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無職の戸締まり。

---ある人の動画を見て、
影響されて
圧倒的に日記を更新してみようと思う。

思いがけないことだ。

これは、
つまり、圧倒的な挑戦であるが、
無職なのですぐに終わるのだろう。

俺は書く。3個は書く。
見とけ。---

無職たちは、
自分たちの負の想いを
すずめの戸締まり の「魔」的な場所に
封印してしまっている

もちろん、あるのだ
片隅には

どんなに、なにかで
おおいかくしても
そこにいるのだ

言うなれば、
初恋の人の淡い記憶みたいなものだ

違うのは、
ほのかな微笑みではなく
シリアスな
苦味を噛み潰したような顔である。

いくら塗りたくっても
しょうがない

授業参観の母親たちの化粧のように。
(※冗談)

ぼくは、そんな無職たちの想いを
この日記にしたためて
戸締まりしてるようなもの

もとい、

「とじ師」

なのだろう。

それは、この現代社会に
隔絶された陰の場にヒソムモノ
それに触れたら
親でさえ、ただじゃ済まない

そう閉じてしまったこころを
みな持っている

無職は、家の戸締まりが
出来るし、

それは圧倒的に役にたつ。

しかし、
私は信じる

心は、病みたくて
病んだわけではない

そして、閉じるということは
開くこともできるのだと

微かな扉を
長い時間をかけて
開けてもいいのだと思う


・・・そろそろ、これくらい
良いことを言えば
やりがいのある仕事を
誰かがくれるのではないか?

帳尻が合って、
自分にイイコトが起こるのではないか?

そうではないのか?

甘いのか?

みんな甘エビとか
甘いの好きなくせに

人生になるとすぐに
甘いのを嫌う

そういう一貫性のなさが
ぼくは大嫌いだ

考えてみて欲しい。

本当に考えて見てほしい

人生がとろけるように
甘かったらどうなのだろう?

思うようではないということは、
最初の想定が甘かったのだとか言われるんだ

しかしだよ、
最初の想定が
すべてを超えて甘ければ

つまり、人生には
甘味料しかなければ

甘さで圧倒できる

つまり、勝ちだ

もはや、何を言ってるのか
自分でもわからないが

耳元でYouTubeの自動再生で
なぜか中国の緩やかな甘い歌声が
再生され始めたので許して欲しい


覚えておけ


無職は、戸締まりする。



家にも、
自分の心にもだ。


しかし、自暴自棄なんか
ならなくていい

前回の日記で
全人類生まれながらに
無職であり
おそらく自然な状態なのだ

俺たちは、
赤ん坊のような無垢な瞳で
不思議なものを見つめるように
職を見つめる

いつの日か、
職が溶けたとき

また、笑い合える日が
くるだろう。


聴いてください。

鬼束ちひろで、
月光。

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