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小論文過去問:静岡大学2022年度

人文社会科(言語文化)学部 前期

次の文章は、毎回一つのことばを取り上げ、コメントを付けていくコラム 「折々のことば」に掲載されたものである。これを読み, あとの設問に答えなさい。(配点100%)

多様性って、やっぱ覚悟いりますよ。
上田奈代

大阪・釜ヶ崎で 「こえとことばとこころの部屋」 を主宰する詩人は,多様性は「自分にとって居心地のいい人だけと一緒にいること」とは違うと言う。むしろ「招かざるお客さん」 とどう 「出会い直して」いくかが問題だと。 であれば、 時にその筆頭が自分であることも?  認めたくない自分が自身の奥に居座る。 『TURN NOTE TURN をめぐる言葉2020』 から。
(鷲田清一 「折々のことば」 『朝日新聞』 2021年7月13日朝刊)

問 この文章の趣旨を踏まえ, 多様性についてあなたの考えを述べなさい。(600字以内)


多様性とは、「自分がたくさんいる人間の中の一人に過ぎないと認めること」であると考える。人はともすれば自分が世界の中心であるかのように振る舞い、その基準から外れる者がいれば排除しようとしがちだ。しかしそれは、他者から見た自分にも同じことが言える。

本来、多様性とは「自分とは異なる国籍、性別、嗜好、宗教、文化などを持つ人々がいることを受け入れる」ものである。そしてそれは、自分を基準にした上で他人が"異なる"のではなく、"自分も相手も違っている"ことを認めるという意味のはずだ。

現在、日本で起こっている問題のひとつが移民である。例えば、最近では、イスラム教の人々が日本では土葬が可能な場所がごく少数であることについて、土葬を可能な場所を増やすように抗議しているというニュースがあった。多様性を認めるのであれば、日本はこの抗議を受け入れるべきか?否である。まず前提として、移民である以上、「火葬文化」である日本を"選んで"移住してきており、その国の文化が自分たちとは違うものであっても受け入れるべきである。どちらかを重んじたり軽んじたりしているわけではなく、選択の余地がある以上、違いを受け入れるべきである。

日本人は特に"自分が周りと異なっていることを認める"ことは勇気がいるかもしれない。だが、同調圧力の強い画一的な社会は終わりを迎えている。自分が自分として在るために、多様性を受け入れていく必要がある。
(600字)


わかるようで全然わからない「多様性」…!
「ダイバーシティ」など、最近言葉だけはよく聞きますが、いざその定義を問われると言葉にできませんね。

今回はメモ書きをせずに書き始めてしまったので、散漫な文章になってしまいました…移民の例も本文とズレたような。

「みんな違う」ということは、「自分も違う」ということであり、じゃあその「違う」基準はなんなのか?
むしろ「違う」という言葉を使うことすら違うのでは?
多様性を認めるならあれこれ判断する基準もなくなり、そもそも判断すること自体が必要でなくなるから、無法地帯になってしまうのでは?


そうならないために、【多様性】という言葉があるのではないかと思います。
違う人同士が、ぶつかったり排除したりしようとせず、お互いの存在や考えをする。
この【尊重】という言葉が、【多様性】には暗に含まれているような気がするのです。

みなさんの思う「多様性」はどんなものですか?

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