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Fingertip spectacle! Draw a line. 作品解説Tips 7「油絵を描く意味を知らない、見いだせない、指導できない人間を芸大美大の油画専攻の教官に据えるな」

私は「油絵を描く画家」です。そして「絵を描かない画家」の2枚看板で商売させてもらっています。

まず、「絵を描かない画家」は「絵なんか描いていてもしかたがない」といった指導が東京芸術大学の油絵を描く油画専攻でなされる状況について世の中に伝えるための看板です。油画専攻の功罪は油画を描かせないにも関わらず油画を極めようとする学生を入学させ続けている点です。本来であれば油画専攻を整理し募集を停止するのが筋です。少なくとも「絵なんか描いても仕方がない」わけですからそのように指導されればその意図を汲み私は描きません。でも私は人生を絵に捧げている画家であることには間違いないのですから「絵を描かない画家」を表明します。おかしな奴ですが「絵を描く画家」はだめということですので仕方ありません。

そしてこの「絵を描かない画家」の時期は過ぎようとしています。「描けばいい」と指導している教官がいるのも事実。しかし、「絵を描かない画家」の残像を有耶無耶にしてはなりません。歴史的事実を詳細に残さなければなりません。なぜならば「絵を描かない画家」の一部には断腸の思いで筆を置いた者がいるのです。その試行錯誤の中には消してはならない貴重な考察があります。絵を描かない画家の想いが世の中に出てしまうのは権力者にとって都合の悪いものです。彼らは何事もなかったように風化することを切に望んでいるはずです。

黙した画家の想いは途轍もなく深いものです。黙したままで終わるつもりは一切ありません。後世の人たちが同じ轍を二度と踏ませないようにするために絶対に風化させるつもりはありません。

油絵はすでに日本の文化として根付いています。アートの先端が「絵なんか描いてもしかたがない」と判断しても熱心に絵を描いている人は多い。そしてその種を巻いたのは東京芸大。明治時代に油絵を始めとするアート=技術を西洋から輸入し、日本に根付かせるために仕組みを作ってきたのは東京芸大です。その後時代の変遷を得て時代の要請に叶わなくなった油絵を東京藝術大学で閉じるのであればこれまでに作り上げてきた仕組みの全てにその考えを伝播させるべきです。現状では惰性で、東京藝術大学の入試では、日本に根づいた仕組みによって毎年1000人近い受験生が集まってきます。この惰性を許しているのは配慮に欠ける行為です。

学生たちの中で最もモチベーションの高い者が「何も知らず」に東京芸大を目指し入学してきます。入ってから事実を知り、受け入れざるを得ない実情を聞かされる。多くの生徒は強がって大丈夫な振りをします。しかし卒業後生き残るヴィジョンはありません。ことを荒立てずにやり過ごすことしかできない。病む者もいます。

このような現状は「不幸」と言わざる得ません。絵を描くとは描く意味すら根底から否定されるようなものではない。
絵には確実に未来が有る。

これ以上不幸な学生を出したくなければ

「少なくとも描く意味を知らない、見いだせない、指導できない人間を油画専攻の教官に据えるな」

私はFingertip spectacle!を通じて油絵の未来を伝えていきます。

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