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「殺されたくない私のために」2024年5月8日の日記

・主にリニューアルオープンした道の駅を目的に黒磯へ行った。

抽象化されたシマエナガのナプキン
(図書館内カフェにて)

・今日考えたり感じたりしたことを書くなら虐殺と戦争と差別と沈黙への怒りを500字くらい書き連ねるところだが、なんかもうやんなっちゃったのでガリガリ君リッチ チョコミント味を食べたことを自慢して終わりたい。


・いや、でもやっぱり主張させてくれ。わかっている、想像力がバグっているのは私の方なんだ。強姦されて殺された少女がどんな恐怖と絶望を味わったか、自殺した人がいつそれを決意してどんな方法で何を思いながら死んでいったか、私はいつだってその人になったつもりで考えることができる。考えてしまう。人の想像力の無さに幾度もがっかりして、だからこそ想像することなんかいつでも誰でもできるもんじゃないことだって知ってはいる。

・私はいつ日本が戦争を始めて自分の土地に兵士が攻め込んで来るか、正直かなり本気で恐れている。自分が貧弱なアジア人の女として、殺してもいい日本人として嬲られ殺される場面を容易に想像できる。自分の家族とはぐれて安否もわからないまま、ゆっくり飢えて、または毒草や毒きのこやカンピロバクターにあたって死んでいく場面も想像できる。私は少なくとも絶対にそうやって死にたくない。

・もしあなたが遠い国で起こっている戦争、虐殺を他人事としてしか受け取れないのであれば、どうかこの殺されたくない私のために祈ってほしい、この人が殺されませんようにと。その後でいい、今この瞬間に飢え殺されそうになっている人のために叫んでほしい、心の中でもいい、誰も殺すなと。人間を殺す権利なんか誰も持ってはいないし、それに加担する正当な理由など存在してはいけない、と心のどこかに留めておいてほしい。大義を掲げてある属性の人を一網打尽にすることが許されたとき、そう遠くない未来に自分の番は回ってくる。

・あなたが沈黙している間、私はあなたの分も声を上げられるように頑張るので、そんな私が痛々しく見えて仕方がなくなってきたときはあなたの力も貸してください。

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