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数学の問題を解決しようとする個人の成否を決定する重要な要因は何か?

はじめに

 本記事は,Alan H.SchoenfeldによるWhy Are Learning And Teaching Mathematics So Difficultのpart1の要約です。ちなみにAlan先生は数学教育学界では知らない人はいない大研究者ですが,あるつながりで私の授業を観ていただいたことがあります。そのとき"like a lecture"というコメントをいただいたこと(当時の自分としてはそんな授業をしたつもりは全くなかった)が,自分の授業を本気で見直すきっかけになりました。当時すでに教員7年目ぐらいだったと思いますが,あれは効きました(急に思い出話)。
 さて,本論文の主題は,要するに我々は数学に問題を抱えているが,なぜ数学を学ぶことと教えることがこれほどまでに難しいのかを説明することにあります。それをAlan先生は次の3部構成で説明しようとします。

図1

 第1部では,過去半世紀にわたる数学分野の理解の発展に重点を置き,数学的に考えるとはどういうことか,具体的には(個々の生徒にとって)挑戦しがいのある数学の問題を解決しようとする個人の成否を決定する重要な要因は何かが説明されます。そして,それはある程度わかってきているにも関わらず,それが教室に持ち込まれないという学習環境で何が起こっているのか,それが生徒にどんな影響を与えているのかが第2部で検討されます。第3部では,進歩を妨げる(米国の,でも日本でも似た状況がみられるかもしれない)文化的環境まで議論が拡大されます。
 本記事は第1部について要約します。第1部では「挑戦しがいのある数学の問題を解決しようとする個人の成否を決定する重要な要因」についてのAlan先生を含むこれまでの研究成果がまとまって紹介されています。

数学的思考の本質

  • 数学の本質に関する哲学的な議論は本章の射程外。重要なのは,生産的で強力な数学とのかかわり(エンゲージメント)を特徴づけるものは何か,ということ。

  • 数学的思考と学習に関するこの分野の理解における革命は,当時「認知革命」と呼ばれ,後に「学習科学アプローチ」へと拡大されたが,1970 年代半ばに認知科学が学問として登場したことで始まった。それは、数学教育界で数学的思考や問題解決の問題への関心が高まったことと重なる。(筆者注・この後にその歴史が簡単に記されてそれも興味深いものの本記事ではカット)

数学的思考と問題解決において何が重要なのか?

  • 問題解決に関する包括的なイシューは,「挑戦しがいのある数学の問題を解決しようとする個人の成否を決定する重要な要因は何か」ということ。
    これまでの文献によると,そこには次の4つがあることがわかっている。(1)自由に使えるリソース;数学の内容,プロセス,実践(practice),(2)ポリヤ的な問題解決ストラテジーへのアクセスと使用能力,(3)メタ認知のパフォーマンス,特にモニタリングと自己調整,(4)数学との関わり方(エンゲージメント)を形成する数学に関する信念体系。

数学のリソース;内容,プロセス,実践(practice)

  • 数学の内容(content)に,長い間,カリキュラムの焦点があった。しかし,「認知革命」の主要な洞察は,数学のプロセス(process)は数学の内容と同様に数学をする(doing mathematics)上で欠かせないものであるということであった。

  • この洞察は,全米数学教師評議会(NCTM)が,一般に「スタンダード」として知られるようになった「学校数学のカリキュラムと評価のスタンダード」(NCTM, 1989)を発表したときに,研究の領域から実践の領域へと進んだ。このスタンダードは4 つのプロセススタンダードの重要性を強調している。問題解決としての数学,コミュニケーションとしての数学,推論(reasoning)としての数学,そしてつながりとしての数学である。NCTM は,これらのプロセススタンダードを全学年の指導の基調とすべきであると,認知的には正確であるが政治的には論争の的となる主張を行った(Schoenfeld,2004)。

  • 1970 年代に数学のプロセスに焦点が当てられるようになってから数十年の間に,初期の理解に対する再定義が続いている。NCTM(2000)の 「学校数学のための原則とスタンダード」 では,数学の主要なプロセスとして「表現」が追加された。Common Core State Standards(2010)では、「実践(practice)」,つまり個人的であろうと集団的であろうと人々の数学への取り組み方が,プロセス以上に強調された。(筆者注・数学的実践(practice)の具体的中身については,例えば教育課程課程部会算数・数学ワーキンググループの「算数・数学の資質・能力に関する資料 」に載っています,ここではpracticeを活動と訳していますね)

上記「算数・数学の資質・能力に関する資料 」13スライド

問題解決のためのストラテジー

  • ポリヤの言うヒューリスティック,すなわち問題解決ストラテジーの重要なポイントは,どう解くかを教えられていない問題を進展させるための経験則であること。

  • 数学の課題が「問題」でなるかどうかは,課題そのものではなく,個人と課題との関係で決まる。ある人にとっての問題は,別の人にとっては単なる練習問題かもしれない。

  • 問題解決は少なくとも2つの方法で教えることができるという十分な証拠がある。一つは,最初に明示的にヒューリスティックとしてのストラテジーを内容として特定して教えるが,その後,足場を外して,多くの異なるストラテジーが有用な,より複雑な課題に挑戦させる方法である。もう一つは,様々な課題を提供し,その過程でいくつかの足場を提供し,指導のライトモチーフとしてストラテジーを強調することである。これらのアプローチは、どちらもうまく実施することができる。前者の例はSchoenfeld(1985)Schoenfeld(1992)。後者の例は数学アセスメントプロジェクト

メタ認知;モニタリングと自己調整

  • 問題解決はプロセスであり,時間と共に展開する。そこで,限られたリソースである時間をどのように使うかが,中心的な問いとなる。図 2 は、2 人の生徒が難題に取り組んだ様子を時系列で表したもので、この問題を例証している。生徒たちは問題を読み,追求すべき方向を選択し,割り当てられた時間の残りをその方向で作業することに費やした。たまたま,生徒たちが選んだ方向は生産的ではなかった。彼らが自分のアプローチを再考しなかったという事実が,彼らが問題を解決できないことを必然的にもたらした。これは,メタ認知の一部であるモニタリングと自己調整の問題を例証している(Brown, 1978; Schoenfeld, 1987)。

図2
  • 効果的な問題解決者は,自分の努力がどのように進んでいるかの経過を追い,それに応じて調整する。実りのない試みは切り捨て,代替案を探し,仮定を見直すなど,さまざまな工夫をする。そうすることは解決策を見出すことを保証するものではないが,少なくとも,解決策を見出すための扉を開いておくことになる。

  • 図 3 は,問題解決のコースを履修し終えた 2 人の学生が問題に取り組んだときのタイムライングラフである。それぞれの逆黒三角形はモニタリングと自己調整の瞬間を示している。問題に取り組み始めたとき,学生たちは解答の試みに飛びついた。2 分後に一時停止し,最終的に「もっとシステマチックにやる必要がある」と判断した。そして計画を立て,実行に移し始めた。6 分,7 分と進んだところで,自分たちの進展に不安を感じ,11 分にはアプローチを見直すことにした。そして、新たなアプローチを見つけ,問題を解決していく。ここで重要なのは,モニタリングと自己調整がなければ,生徒のタイムライングラフは図 2 のようになっていたかもしれないということだ。モニタリングと自己調整によって,彼らは他の知識を使う機会を得たのである。

図3
  • このようなメタ認知のスキルは,それに焦点をあてた指導がなされれば身につく。図 3 の解答を作成した学生がそうだった。教室の壁には図 4 のような質問が書かれたポスターが貼られ,学生たちは頻繁にその質問に答えるよう求められた。最終的に,彼らはその問いを内面化した。そうすることで彼らの問題解決は形作られた。

図4

信念体系(belief systems)

  • 私たちが真実だと思うものが,私たちが何を知覚し,どのように行動するかを形作る。そして,私たち一人ひとりが真実だと思うこと(我々の信念体系)は,個人の歴史や経験によって形作られる。

  • 数学の場合は,学校での経験が,人々が何を信じるようになるかを形成する大きな要因となっている。ランパートは次のように述べている。

一般的に,数学はある確信と結びついている。つまり,数学を知ることとは,正しい答えを素早く導き出せることである。これらの文化ともいえる仮定は,学校での経験によって形成されている。数学をすることとは教師が定めた規則に従うことであり,数学を知ることとは教師が質問したときに正しい規則を思い出して適用することであり,数学の真実は教師によって答えが承認されたときに決まる。どのように数学をして,数学が何を意味するかを知ることについての信念は,学校において何年も見聞きし,実践することで獲得されて(しまって)いる。

(ランパート,1990,p.32)
  • よく文書化されている数学に関する問題ある生徒の信念の中に,次のようなものがある:数学の問題には 1 つだけ正しい答えがある;どんな数学の問題でも正しい解き方は 1 つしかない(それは大抵教師が一番最近示したルール);たいていの生徒は,数学を理解することは期待できず,ただ暗記し,学んだことを理解せずに機械的に適用することを期待している;数学は個人が孤立して行う孤独な活動である;数学を理解している生徒は与えられた問題を5分以内に解くことができる;学校で習う数学は実社会とはほとんど関係ない;形式的証明は発見や発明の過程には無関係である;特定の民族や人種は本質的に数学が得意(または苦手)である。

  • これらの信念やそれを持つ生徒はそれに従って行動するがゆえに重要である。例えば,すべての問題は 5 分以内に解けると信じている生徒は,たとえ問題を解き続けることで解決できるかもしれないとしても,数分後には問題を解くのをやめてしまうだろう。第 2 部・第 3 部の伏線として,ステレオタイプ的に数学が苦手とされる民族・人種グループのメンバーは,そのような信念を内面化し,それ相応の強い結果をもたらしてしまうかもしれない。

  • 代替案がある。数学がsensemakingの学問としてアプローチされ,生徒自身が数学的なつながりや洞察を深める活動に参加すれば,生徒は数学を理解し自分のものにすることができるものと考えるようになる。しかし,そのためには,現在の一般的な数学教室とは異なる種類の教室が必要である。そうした教室では,生徒は,生徒の外に権威がある「例示と練習」の方法で教えられない。それとは対照的に,生徒たちは手の届く範囲の課題を提示され,推測することや理由を説明することを行い,納得のいく結論を得る機会を与えられる。

  • Masonら(1987)や(その和訳はhttps://amzn.asia/d/6juQoll)探究ベースの学習,数学的モデル化の学習,数学アセスメントプロジェクト(2020)が作成した課題と談話を中心とした形成的アセスメントレッスン(FAL)などはその例。このような課題に継続的に取り組むこと,つまり数学的対象に関する自分の考えを探求し,推測し,正当化する機会を継続的に設けることは,有意に正の影響をもたらすことが示されている。このような機会を大規模に提供することが挑戦となる。

第1部のまとめ

  • 第1部を要約すると,生徒が数学的思考や問題解決に成功するかどうかは,内容に関する知識だけでなく数学のプロセスと実践(practice)を含む生徒が自由に使える数学のリソース,問題解決ストラテジーをどの程度把握しているかの程度,モニタリングや自己調整などの効果的なメタ認知手段をどの程度発達させているかの程度,そして生徒たちが発達させてきた自分自身と数学に関する信念,の 4 点に依存するということである。

  • そこで重要となってくるのは,そのような理解を生産的な方法で発展させるために,どんな機会があるのかということである。これらの機会,より正確には,そのような機会の一貫した欠如とその理由については,第 3 部で議論される。

おわりに

 1点,「数学のリソース」で挙げられている「内容」と「プロセス/実践」は,相互に関わり合いながら指導されることが意図されていることに注意しておきます。換言すると,問題解決を成し遂げていくために数学の「プロセス/実践」を自分のリソースとできることは大切ですが,それは「内容」と切り離して指導することはできないということです(このことはEssential Mathematics for the Next Generation ; What and How Students Should Learnで述べられているのですが,既にこの本が販売されていないので高騰していますね)。教育学・学習科学におけるコンピテンシー育成のアプローチでいう「要素的・脱文脈的アプローチ」と「統合的・文脈的アプローチ」では後者が支持されることと似ています。
 なお,数学教育における問題解決のためのストラテジーとメタ認知については,『メタ認知の教育学―生きる力を育む創造的数学力』によくまとまっていて個人的にはかなり勉強になりました。メタ認知の指導は,教員の時にもっとトライすればよかったなと後悔していることの一つでもあります(そんななんもかんもできないとは思いつつ)。
 そして4つの要素のなかで個人的にもっとも気になっているのは4つめの「信念」です。ランパートの引用には考えさせられます。ここはもう少し掘り下げてみたいと考えています。