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無職、タイソンヒューリーからフランシスガヌーがダウンを奪った秋色の空に想いを馳せる。

それは、起きた。
起きてしまった。

よくわからないが、
ボクシングのヘビー級王者と思われる
白人っぽい男性、
その名を、たいそんひゅーりーから
ダウンを奪ったのはそう

カメルーンの英雄、
フランシス・ガヌーだ。

ガヌーは、パンチ力が
世界最高とも言われ、
無職が一発殴られれば
甘い考えと共に、いい気つけを通り過ぎ

目の前には、亡くなったはずの
おじいちゃんおばあちゃんが
出現するに違いない


ガヌーは、その行動力というか
命を賭けた行動がすさまじく

車が止まったら確実に死ぬという
60℃の砂漠を何十時間も
車で通り抜け

生き物が死んだ水を飲み、
11ヶ月以上かけて
フランスに亡命し、
スターダムを駆け上がった男だ。

さらに、そこから
ホームレスからの
無料?のジムに通い
総合格闘技UFCのヘビー級で
天下をとった男である


ちなみに、無職と比べれば、
たとえるなら、

豊臣秀吉と近くにいる
名も無きバッタである


どちらがバッタであるかは、
バッタもんの代名詞である
無職たちに聞けば言わずもがなである


ガヌーは知っていたが、
彼はさらに人間性にも優れ、

故郷の子供たちが
採掘の仕事などから逃れるすべはないかと

格闘技ジムを作った
奉仕家でもあるのだ。


ここで、ふと
疑問に思われただろう?


無職と、ガヌーと、ヒューリー
なんの関係があるのかと。


いわるゆる、
なんの関係もないのである。


しかし、ビッグタイトルを
日記のタイトルにすることで、
世間との関連性を確立し、
その己のアイデンティティである自己を
満たすことで

ほんの少しのあいだだけ、
承認欲求に付随する周辺の何かが
満たされるのである



そして彼ら(ガヌー、ヒューリー)も、、、、
・・・ことのはじまりは、
無職なのである

人間は、すべて
無職から始まったのである


今日日(きょうび)、
ここの部分を忘れた社会が
久しいが


実のところ、人間は
無職の申し子なのであり

やがて、そのアイデンティティを
確立してゆく

そのなかで、
劣等感や、優越感が
出てきてしまうこともあり
また、自分の運命さえ呪う人もいる


私は、そういう人たちに
近くにいて

「大丈夫だよ。」

と、言ってあげたい。


ガヌーとヒューリーにさえ
共通点があるんだ

彼らは、いつかの昔

無職だったんだ。


無職が、何者かに色づき、
実を咲かす物語


それが、ボクシングなのか
総合格闘技なのか
ざっくり一般的な仕事の
何なのか知らない


けど、そういう人たちに
やや自分のペースでいいんだよ と

そして、

「残すものは 声だけかしら
ただの文字なんだか…
そばにいてあげるから。

あなたに何を告げたい?
うたうこと。生きるのよ

未来に何をつめたい?
大切をきずくもの

だれでもいつかはいくところ
いそがないでね。」

って、CHARA風に
伝えてあげたい。


そして、送りたい。


最近、頭に浮かんだこの言葉を
自分の言葉で・・・送りたい。。


「君たちは、どう生きるか?」
 
 
 
by タイソン•ヒューリー&
フランシス・ガヌー(英語表記ではエンガヌー)

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