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数学の指導方法におけるプロセスベースvsコンテンツベース

はじめに

 数学の指導方法をプロセスベース(オープンエンドでプロジェクトベース)とするかコンテンツベース(クローズドな伝統的教科書ベース)とするかで,「生徒が新しい状況や不慣れな状況において数学の知識を使えるようになるかどうか」は変わってくるのでしょうか。
 本記事では,Jo Boaler(1998).Open and Closed Mathematics: Student Experiences and Understandings. Journal for Research in Mathematics Education.Vol. 29, No. 1, pp. 41-62.について要点を記録します。

問題意識と研究の目的

  • 生徒が学校で学んだ方法や規則を十分に理解していないため,数学を学校外の状況において使うことができないことが示唆されている。

  • その理解不足は,数学の教え方に関係する。

  • 英国では,1980年代から1990年代にかけて,数学の指導におけるオープンな形式,すなわちプロセスベースのアプローチ(生徒たちが自分自身で判断し,計画を立て,方法を選択し,数学的知識を応用することを必要とする,オープンエンドで,実践的で,探究的な取り組み)が法定化されたものの,その後「基本に帰れ(back-to-basics)」政策が台頭してきた。後者の政策には,暗記による学習の支援、算術とニューメラシーの重視、決められた方法とルールの遵守などが含まれる。

  • そこで,プロセスベースの環境と,教科書主導のコンテンツベースの環境を詳細に調査し,生徒が新しい状況や不慣れな状況で数学的知識を使うことを促進するものであるかどうかを主たる観点として,対比する。

研究方法

  • 同規模で対比的な2校(詳しくは後述)において,それぞれ同一の生徒たちをYear 9(13-14歳)からYear 11(15-16歳)まで3年間にわたって縦断的に分析

  • 量的・質的両面からの広範な方法を実施(授業観察,生徒・教師へのインタビュー,生徒全員へのアンケート,自作の評価問題に加えて学校の試験や全国試験(GCSE)も分析)

2つの学校

  • アンバー・ヒル校とフェニックス・パーク校(どちらも仮称)

  • 教育方法が大きく異なるが,生徒の層は非常に似ており,事前の成績や生徒の社会経済的背景に有意な差はない。

  • 研究開始時の能力比較で用いたテストでは,アンバー・ヒルの生徒の75%、フェニックス・パークの生徒の76%がこのテストで全国平均を下回っている。

アンバー・ヒル校

  • 秩序正しく整然としており,生徒はたいてい黒板を見ているか練習問題を解いているかである。

  • SMP(School Mathematics Project)の教科書(非常に伝統的な形式をとっていて,特定の数学的手法を説明し,その手法を実践するための一連の練習問題を提示する)を用いた非常に伝統的な形式の授業であり,8人の数学教師は皆,授業の最初に15分から20分かけて黒板において技法や方法を説明し、その後、教科書に載っている問題を生徒に与えた。

  • 10年生と11年生の各3週間ほどオープンエンドな課題を与えた以外は,9年生から11年生のすべての数学の授業で、生徒たちはこの教科書を読み解いた。

  • アンバー・ヒルの8人の数学教師は、みな熱心で経験豊富な教師であった。生徒は、入学時の成績と教師が考える生徒の能力に基づいて、8つのセットに分けられ、セット1には最も学力の高い生徒が入った。

  • 各授業の開始10分,途中,終了10分前に取り組んでいる生徒の数を記録すると,約30人の生徒がいる8つの授業を観察したところ,100%,99%,92%であった。特に1つ目の数値が高いのは,授業の早い段階で,教師が黒板において例題に取り組む姿を生徒が常に見ながら授業が進行していたためである。

フェニックス・パーク校

  • 生徒が自分の行動に責任を持ち、自立した考えを持つよう奨励される校風である。校則はほとんどなく、授業はリラックスした雰囲気で行われている。

  • 最終学年の1月にプロジェクトワークを中止し、試験テクニックの練習を始めるまで、生徒たちは常にオープンエンドなプロジェクトや混合能力のグループに取り組んだ。それらのプロジェクトのはじめには、生徒たちは自分たちで選ぶことのできる少数の異なるスタート地点(例えば、「ある図形の体積は216であるが、それはどのような立体であるか」)が与えられた。そして、生徒たちは自分の考えを発展させ、問題を立て、拡張し、数学を使うことを奨励された。このアプローチは、生徒が現実的で自分にとって意味のある状況で数学を使う必要性に出会うべきだという哲学に基づいていた。生徒や生徒のグループが知らない数学を使う必要がある場合、そこで教師がそれを教えることになる。各プロジェクトは2〜3週間続き、プロジェクトの終了時には、生徒たちは自分の作品と数学的な活動についての説明を提出することが義務付けられていた。

  • このアプローチは高い技術を持った非常に稀有な先生方に大きく依存しているのだろうと思われがちだが,そういうわけでもない。4人の教師のうち主任はこのアプローチに対して両義的であり,2人目の教師は教科書を好んだがこのアプローチに取り組もうとし,3人目の教師はこのアプローチを信じていたがクラスをコントロールして取り組ませることに多くの問題を抱えていて,4人目の教師は研究開始時に新任だった。4人の教師は皆、熱心で勤勉だったが,特別な存在とは見なさない。

  • 各授業の開始10分,途中,終了10分前に取り組んでいる生徒の数を記録すると,69%,64%,58%である。統制や秩序はほとんどなく,アンバー・ヒルとは対照的に,授業の構造も明らかではなかった。生徒たちは自分の学習に責任を持つことが期待されているため,望めば自分の作品を別の部屋に持っていき,監督なしで仕事をすることができた。多くの授業観察で,何もしない生徒や授業のごく一部しかしない生徒の多さに驚かされた。

両校における生徒の授業観・数学観の違いと性差

  • アンバー・ヒルの生徒は意欲的で努力家であったが,数学の授業が退屈でつまらないと感じている生徒が多かった。また,多くの生徒が,数学は膨大な練習問題,ルール,方程式の集合体であり,それらを学ばなければならないという極めて固定的な数学観に影響されているようであった。このような認識から,予想と少し違う状況になったとき,あるいは正しい規則を示す手がかりがないとき,どうすればいいのかわからなくなる人が多かった。

  • Year10で実施した生徒アンケートでは数学の授業について説明するよう求めたが,フェニックス・パークの生徒(n=75)から最も多く寄せられたのは「騒がしい」(23%),「良い雰囲気」(17%),「面白い」(15%)の3つだった。アンバー・ヒルの生徒(n = 163)の回答では,「難しい」(40%),「先生に関すること」(36%),「つまらない」(28%)の3つだった。

  • フェニックス・パークの生徒にインタビューで、授業について説明してもらったところ,最も高い評価を得たのは「選択の自由度」だった。

  • 授業観察において生徒に「何をやっているか教えてください」と頻繁にお願いすると,アンバー・ヒルでは,ほとんどの生徒が教科書の題名と,さらに尋ねると演習番号を教えてくれたが,それ以上の情報を得ることは非常に困難だった。フェニックス・パークでは,生徒は自分が解決しようとしている問題,これまでに発見したこと,次に試そうとしていることを説明してくれた。フェニックス・パークの授業では、生徒同士が自分の取り組みの意味について話し合い、ありうる数学的な方向性について交渉していた。

  • 「覚える」か「考える」かに関わるアンケート項目では,「覚える」を優先した生徒はフェニックス・パークの生徒の35%しかいなかったのに対し,アンバー・ヒルの生徒の64%は「覚える」を優先していた。

  • ただしフェニックス・パークからのフィードバックがすべてポジティブだったわけではなく,各グループの約5分の1の生徒は,アプローチの開放感も,与えられた自由度も気に入らなかったようだ。

  • 2つの学校の数学の授業に対する生徒の楽しみはかなり異なっていたようだ。アンバー・ヒルでは,学校のアプローチの欠点について強いコンセンサスがあったが,フェニックス・パークのアプローチは,学年内で分かれていてほとんどの生徒が好きだったが,中には上記のとおり嫌いな生徒もいた。アンバー・ヒルのコンセンサスは,主に教科書の課題をこなすことの単調さと,生徒に与えられた自由や選択のなさに関連していた。

  • 両校のYear9の生徒に,数学の授業について好きなこと,嫌いなこと,変えたいと思うことを記述してもらい,アンバー・ヒルの生徒160名からは382件,フェニックス・パークの生徒103名からは202件のコメントが寄せられた。それらを集約・整理した結果は以下の通り。

表1(p.52)
  • フェニックス・パークの生徒は「授業の面白さ」や「オープンエンドな取り組みの楽しさ」を選んだのに対し,アンバー・ヒルの生徒は「理解不足」や「教科書への苦手意識」を挙げたことに明白な違いがある。

  • また,アンバー・ヒルでは男子が常に女子より有意に前向きで自信に満ちていたが,フェニックス・パークでは女子と男子の間に有意差はなかった。

生徒の評価

数学を現実の状況で応用する評価課題

  • Year9の夏,アンバー・ヒルの上位4セット(n = 53)とフェニックス・パークの混合能力グループの約半数の生徒(n = 51)に対して,建築を文脈とする応用課題を2問(屋根の体積とその割合,屋根の角度)実施。全体として正解かほぼ正解で,小さな間違いが1つか2つある場合はグレードを「1」,答えの大部分か全部が不正解か,問題を部分的に解いている場合はグレードを「2」とする。

  • 同時に,上記の課題で使うことになる数学の内容を,文脈なしで純粋に問うテストも3問実施。3問すべて正解ならグレード「1」,1つでも間違えればグレード「2」とする。

  • 結果は次の通り。

表2(p.54)
  • 屋根の体積に関わる問題では,アンバー・ヒルの生徒が学校の習熟度別クラスの上半分から選ばれたにもかかわらず,応用課題で「1」を獲得したのは,フェニックス・パークの生徒38人(75%)に対し,アンバー・ヒルは生徒29人(55%)である。また,アンバー・ヒルでは,テストで答えることができても応用課題では使えない生徒が15人(28%)いたのに対し,フェニックス・パークでは同様の生徒は8人(16%)である。さらに,フェニックス・パークでは,テスト問題を1つ以上間違えたにもかかわらず応用課題で「1」を獲得した生徒が15人(29%)いたのに対し,アンバー・ヒルでは6人(11%)だった。

  • 角度に関わる問題では,アンバー・ヒルではテストでは50人が正しく答えたが応用課題ではそのうち31人しか正しく答えられなかった。フェニックス・パークではテストで正しく答えた48名中40人が応用課題でも正しく答えた。

  • アンバー・ヒルの生徒たちは方法の選択が不適切であった。アンバー・ヒルのセット1(習熟度別クラスの最上位)の生徒の多くは,角度という単語を見ただけで,この活動の文脈では明らかに不適切なのに,三角法が必要であると考えたようだ。

  • Year10では各校100名の生徒が別の応用課題と短いテストを行い,同じパターンの結果が出たが,より顕著な結果が出た。フェニックス・パークの生徒は,応用課題のすべての側面で著しく高い成績を収め,テストと応用場面でのグレードは非常に似ていた。アンバー・ヒルの生徒は,応用的な場面で,テストで使えるような数学を使うのが難しいようだった。この難しさは,やはり方法の選択にあるようだった。

短い筆記テスト

  • フェニックス・パークの生徒が,現実的な状況に応用する問題で高い成績を取ったことは,同校のプロジェクトベースのアプローチからすれば驚くことではない。しかし,慣習的な,クローズドな問題(筆者注・要するに文脈のあるオープンエンドな課題と対比される,文脈がなく答えまでの間も短いよくある普通の問題)においても,アンバー・ヒルの生徒たちはフェニックス・パークの生徒たちよりも成績が良いとは言えなかった。

  • GCSEの試験はかなり伝統的な短いクローズドな問題で構成されている。生徒はYear11の終わりにこの試験を受ける。上級課程への進学や多くの専門職への就職は,この試験でA,B,Cのいずれかの成績を取ることが条件となる。GCSEでは,AからGのいずれかの成績をとれば合格となる(筆者注・現在はシステムが変わりA~Gというグレードではなくなっている)。アンバー・ヒルのGCSE試験では、11%の生徒がA-Cの成績を取り、71%が合格した。フェニックス・パークでは、11%の生徒がA-Cグレードを取得し、88%の生徒が合格した。フェニックス・パークの生徒がアンバー・ヒルの生徒よりもA-G合格を有意に多く獲得した。

  • GCSEのA-C判定において,アンバー・ヒルでは男女の到達度に有意差があり,男子の方が多かったが,フェニックス・パークでは大きな差はなかった。

議論

アンバー・ヒルの生徒が正式な試験で相対的に成績が悪かったのは、生徒たちが数学の授業でよく勉強していたことと、学校の数学的アプローチが極めて試験志向であったことから、意外に思われるかもしれない。しかし、何時間も生徒を観察し、インタビューした結果、私は2つのグループの相対的な成績に驚きを感じなかった。アンバー・ヒルの生徒たちは、教科書の問題以外では使いにくい不活性な(Whitehead, 1962)知識を身につけていた。

p.56
  • アンバー・ヒルの生徒たちは,ルールや手順を単純に再現するだけでなく,何が問われているのか,どの手順が適切なのかを理解する必要があったため,試験本番で困難に直面した。数学の授業では,教科書の問の後に必ず手順や方法の実演があり,生徒がどの方法を使うべきか判断に迷うことはなかったからである。

  • アンバー・ヒルの生徒たちは,数学は "覚えなければならない "という考えから,試験問題を総合的に考えず,何をすべきかを解釈しようともしなかった。

  • 実際、両校の生徒の学習の違いを如実に表していたのは、この状況を把握することと解釈することであったようだ。フェニックス・パークの生徒たちは,数学的な手続きには精通していなかったが,直面した状況を解釈し,意味を発展させることができた。

ティナ: 学校に来て初めてプロジェクトを行うとき,中学校で板書や本を見て取り組んでいたときよりも,自分で考えることができるようになると思わせてくれると思います。
JB:それはあなたにとって良いことだと思いますか?
ティナ:はい。
JB::どんなふうに?
ティナ: 試験のとき,自分の頭で考えて物事を解決しなければならなかったので,役に立ちました。
[ティナ,フェニックス・パーク,11年生のとき]

p.57

JB: 試験で,今までやったことがない問題があると感じましたか?
アラン: まあ,時々,そういう出され方もあったと思っています。でも,実際にやったことのないことがあれば,できるだけ意味づけ(make sense)
ようとするし,できるだけ理解(understand)しようとします。
[アラン,フェニックス・パーク,11年生のとき]

p.57
  • フェニックス・パークの生徒たちは,斬新な状況でもそれについて考えそこにおいて数学を使うという素養を身につけていたようで,この傾向は2つの重要な原則に基づいているようである。第一に,生徒たちは、数学には活性化した柔軟な思考が必要だという信念を持っていた。第二に,生徒たちは新しい状況に適応して方法を変える能力を身に付けていた。

  • 両校の生徒の学習におけるもう一つの大きな違いは,現実の状況における数学の使用に関する報告であった。アンバー・ヒルの生徒たちは,教室でやったことと教室の外での生活の要求との間に何の関連性も見いだせないので,学校で学んだ方法を実際の状況で活用することが全くできないと全員が強く語っていた。

  • フェニックス・パークの生徒たちは、学校の数学と学校の外で必要とされる数学との間に、本当の意味での違いを感じていなかった。

次の抜粋は、スーが、フェニックス・パークでGCSEを受ける前に生徒たちが受けた数週間の試験準備と、プロジェクトベースの取り組みとを対比しているものである:

JB:学校の外で数学を使うとき、学校で数学を使うのとは全く違う感覚だと思いますか、それとも似たような感覚だと思いますか?
S:今していることは全く違います。もし学校の外で数学を使う場合、かつてなら同じような雰囲気になったでしょうけど、今は違いますね。
JB:「同じような雰囲気」というのはどういう意味ですか?
S:昔、プロジェクトをやっていたときは、物事を見て、理解して、それを解決していく、そんな感じだったんだけど、今はそんな感じじゃない。試験以外、何のためにこんな学習があるのかわからない。
[スー、フェニックス・パーク,11年生のとき]

スーのコメントは、フェニックス・パークのアプローチの価値の本質をとらえているように思う。生徒たちはプロジェクトに取り組む際、自分で考え、状況を解釈し、数学的手続きを選択し、組み合わせ、適応させる必要があるが、これは実社会で求められる数学的要求と「同じ雰囲気」を持っている。フェニックス・パークの生徒たちは、新しくなじみのない環境でも有利に働くような働きや考え方のシステムを身に付けていたのだ。

p.59

結論

  • フェニックス・パークのアプローチは,レイヴらの認知的徒弟制の学習形態といくつかの類似点があり,特に,生徒が真正な活動の一部として新しい概念や手続きを導入される点が特徴的である。このアプローチによって生徒が身につけた学習は,徒弟制ではない教育によって身につけた学習よりも,より使いやすいものであったようだ。真正な活動の中で数学的手続きを使うという行為によって,生徒たちは手続きを自分たちが使い、適応できるツールとして捉えることができたようである。このような経験から得られる理解や認識は,転移の場面での能力の向上につながるようだ。

  • フェニックス・パークの生徒たちがより数学を使うことができたのは,3つの重要な特徴があったからである。

  1. 異なる状況を認識し解釈し、それらまたはそれらとの関係において意味を発展させる意欲と能力

  2. 適切な手続きを選択することができるという,手続きに対する十分な理解

  3. 新しい状況に合わせて手続きを変更できるような数学的自信

  • 本研究からは、アンバー・ヒルの伝統的なバック・トゥ・ベーシックな数学のアプローチは,実社会の要求に応えるための準備としては効果がなく,従来の内容知識の評価に対する準備としても,プロセスベースのアプローチよりも効果がないことが多く示唆された。

  • フェニックス・パークのアプローチにも,一部の生徒が多くの時間を取り組みに費やさないなど問題があったが,フェニックス・パークの生徒はアンバー・ヒルの生徒よりもテストや応用の場面で成果を上げることができ,また数学の本質についてより肯定的な見解を持つようになった。

  • 本分析から導き出された重要な結論は,理解の深さを犠牲にして計算やルール,手続きを重視する従来の教科書的アプローチは,柔軟性に欠け,学校に縛られ,役に立たない(limited use)学習を奨励するため,生徒にとって不利益であるということだ。

おわりに

 Boaler自身も述べているように,数学を現実の文脈の問題に活用することについて,オープンエンドでプロジェクトベースな指導を受けてきたフェニックス・パークの生徒たちの方ができているのは,そうであってほしいと思うぐらいです。むしろ興味深いのは,フェニックス・パークの生徒たちが,文脈がなく答えまでの間も短いよくある普通の問題についても,そうした問題にある意味正面から取り組んできたアーバン・ヒルの生徒たちと比較して遜色なくできており,そうした問題の多かったGCSEで,アーバン・ヒルより多くの生徒が合格したという事実かと思います。そしてなぜそうなったかというと,フェニックス・パークの生徒たちは,真正な活動において数学を経験し,理解することによって,見たことのない問題であってもまずはそれを解釈して意味付けようとするし,そこに適応させて使えるように知識や手続きを身に付けてきていたし,そうできる自信も身に付けてきていたと。反対に,アーバン・ヒルの生徒たちには結局は数学の何が残ったのか,非常に考えさせられます。
 本研究は,あくまで英国の,入学時点では全体の平均より少し下に位置するような2校についての研究であることに留意する必要があります。一方で,入学時点では学力や社会経済的背景に差はないが指導方法が明確に異なる2校を3年間かけて様々な方法を用いて追いかけた研究は非常に貴重だと思います。
 なお,『パワフル・ラーニング: 社会に開かれた学びと理解をつくる』において「理解を目指した算数・数学」という章を執筆したAlan H. Schoenfeldは,その章において本研究を参照し,本研究が示したような結果を支持する他の研究成果も紹介しています。上記の書籍は翻訳されていてとっつきやすくなっており,おすすめです。