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ぼくらの震災復興10年史

こんにちは、藤原です。

東日本大震災からまもなく10年が経とうとしています。

KUONをはじめ、ぼくたちの会社MOONSHOTは、これまで震災発生から色々なかたちで被災地と関わることがありました。

正直なところ、ぼくらは当事者ではなく、かと言って無縁でもない立場なので、毎年この時期になると書くことが良いことなのか、そうでないのか、分からなくなることがあります。

善意ではじめたこと。
ビジネスとしてはじめたこと。
サスティナビリティとしてはじめたこと。
ぼくらは、「絶対的に、圧倒的にかっこいいモノをつくる」という信念を持つファッションブランドなので、そもそもこれがカッコいいことなのか。

それを整理することも兼ねて、今日は書いてみたいと思います。

きっかけ

ぼくら、というか、ぼくが会社を立ち上げたのが2012年4月、1番最初のnote「ぼくらが店を出す理由」にも書きましたが、当時ファッション業界とは無縁の仕事をしていたぼくが、ファッションをツールとしたソーシャルビジネスをしたいと思い、1sinというブランドを2011年2月に立ち上げたのがスタートでした。

デザインによる社会的課題の解決に取り組む(当初は、“ファッションビジネスを通して社会的課題の解決に向けて取り組む”だったと思います)を活動理念として掲げていました。
と言っても、ファッションもソーシャルビジネスもど素人だったので帽子3型を手売りで営業することくらいしかできませんでしたが。

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ブランドを立ち上げた翌月の2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。当初は違うアプローチで社会的課題の解決に取り組むべく準備をしていたのですが、ほとんどの人がそうであったように、ぼくも震災復興に取り組むことに変更しました。
表現として不適切かもしれませんが、当時のムーブメントは日本にとって大きな転換点になった気がしています。
個人的には、ぼくの人生の恩師が宮城県南三陸町出身であったことも少なからず影響はあったと思います。

震災直後はぼくの様な素人が手を出すべきことではないと思い、実際に動き始めたのはその年の8月頃からでした。

ちょうど大手アパレルさんとかのチャリティーとかがひと段落した頃です。
資金も実績もない1sinでは現地にアプローチをすることもできず、当時の仕事のつながりで社会福祉協議会を通じて、避難所となっていた川崎市のとどろきアリーナと福島県の南相馬市の体育館に「お針子のお仕事募集」の張り紙を貼らせていただきました。

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貼り紙と1本の電話

当時はぼくみたいな怪しい人たちがたくさんいたので、現地に行くことはもちろん、貼り紙を貼るのもたくさんの規制がありました。

貼り紙を貼らせてもらったけど、正直これで何かあるとは思っていなかったところ、その2、3日後に一本の電話が掛かってきました。

電話をくれたのは、南相馬の避難所で貼り紙を見てくれたおばちゃんでした。

「刺繍が好きで、興味がある」とのことでした。

この1本の電話が今につながっているのだと思います。

福島の南相馬市からはじまり、宮城の南三陸町、岩手の大槌町とつながっていきます。もう、本当にたくさんの出会いや、嬉しいこと、悔しいこと、できたこと、できなかったことがあって、書き始めたら本になっちゃうと思うので、これはぼくが引退したときまでとっておこうかな。

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1sinではじめた事業も、2016年にKUONがスタートしてからは、そちらに引き継いで、徐々にですが規模も大きくなりました。
「ぼくらのサスティナブルファッションのすすめ」に書いてありますが、昨年は大槌をはじめとしたサスティナビリティ事業に620万円程の仕事を発注できるようなりました。

ひとりではじめた会社も、少しずつ関わる人が増え今のチームになりました。

そう、復興と言われる10年はぼくらの会社の成長の軌跡でもあります。

南相馬では1sinのシャツに刺繍をしてもらうことを仕事としてお願いしました。

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南相馬から大槌町まで

最初は仮設住宅の一画にある集会所に集まっていただき、ぼくが現地で縫い方を教えて作業をしていただきました。皆さん、同じ南相馬市でもさまざまな地域から仮設住宅に入居されていたので、近所に知り合いも少なく寂しい思いをしていたそうです。それが刺繍を通じてコミュニティが出来ていったのは嬉しかったです。

ある日、中心メンバーの一人が集会所に来ないということで他の方が訪ねていったところ、部屋で倒れているのを発見し、すぐに対処できたことで事なきを得たということがありました。当時は皆さん慣れない生活で多くのストレスを感じていたそうです。

ぼくが南相馬市に通い出したのは2011年の夏からでしたが、それでも当時の現地は至るところに震災の爪痕が残っていて、同じ日本なのかと大きなショックを受けました。

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(2012年頃、宮城県南三陸町にて)

正直、当時の商品はクオリティで言えば決して良くはなかったのですが、多くのサポートをいただき東京のショップでも取り扱っていただくことができました。徐々に南相馬市だけでは人手が足りなくなり、ご縁があって次に宮城県の南三陸町に広がっていきました。

ぼくはビジネスとして関わる。と決めていたので、刺繍をするお母さんたちにも質を求めました。ほとんどの人がそれまでファッションビジネスに関わることがなかった人たちなので、最初は戸惑ったと思います。

当時は「寄り添う」という言葉がよく使われていて、ぼくも「まー、いいかな」と思うことは何度もありましたが、現地でお母さんたちとチャリティーのように一回で終わるのか、それともそれが仕事として続くのか、どっちがいいかを話し合うと、やっぱり皆さん仕事としてやりたい。と答える方が圧倒的に多く、ぼくも中途半端に関わるのではなく、これが事業として成立することを第一に考えて取り組んできました。

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資金やPRを兼ねてクラウドファンディングに取り組んだのもこの頃でした。


大きな失敗として、被災した工場のリブランディングを依頼されて取り組んだ際に、寄り添い過ぎて、本来は仕事においては対等であるはずの立場が、「藤原さんが全部やってくれる」になってしまい、結局途中で頓挫してしまった案件もありました。本来であればもっと高いレベルの技術や製品をつくることができたと思います。KUONにはこの教訓が大きく活かされています。

KUONと大槌刺し子

南相馬市、南三陸町と広がっていった取り組みは、次に岩手県の大槌町にも広がります。

ここで大槌復興刺し子プロジェクトと出会います。

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最初は1sinの仕事をお願いすることから始めましたが、この時にはKUONの構想はできていて、次のステップとして刺し子でボロの修理をする仕事を依頼しました。最初は皆さんにボロ生地を見せたところ「ギャー」というリアクションでした。高齢のおばあちゃんたちからは「小さい頃に着てたわ!」という声も聞こえてきました。

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ぼくがよく使うこの写真は、この「ギャー」となった直後に、サンプルでつくったジャケットの値段を伝えたところ大興奮をして嬉々として試着をはじめた様子です。

ぼくらだけではありませんが、KUONで一緒に仕事をするようになって5年、本当に今では立派な刺し子職人集団になりました。おそらく規模で言ったら日本一だと思います。

刺し子の技術だけでなく、ファッションのことも理解してくれて、最初はすべて指示を出していたのが、今では佐々木さんを中心としたスタッフの方々が手配をしてくれて頼もしい限りです。

10年を経て

いま被災地でKUONが活動をしているのは大槌町だけです。

南相馬や南三陸町のお母さんたちは皆さん仮設住宅を出て、新居に住まわれています。いまでも何人かとは年賀状やFacebookでやりとりを続けています。惜しいなと思うこともありましたが、本来アパレルとは無縁な人たちなのでこれでいいと思っています。各地に知り合いもたくさんできました。

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南相馬市、南三陸町、大槌町、いろいろな地域で皆さんとお話をしたときのことです。

「針仕事をしていると、嫌なことを忘れるの」

「藤原さん、この仕事で孫におもちゃ買ってあげたんだよ」

「藤原さん、家建てるからもっと仕事ちょうだい」

「藤原さん、私たちが考えたデザインどうですか?」

どんどん仕事に誇りを持つ様になっていきました。

やってきて良かったですよね。

ぼくは性格的に、イノベーションとか、急成長というのが好きです。
こういった事業は正直時間も資金も、労力も掛かります。
それに見合うリターンも不確定です。だけど、とっても気持ちがいいです。

大槌刺し子のメンバーは2018年のTOKYO FASHION WEEKのランウェイにご招待したので、次はパリでランウェイをする時に招待したいですよね。

KUONはこうした活動を続けることでファッションブランドとしての幅だったり、懐の深さが出てきたのではないかと思っています。事業としてもある程度の結果が出せる様になってきて、こうして皆さんに知っていただく機会も増えてきました。昨年9月にオープンをしたKUON Flagship Storeの店頭に立ってお客様とお話をすると、KUONの活動に共感して応援してくれている声をたくさんいただきます。嬉しいです。ありがとうございます。

近年のファッション業界のキーワードっである 「SDGs」や「サスティナブル」に取り組むブランドや企業が増えているのも良いことだと思います。皆さん真剣にやりましょう。

いつもはnoteの最後に、総括的なことを書くのですが、今回は特にありません。これからもいいものづくりを続けていける様に皆さんと頑張ります。10年は一区切りですが、全然終わりではありません。コロナ禍はぼくたちに新たな課題を出しました。

最後にちょっと告知を。

大槌刺し子との新しい取り組みとして「ボロ デバイスストラップ」をつくりました。

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おかげさまで大好評につき3回目の再販も残りわずかとなりました。
目標は10000本です!良かったら使ってみてください!

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