見出し画像

その遊びは祈りにも似て

気分転換に最近始めたのがお手玉。
かなり前に作ったこのお手玉は、母が小さい時に着ていた晴れ着の生地をリメイクしたもので、中に入れているのは、前住んでいた所の小さな川に生えていたジュズダマの実だ。

私はお手玉が得意ではないから、まだ2つの玉を右手と左手に投げ合うことしかできない。
今挑戦しているのは、片手で2つのお手玉を投げる技(?)
これが結構難しくて、はじめて4日になるけれどかなかか続かない。
汗をかきながら必死に遊んでいると、お手玉を手で受け取るときの感触や音の心地よさに気がついた。
ジュズダマが擦れあい、手に落ちた時に聞こえるザクザクという音。
手に残る適度な重み、ジュズダマの大きさが残す刺激。
ぬいぐるみなんかに入れる「ペレット」で作ったお手玉もあるけれど、全然違う。
これは癒しの道具だな、と思いながらお手玉を投げていると、鮮やかな色の生地が目に入ってきた。
「そういえばこの布は、母が小さい時に着ていたんだな。
子どもの頃の母が、この着物を着ながらお手玉をしていたかもしれないな。」
そう思いながら、小さい頃この着物の柄を着た母が、叔母たちと笑いながらお手玉をしている風景を思い描いた。

母はお手玉が得意だ。
お手玉を渡すと、片手2つや両手3つを難なくやってのける。

高齢の母は、今入院している。
5月に父である夫を亡くして、緊張が解けてもう自分が倒れてもいいと思ったのか、脳梗塞で救急車で運ばれた。
もうすぐ入院して1ヶ月になる。コロナ禍、遠方にいる私は何もできない。

そんな想いの中お手玉をしていると、涙が止まらなくなってしまった。
そして高く投げ上げた玉に祈りをこめながら、受け止めた。
何度も何度も。
私が片手二つを上手くできる頃には、母はきっと元気に退院できるんじゃないかしら。
元気になったら一緒にお手玉をしよう。
きっと私より上手だから、得意げで嬉しそうな顔をするに決まっている。

ふとジュズダマのことを調べてみた。
ジュズダマの花言葉は「祈り」だった。

よろしければサポートを願いします!サポートは、手作りを広める活動に使わせていただきます!