってきているためである。教育を受けた女性は子供を産まなくなるというのは、特に途上国の人口政策を語るうえでは外せない要素になりつつあるのが現状である。

国連の人口予測モデルは以下の3つのデータに基づいています。出生率、移動率、死亡率です。女子教育の普及や、都市化の速度は考慮されていません。
……(人口統計学者の)ウォルフガング・ルッツ…の言葉を借りると、ヒトの最も重要な生殖器官は脳なのです。生殖についての考え方が変われば、すべてが変わります。彼の分析によると、出生率を左右する最大の要因は女子教育です。
……例えばフィリピンでは、2003年から2018年の間に、出生率が3.7から2.7まで減少しました。わずか15年で、各家庭から子どもが1人減ったのです。

環境を守るために、女子教育で人類を減らそう。

この2点を合わせたとき、「環境を守るために女子教育で人類を減らそう」というコンセプトが立ち上がってくる。これは冗談でも煽りでもない。ベイエリア発のリベラル知識人に支えられた温室効果ガス削減プロジェクトであるDrawdown計画参考)では、温暖化阻止に効果的な対策トップ10として以下のようなリストを挙げている。

1. 冷蔵庫・エアコンのリサイクル(冷媒の代替フロンの温室効果が大きいため)
2. オンショア風力発電
3. 食べ物の無駄削減
4. 植物メインの食事
5. 熱帯雨林保護・再生
6. 女子教育
7. 家族計画

8. 大規模太陽光発電
9. 森林放牧
10. 屋根上太陽光発電

このリストの中でも、6位に女子教育、7位に家族計画と人口抑制策がリストされている。女子教育の項目では、以下のような説明がされている。

Women with more years of education have fewer and healthier children, and actively manage their reproductive health.
(より長い期間教育を受けた女性は、少数の健康な子供を産み、能動的に周産期の健康を管理するようになります)

項目全体では「温暖化しても対応できるようになる」という記述が多く、なぜ温暖化阻止につながるのかという点の説明が少ないが、コアはここである。女子を教育すると少子化する。それにより人口を減らし、人類全体として環境に与える影響を減らすのである。

念のためもう一度書くが、これはベイエリアの意識高い系リベラルが大真面目に言っていることであって、単なる現象の記述である。

女子教育を進めた社会は少子化で滅ぶのか?

先進国では昨今少子化は危機的状況として扱われ、自分たちの社会は子供がいなくなって滅ぶのではないかと恐れている人がいる。そして、女子教育が少子化の大きな原因であることが明らかになるにつれ、「女子教育をした社会は人口が減って滅ぶのではないか?女子教育をしない社会だけが生き残るのではないか?」と考える人が出てきた。このような考えは非倫理的であり、反人権的である。しかしながら、人口問題を扱う学者であれば、それが反人権的と知りつつ、現象として起こりうると言う人はいるのである。

その典型例はEric Kaufman "Shall the Religious Inherit the Earth?: Demography and Politics in the Twenty-first Century"あたりだろうか。彼は、欧州移民論における「イスラムの子だくさん」説への反駁として、宗教を問わない信仰心の強さと産児数を比較し、その結果から、リベラル世俗主義は少子化で人口を減らし続け衰退し、宗教的保守主義が人口を増やして地球を制圧するという含意を導いている。

また、前掲の記事で紹介されていたDarrell Bricker & John Ibbitson "Empty Planet: The Shock of Global Population Decline"は、そのタイトルからして"Empty Planet"であり、女子教育の推進により人類は少子化で滅びるという刺激的な示唆を表題に掲げている。

少子化対策として女子教育削減などとは言えないわけだが……

もちろん、現代の先進国に生きる人間として、「少子化を抑制するために女子教育を減らして"産む機械"として扱う」などという提案に賛成できるわけがないだろう。女性の皆さんも絶対に賛成しないはずである。

ただ、人口学的には「女子教育を受けて権利に目覚めたあなた方一人一人の選択によって、女子教育を大事に考える社会は滅びる」ということが示唆されているのも事実である。現状人口比を維持している社会にしても、移民――すなわち、女性を産む機械として扱う「未開」な国の巨大な再生産力に頼っているのは事実である。「移民がいれば少子化も問題ない」という主張は、「私の権利を守るため、途上国の女性を"産む機械"にすればいい」と言っているのと同義だ。

少子化対策を突き詰めていくと、このように反人権的とも言える火中の栗を触る必要が出てくる。だが、これを御さずして、少子化対策はできないだろうし、少子化対策と称して無理な政策を進めるくらいなら、ここは何とかするしかないように思われる。



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