マイナースポーツと精神論

野球やサッカーといったTVに映る競技では、世間の監視があるためか、技術や育成法が科学的に進歩洗練されていく。
一方、ふだん目にすることの少ない競技だと、びっくりするぐらい指導法が旧弊というか「ない」。

指導者に技術的な質問をしても、回答がない。
技術を考えたこともない。
たまたま、その競技に来て、短い年月、若さと筋力で競技し、指導者になる。
よく分からないから「体幹を鍛え」とか言うのだろう。
(「体幹」は多用されるが定義が一定しない語)

もっと無残な場合だと、マイナースポーツに特定業種や血縁関係の閥があって、部外者の参入を阻んでいる。ただの入試枠。いよいよ幕藩体制。

どの角度で腕に振る、どのタイミングで力を入れる、そういう指導が一切ない「スポーツ」があること、21世紀になって知った。教育界周辺の暗部。

私は大学で落語研究会にいた。
「落語は演らずに就職面接で名乗りたい」という部員もいた。
外大では、英語以外の専攻語の人が、就職用にESS幽霊在籍も多かった。
だから「マイナースポーツが入試枠だけ使われる」仕組みも、分からんではない。

ただ「もうちょっと、本気で調べてみたら、おもろいのになぁ」とも思う。
もったいない。
あと「部外者の子を追い出す」のは止めようよ。
国スポ廃止論もあがっているが、スポーツを教育者界隈から一般国民に解放する効果があるかもしれない。

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