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ヴァントのブルックナー級の衝撃 小泉和裕/名古屋フィルのエロイカ

最近すっかりコンサートがご無沙汰だった。1月のカーチュン・ウォン/日本フィルのオケコン以来だから2か月ぶり。
久しぶりのコンサートで柄にもなく緊張してしまった。

おまけにここしばらく体調が悪く、金欠でもあるためコンサートに行く余裕がなかったが、今年の目標として「小泉和裕と秋山和慶を聴く」を立てたので、今日ほど絶好の機会はあるまいと思われた。

何せ、小泉和裕は名古屋フィルの音楽監督を7年務めて、その集大成の東京公演なのである。
都響の定期も考えたが、「小泉和裕の音」を聴くなら今日だろうと思った。

オーケストラは指揮者の楽器、と言われる。
指揮者の手となり足となって音を出すわけだが、自分が理想とする音を出させるには単発の共演では難しいだろう。
ポストに就いて、定期的にオケを振って、自分の考えを浸透させていく必要がある。

今回は「名匠」小泉和裕の実力は如何に?という心境で出かけたのだが、びっくりするほどの超名演で口をあんぐり開けてしまった。

小泉和裕が「名匠」だと思っていたのは、手堅いけれど地味な芸風だと勝手に思っていたから。
いわば教科書的な演奏。模範的だが、面白みに欠けるというもの。
それが大きな誤解だと知らされた。

かつて楽聖として崇められ、エモーショナルの権化だったベートーヴェンの音楽。
現代は古楽アプローチによる鶏のささみみたいな淡白な演奏ばかりでつまらない。

小泉和裕は旧型のアプローチだろうと思っていたが、案の定ブライトコプフ旧版の楽譜だったようだ。
小泉が凄いのは生々しいオケの響き。ベートーヴェンの交響曲第1番は冒頭にピッツィカートがあり、やがて弦のトゥッティが現れるが、その響きを聴いて今日の演奏会が当たりだと確信した。

コンマスの荒井英治が顔芸と言いたくなるほど多彩な表情でオケをリードしていく。
小泉和裕の指揮は特別変わったことをしていないが、耳が抜群にいいのだろうと思った。3拍子の三角形をこんなにきっちり振る指揮者は珍しいかもしれない。

エロイカも含めて、正直ここまで純度の高い弦の響きを聴いたことはあまりない。
日本のオケとは思えない。それこそベルリン・フィルやドレスデン・シュターツカペレ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスのようなドイツの名門を聴いている気になる。

まるで熟練の刀鍛冶が鍛錬した鋼のように強靭な響き。
分厚いというのとも違う。純度、精度が高い。
感情の音、である。コンサートに来て聴きたいのはこれだ。

交響曲第1番は私にとっては習作的な印象で深く感動する作品ではないと思ったが、終始ハイテンション、熱量のある演奏で、第2楽章や第3楽章に天才ベートーヴェンの筆の運びを感じることができた。

第1番ですらこんなに凄いのだからエロイカはどうなるのだろうと期待することすらできない予測不可能な心境で後半を迎えた。

第1楽章はかなり速い。あまりに横に流れる推進力が強いので、もう少しタメたり縦の動きもあった方がいいのではないか、やや一本調子に聴こえなくもない、などと贅沢な不満を持った。
とはいえ、先ほど書いたような生々しい感情の発露は滅多にお目にかかれるものではない。

第2楽章の葬送行進曲は圧巻。先日のカーチュン・ウォンは速めに演奏していたが、小泉和裕はたっぷりゆったりと悲劇性を強調する。
ここはエモーショナルにやってもらわないと。AIが仕切ってるお葬式みたいなのは嫌だ。
もともと感情的な音楽なのに学究的なアプローチにこだわるから音楽が犠牲になるのである。

第2楽章あたりから小泉和裕はゾーンに入ったというのか、オケが手足となって音を出すので、いよいよ風格が増し、往年の大巨匠かと思うくらいだった。

「小泉和裕は名匠」、いわばスケールの大きさよりも手堅さが売りなのだと勝手に思っていたが、まったくそんなことはなく、巨匠と言うべき指揮者なのだと認識した。

いま現在これだけのベートーヴェンを振れる指揮者が日本にいるだろうか?
ベルリンの聴衆にこのベートーヴェンを聴かせたいと思った。
みな鶏のささみ風ベートーヴェンに食傷気味ではないだろうか。喝采をもって迎えられるに違いない。

オケの響きがゴージャスというのか、充実の極みで、カラヤン/ベルリン・フィルのベートーヴェンがこんな感じ?と思うほどだった。
葬送行進曲における小泉和裕のエモーショナルな指揮はカラヤンを通り越してフルトヴェングラーを想起させるほどだった。

第4楽章はアタッカでテンションの高いまま突入したが、このまま終わってほしくないと何度も思ってしまった。
崇高なものを見ている気になって、幾度もホールの天井を見上げた。
コーダになって音楽がラストに向けて収斂していくと、胸が切なさで締めつけられるようだった。

聴衆はちゃんと最後の余韻も噛みしめつつ盛大なブラボーと拍手で応える。
いま気づいたが、慣例的に全員を順番に立たせてなかったのがよかった(ホルンと木管の誰かを立たせただけだったかな?)。

Twitterのタイムラインでは大野和士/都響とコパチンスカヤのリゲティを絶賛するツイートが並んでいたが、その中で今夜の小泉和裕/名古屋フィルのベートーヴェンも聴いた人はどれくらいいるのだろう。
このレベルのベートーヴェンは滅多に聴けるものではない。聴衆が息を呑んで音楽に聴き入ってるのが伝わってきた。
ブラボー多発で、スタオベもあり(私も立った)。ソロカーテンコールまで拍手の熱量が下がることが一切なかった。

私は23年前にこのホールでギュンター・ヴァント/北ドイツ放送響の「未完成」とブルックナー9番を聴いたが、小泉和裕/名古屋フィルの「エロイカ」の完成度はそれに匹敵するといっても過言ではない。

とにかく凄かった。音楽が感情の芸術であることを再確認した。指揮者とコンサートマスターと楽団員と聴衆と作曲家の心が一つになったような体験。
音楽を聴きながら、こんなベートーヴェンを今後聴くことができるのだろうかと思うほどだった。

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