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仙の道 18

第八章・解(2)


誰も近付けなかった取調室のドアが開き、礼司と副署長が姿を現すと、廊下に詰め掛けていた警官たちが一斉に後ずさりした。
「おいっ!副署長を開放しろっ!」中の誰かが声を掛けた。
「あ、御心配なく。すぐに戻りますんで。それに、僕ら別に拘束してるわけじゃないですから、ほら」礼司は両手を開いて素手であることを皆に見せた。

「いいんだ…君たちは、下がってて…」副署長が諌めたが、半数ほどの警官たちがぞろぞろと2人の後にくっついてきた。
「あの…トイレは…?」
「あ、ああ…そこだ。そこの脇の…私は、どうしたら、いいかな?」
「申し訳ないですけど、一緒に入って貰えますか?動かなくされるのとか嫌でしょう?」
「ああ…分かった…」


署長室は階上だった。副署長がドアをノックすると、中から「どうぞ」と返事が返ってきた。

「失礼します」部屋に入ると、応接セットの向こう側のデスクで3人の署員が真剣な面持ちで相談の最中の様子だった。

「秋山さん…あなた、今、取調室に閉じ込められたって…」まだ40そこそこといった細身の制服姿の男がこちらに顔を上げて呟いた。この男が署長らしい…

「別に閉じ込めてなんていませんよ。少しお話をしてただけですから…」礼司が弁明する。
「この人は?どなたですか?」
「あ、こいつですよ。片割れの若い方の…」署員の1人が礼司を指差した。
「初めまして、春田といいます」
「な、何でその人がここに来るんだ?秋山さん、どういうことですか?」
「いや、副署長さんにはここまで案内して貰っただけです。うちの神谷が署長さんにちょっと訊きたい事があるんで、呼びにきました」

2人の署員が咄嗟に署長の前に立ちはだかった。
「なんだっ!署長に何する気だっ!」
「だから、お話を伺いたいんで呼びに来たんですよ。すぐに一緒に来てくれませんか?」
「一体、何の話を訊きたいんですか?」
「えーと、被害者がいないのに、なんで逮捕状が出せたのか、そのからくりを話して頂きたいってことですけど…」署長の顔色が変わった…

「な、何を言ってるんだ君は…そんな、からくりなんてある訳がないだろうっ!いいから出てって頂いてくれ。大体、秋山さんは何故言いなりなんですか!」

副署長は傍らで俯いたままだった。
2人の署員が礼司に歩み寄り、肩に触れようとした途端、2人はそのまま固まって動かなくなった。

「おい、何だ?どうした?2人ともなにしてるんですかっ!」署長はデスクから立ち上がって懸命にことを理解しようとしていた。
「署長さん、もう大体のことは分かってるんですから、素直に応じて貰えませんか?どうせ、嫌でも何でも来て貰いますけど…」
「お、お前たちは、一体…何なんだ?わ、私は絶対に従わないからなっ!」
「仕方ないな…」礼司は署長を見つめた…
『おい、礼ちゃん、無理すんなよ。大丈夫か?出来るか?』取調室から様子を窺っていた善蔵の声が聞こえる。
『はい。多分…』

署長は、空ろな表情で礼司の傍に歩み寄ってきた。彼の身体にはもう既に彼の意思はなかった。
『こんな感じですけど…大丈夫ですかね?』
『まあ、ちいと強めだけど、抵抗するんじゃ仕様がねえな。それ以上あんまり強くすんなよ。後で口がきけねえんじゃ話になんねえからよ』
『了解です』
「あの…この2人は…このままでいいんですか?」副署長が立ったまま固まってしまっている2人の署員を指差して訊ねた。
「ま、このまんまにしておきましょう。下に着いたら、自由にしますから」
「で…私は…どうしたら…?」
「あ、副所長さんはもういいですよ。それとも、一緒に来ます?」
「そう…そうだな…署長のことも心配だし、そうさせて貰おうかな…」


署長は取調室の椅子の上でようやく我に返りつつあった。
移動の際の礼司からの呪縛が強過ぎたのか、暫くの間片手で目頭を押さえ、俯いていた。

「おい…大丈夫かい?署長さんよ…」
目の前に腰掛けた善蔵が声を掛けると、署長は空ろな表情でゆっくりと顔を上げた。
「は、はい…ここは?…」
「取調室だよ。あんたがなかなか言うこと聞いてくれねえから、そこの坊やが無理やり連れて来たんだ。ま、身体乗っ取られたんだから、あんたは覚えてねえだろうけどよ」
「あ、あの…おたくは…?」
「ああ、あんた等に逮捕された神谷善蔵だ。さっき、春田くんにも言われただろう?ちょいとよ、署長さんに訊きたい事があんだよ」
「いや…しかし…何故こんなことになるんだ?…」署長は部屋の中の様子を見回した。
周囲には取調官や署員たちが為す術もなく不安げに署長を見つめている。

「すいません…署長…我々にはどうしようもなくて…」副署長が申し訳なさそうに呟いた。
「なんでこんなことになるのかは、こっちが訊きてえんだよ。何で俺達に逮捕状が出たんだ?」
「そ、それは…お前たちが暴行を加えたからで…」
「ほう…そこのあんちゃんもそう言ってたけどよ、成和会に乗り込んだ時のことを言ってるんだろ?」
「そう…そうだ…」
「で、誰が怪我したって?」
「それは…組員のうちの何人かが…」
「そりゃおかしいな…俺達ゃ誰にも触れてもいないんだぜ」
「そ、それは…あんた達の言い分だろ…」
「じゃあよ、怪我したっていう成和の連中の被害届、見せてみ。どこでどうでっち上げたのか知らねえけどよ、誰の署名も取れてねえだろう?」
「な、何であんたがそんなこと…」
「あのよ、うち等と成和はよ、実あもう手打ちが終わってんだよ。所轄の連中が裏でちょこちょこ細工してんのは全部知ってんだ。ちっとカマあ掛けりゃ嘘八百並べ立てやがって…お前え、見たとこまだ若そうだけどよ、ここには本庁から来てんのかい?」
「……」
「おい、小僧…お前えの上にいんのは誰だ?お前えはただの使いっぱしりなんだろ?尾崎回りのごたごたと絡んでるこたあとっくに分かってんだ。俺達2人が大人しくここに来たのはよ、お前え等全員を一切合切から手え引かせる為なんだよ。もういい加減覚悟決めて知ってる事あ全部喋っちまえ」
「私は…何も…何も知らない…」
「まあ、お前えが喋りたくねえ気持ちも分かるけどよ、それで許して貰おうなんて思ってんだったら大間違いだぜ。喋らねえんだったら、無理やり聞かせて貰うだけだからよ…」
「何だっ?…ど、どうする気だっ?…」署長は恐怖に顔を引きつらせて、思わず椅子の背に身を引いた。
「なあに、触りもしやしねえよ。お前えの脳みそん中に入り込んで、知ってることを洗いざらい見せて貰うだけだからよ。あんたにゃちょっとしんどいかも知れねえが、ま、仕方ねえな」善蔵は身を乗り出し、相手を睨みつけた。

「や、やめろっ…」署長は椅子から転げ落ちるように身を離し、窓際で身を縮めた。

「署長…知ってることがあるんなら、お話した方がいいですよ。抵抗しない方がいいと思いますけど…」壁際の副署長が恐る恐る助言した。
「わ、分かったっ!話す!話すから…やめてくれ…頼む…」署長はようやく観念した様子だった。


果たして署長は、成田会長からは聞けなかった殆どの組織構造を知っていた。彼はこの警察署に本庁から派遣された警視正だった。善蔵と礼司の件に関しては本庁の上層部である警視監から直接指示を受けていた。この警視監を動かしていたのは横浜地検トップの検事正であり、尾崎に内通し、裁判所を動かしていたのもこの検事正だった。全ては尾崎の政治活動を裏から支援する為の仕組みであることは明らかだった。

「国交省のことは、私も良く知りませんが…」
「まあ、そっちは成田会長からも聞いてるし、こっちの調べもあるから大丈夫だ。これで全て解明ってことだな。有り難うよ。とにかく俺達の疑いも晴れたって事だよな?」
「あの…それで…このことを…公開するつもり、なんでしょうか?」署長が恐る恐る善蔵に訊ねた。
「ん?なんでだ?」
「いや…私の話だけで…あの…全ての共謀関係を立証するのは…難しいかと…」
「はは…心配にゃ及ばねえよ。表沙汰にしようなんて事あ思ってねえからよ。俺達ゃ警察でも裁判所でもねえんだぜ。事実さえ分かりゃあ、それでいいんだよ。お前えが心配しなくても、すぐにぶっ潰してやるからよ。今ここで、全員息の根止めることだってわけねえんだ。ま、そこまで無粋な事あしねえから安心しな。ただしよ、大掃除にはなるからな。覚悟はしとけよ。なあに、世の中警察だけじゃねえんだ。こんな汚えことからは、とっとと足洗って出直すんだな。さぞかし大事に育てられたんだろう?親あ泣かせるんじゃねえぞ、全くよ…」
「あ…は、はい……」
「おう、それとよ、成和の成田と直接連絡取り合ってたなあどいつだ?」
「はい…私ですが…」部屋の隅で取調官が小さく手を挙げた。
「なんだよ…お前えかよ…確信犯だな全く…まあ、いいや。悪いけど成田に伝えといてくれねえか。じき全部片付くから、もう横浜離れても大丈夫だろうってよ。神谷善蔵がそう言ってたってな。分かったか?」
「はい…そう伝えれば分かりますか?」
「おう。くれぐれも宜しく言っといてくれよ。じゃ、礼ちゃん、俺達ゃそろそろおいとまするとすっか?」
「はい…」


礼司と善蔵は、警察署の車両で、再び川越の飯場に送られた。
車中、善蔵は神妙な面持ちで黙って何者かと交信している様子だった。
時間を持て余した礼司も葉月との交信を試みてみた...
覚醒した自分のもう一つの意識をゆっくりと解き放してみる…もう一人の自分が空間の中に広がってゆく…まるでレーダーの出力が上がってゆくように知覚が広がってゆく…やがて、知覚の先が何かに触れた。その場所に向かって再び自分を凝縮させてゆく…すぐ近くに葉月の息づかいが感じられた。

『誰?ゼンさん?』葉月はその気配を感じてすぐに反応した。
『いや、僕…だよ…』
『え?礼司くんなの?本当に礼司くんなんだあ…出来るようになったのね…で、どうなの?ゼンさんと一緒に逮捕されちゃったんでしょ?あれ?でも…移動中ね…あ、こっちに向かってる…』
『うん。無事釈放されて、今、帰るとこ。警察の車で送って貰ってる…』
『ゼンさんも一緒?』
『うん、そうだけど…』
『じゃ何であたしには何にも報告してくれないのよ…みんな心配してるのに…』
『いや、ゼンさん、今誰かと話してるみたいだから…』
『誰かって、誰よ?』
『知らないよ。車に乗ってからずっとなんだもん。葉月ちゃんの方が付き合い長いんだから、誰だか分かるんじゃないの?』
『誰だろ?…ま、いいや、ゼンさんは、分かんないこと沢山あるし…それより、大丈夫だったの?誰も怪我させなかったでしょうね?』
『うん、もう大丈夫。ゼンさんや葉月ちゃんがいろいろ教えてくれたから、どうやったらいいか大分分かってきた』
『本当…礼司くんがここまで話に来るんだもん、びっくりよ。ちゃんと話せてるしさ、一気に上達したわよ。偉い偉い』
『へへ…ありがと…』
『そうだ、さっき英一おじさんから連絡があって、尾崎って人が動き出したから、ゼンさんに伝えといてって』
『分かった。伝えとくよ。今日は葉月ちゃんは、飯場には来ないの?』
『まだ2、3日は無理かなあ…荷造りもあるし、お世話になったから後片づけもちゃんとやっとかなきゃなんないし…送別会もしてくれるって言ってるし…』
『え?葉月ちゃんどっかに引っ越すの?』
『あら、ゼンさんから聞いてないの?暫くゼンさんの仕事手伝いに川越離れることになるから、身支度しとけって…だからあたし、この下宿引き払うのよ。礼司くんも一緒でしょ?』
『聞いてないよ…なんにも…』
『ま、礼司くんは身軽だから急に言われても大丈夫だろうけどさ、こっちは大変なのよお。折角厨房で下ごしらえくらいはちゃんと出来るようになったのにさ…あたし、伯父さんから結構筋がいいって言われてんのよ。でもまあ…ゼンさんの仕事の方が大切だから、仕方ないけどね…だからすぐには行けないのよ。片付いたらそっちに引き揚げるわ』
『分かった。じゃ、頑張ってね。待ってるから…』
『実は、ちょっとワクワクしてんだけどさ…あ、無事終わったこと、こっちからお父さんに電話しとくね』
『うん、宜しく…』礼司は意識を葉月から切り離して、移動する車の中の自分に立ち返った。

「おう、何だ?葉月と話してたのか?」善蔵が礼司の顔を覗き込んでいた。
「ええ…無事に終わったんなら連絡してくれって、怒ってましたよ。あと、浅川さんからの連絡で、いよいよ尾崎が動き出したって。それより、ゼンさん誰と話してたんですか?」
「ああ、ちょっとな…仕上げだ」
「仕上げ…?」
「そう、明日よ飯場の方に使いをよこすってよ。それでもうこのごたごたはお仕舞えだ」
「お仕舞いって…これで終わりってこと?…ですか?だってまだ、情報が掴めただけじゃない…」
「あとはお上に任せりゃいいんだよ。俺達がやることはここまでだ」
「お上って…?」
「なあに、明日になりゃ分かるよ。それよりよ、いよいよ尾崎って野郎の顔を拝めるかもだな」
「副大臣が僕らのとこに来るっていうことですか?」
「まあ、向こうにとっちゃ、それぐれえしかもう手がねえだろうよ…」

第19話につづく…

第1話から読む...


連載小説『仙の道』では表紙イラストを、毎回一点イラストレーターであり絵本作家でもあるカワツナツコさんに描き下ろして頂いています。

カワツナツコさんの作品・Profileは…
https://www.natsukokawatsu.com





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