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未来ニングハイ。〜熱に浮かされた状態で、何が見えるんだろう?〜

ひどく危惧してることがある。

熱に浮かされた状態というものだ。

確かに、なんかこう
正義を盾に、パワフルさを
感じることがあるのかもしれない。

狂信的な状態というか。

わたしは、
いま、熱を出し、
熱に浮かされた状態である

体温計を握れば、
38℃を超える値を叩き出す。

今のわたしは、
ヨーグルトが食べたいと言えば、
ヨーグルトが出現し、

お腹すいたと言えば、
食事が出てくる状態である

熱を帯びるということは、
不思議なニュアンスをもっている

時代そのものが、
熱に浮かされた状態というものが
あれば

どういう事なんだろう。

一般的に言えば、
判断もつかないのに
盲信しているような状態だ  

熱に浮かされた時代を
振り返る時、
なにかそこに
学ぶべきことがあるのかもしれない。


私といえば、
あまり何かに熱中することもなく

いわゆる昭和世代から
言わせれば、

「よくわかんないな、こいつら」

と言ったふうに見えるんだろう。


しかし、
彼らのバブルの頃の
浮かれようといえば、
比類するものがなく

戦国ぐらい
浮かれれてたと思う

タクシーを
一万円でとめたり

彼らの浮かれ具合は
たいそうなものだった

それに比べれば、
その後の世代は、

質素で倹約という
時代のムードをもろに
受けてしまうこととなり、

それが、
人間性を育て

それが引っ込んで
欲のない
何考えているかわからない感じを
量産してしまったのかもしれない

わたしは、いま
熱に浮かされている中で
熱に浮かされているとは
どういうことかを考えている

もし、
私たちが時代と呼ぶ、
この世界が
熱に浮かされた状態なのだとすれば

それを盲信するのか
離れて熟考するのかを
選択することができる

わたしは、
永遠の転職中(ニート)という
状態のなかで

熱に浮かされた状態なのかも
しれない

この熱が
早く過ぎ去ってくれればと
願う次第である。


わたしがなぜ、
ツタンカーメンを
選んだのか?

それはきっと、
ファニーなことに救いを求めて
幻想的な世界と思いたいからかもしれない

彼らニートたちが
SFやゲームやアニメの世界に
安息を得るのも

そういったことかもしれない


しかし、彼らは辛いのである
走り過ぎた人生というレーンを
振り返ることは恐怖であり、

すぐさま、それを
代替品で麻痺させるのかもしれない

しかし、
彼らもまた
気づくのである

自分を大切にした方が良いこと。

見ないことで、傷ついてきたこと。

思いきり
誰もいない無人島で
自分を見てあげれば

そこに、ヒッチハイクをしている
自分が見つかること。

生まれたての僕らの前にはただ
果てしない未来があって

それを信じてれば
良かったこと

今僕の目の前に横たわる
先の知れた未来を
信じたくなくて

少しだけ足掻いてみようということ

つまりなんやかんやあって
ヒッチハイクをしている
自分を迎えにゆこう ということ

つまり、
そういうこと

理論武装で攻め勝ったと
思うなバカタレってこと

まだ間に合うかな
クーリングオフってこと

俺が言いたいのは、

引き時だと、言うなかれ素人!
まだ走れるんだ!ということ

つまり、
そういうたぐいのこと

勝つのは簡単だってこと

問題は、
それの向こう側に
あるものだってこと。

胸にまとう、
玉虫色の衣装を
見せびらかしてゆこう
ってこと。

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