A3!のオタクによるジャックジャンヌの感想①フミ先輩√

ジャックジャンヌ(製品版)を購入してから早五日。無事にクリアしました。

ストーリーを一言で言うと、男装女子が主人公の演劇スポ根もの。ストーリーの流れや劇中劇の雰囲気はA3!、男装女子が主人公の学園モノとしては、桜蘭高校ホスト部とか花ざかりの君たちへに近いので、それらの作品が好きな人はきっと好き。私はA3!のオタクなので「こういう展開、A3!でもあった!」と二つの作品を重ね合わせながら二倍楽しめた。

ジャンルは乙女ゲームだけど、糖度は低め。安心と安全のCERO:B。卒業するまでみんな手は出してこないという安心感がある。まだ皆高校生だからね。主人公が達観していて、攻略相手のアピールやスキンシップに「はわわ…」となるタイプではないので、共感性羞恥は感じない。逆に言うと、主人公にガッツリ感情移入したい人には物足りないかも。どちらかというと、キャラクター毎のエピソードよりも、劇中劇の方が倫理的に際どかった。

記念すべき初見プレイは、体験版に引き続き、フミ先輩ルートを選びました。乙女ゲームと音ゲー両方の初心者に優しい仕様なので、初見プレイを捧げてよかった。音ゲーのmissをgoodに変えてくれるスキルが有難い。私がフルコンボを達成出来たのはフミ先輩のスキルのお陰。

月曜日に休息を取って、火曜日から金曜日までは舞踏力の稽古、土日はフミさんに会いに行ってた。その結果、本編で触れられる以外の情報がほとんど得られず、フミさん以外ではスズくんと根地先輩の一枚目のスチルしか回収出来なかったので、もう少し他のキャラクターと交流してもよかったかも。今回の反省点です。

以下、ネタバレ注意(スチルのネタバレはありません)


・フミ先輩


THE・乙女ゲームの攻略キャラクター。「乙女ゲーム特有のこういうシーンが見てみたい」という願望を全て叶えてくれる。紳士的にエスコートしてくれたり、髪の毛を切ってくれたり、時には甘えてくれたりと、クリスマスもバレンタインもすごく充実していた。たぶん、六人の中でも糖度高めなんじゃないかな。乙女ゲームはこうでないとね。
体験版の感想でも書いたけど、やっぱり、はじめから希佐が女だと気づいていた。序盤から何度も「お前のこと好きだわ」って言ってくれて、希佐とクォーツを守るために奔走してくれる。ミリしらで「ヤンチャしてそう」「女の扱いに慣れてそう」と書いて申し訳ない。硬派で熱いスパダリでした。これでほんの一年前まで触れるもの全て傷つけるキレたナイフのようだったというから驚き。そんな荒れていた時期を乗り越えたからこそ、今のフミさんがある。先輩として後輩を導く姿も、壊し屋として舞台を駆け回る姿も、どちらも魅力的だった。


ユニヴェール公演では「俺がお前のジャックエースだ」って言ってくれる。夏公演の転科騒動といい田中右といい「俺のパートナーになって!」と誘われることが多かったので、自ら「ジャックエースになってやる」「俺の持ってるものを全部やる」と言ってくれるフミさんは男前だった。

「器」と「華」どちらにもなりうる希佐の「器」を自分の「華」で満たす、去り際まで美しい人だった。ちゃんと自分が卒業したあとのことまで考えてくれてる後輩思いの先輩。

フミさんは、入学した時から今まで金賞を取り続けているエースなので、ユニヴェール公演で主役に抜擢されて、金賞を獲得する一連の流れもトントン進んでいく。ユニヴェール公演の配役発表前に「クロは希佐が俺(フミさん)の力を盗みとれるようになるまで、あえて舞台上で遠ざけてきた」「今がその時だ」とフミさんに言われて納得した。この下りはたぶんキャラクター毎に違っていて、新人公演や冬公演でパートナーになったスズくんや白田先輩、秋公演や冬公演を共に乗り越えた世長、夏公演や冬公演で導いてくれたカイさんならその時のエピソードと絡めてくるんだろうけど、今まで劇中劇でほとんど絡みのなかったフミさんはどうするのかな、という心配は杞憂だった。それだけ、フミさんの言葉には説得力がある。

個別のルートでは様々な姿を見せてくれる


本編では、常に頼りがいのある先輩としての姿を見せてくれたので、個人ルートで彼の弱い部分や甘えたがりな一面を見せてくれて嬉しかった。てっきり、実家の問題はフミさんの卒業まで引っ張るかと思ったので、ユニヴェール公演の前に概ね解決してしまうとは思わなかった。そもそも、フミさんは単に跡継ぎになるのが嫌で自由を求めて家出してきたのではなくて、いずれ高科の名を継ぐのは自分であると悟った上で演技の道に進んできたので、きっかけさえあれば全て自分の力で解決出来る力を持った人だった。だからこそ「ただ褒められたかった」「本当は甘えたかった」という本音が愛おしくてたまらない。フミさんが憧れの先輩から愛しい恋人になった瞬間だった。

スチルは序盤からどれも距離感が近くて、毎回、フミさんの美貌に見とれていた。私は海の生き物が大好きなので、夏合宿のスチルが一番のお気に入り。共通のルートだと、ウィークエンド・レッスンのアンドウ先生とハセクラのスチルも好き。メアリーのスチルは、フミさんらしい生き生きとした表情が見られて面白かった。

スチル以外では、赤い糸で結ばれた〜の下りがお気に入り。鯉結びはあからさまなフラグだったのに、フミさんに指摘されるまで全く気づかなかった。それまでは、いつか鯉結びがミサンガのようにちぎれて「また結んでやるよ」って言ってくれるのかと思っていたけれど、そもそもちぎれるはずがなかった。立花希佐と高科更文はとっくに結ばれていたのだから。ベストエンドで先輩と後輩ではなく、等身大の恋人同士のやり取りが見られてよかった。鯉結びといい、鍵といい、出来る男は自分と相手を結びつけるプレゼントがさり気ない。

その他、各キャラクターについて気になったこと

・スズくん

新人公演の『不眠王』でかなりの分量をもらっていたので、それ以降、希佐との絡みは少なめ。一体一ではなく、世長を巻き込んだ「三馬鹿」(鳳命名)で、共に行動することが多い。一見、熱血漢な努力型に見えるけれど、冷静に状況を判断する能力も持ち合わせた紛うことなき天才肌。希佐は相手の真実を映し出す『透明な器』と呼ばれていたけれど、スズくんにはどんな役柄も自分色に染め上げてしまう力がある。

その分、ジレの役作りには苦労していた。スズくんは鈍感だけど、決して人の気持ちがわからない子ではない。世長が希佐に向ける視線の意味には気づいているのに、ジレの気持ちがわからないのが彼らしくていい。

スズくんがジレの気持ちがわからなかったのは、ハヴェンナの三角関係を自分たち(希佐⇔世長⇔スズ)に重ねているから。あの話は三角関係ではなくて、ルキオラを含んだ四角関係なので、ジレにとって本当に邪魔だったのは、フギオーでもドミナでもなくルキオラだったんだよ。ジレはチッチを愛していて、早くハヴェンナを出て幸せになってほしいと思っているけれど、自分にはその力がない。このハヴェンナからチッチを連れ出せるのはフギオーしかいないとチップを投げられた時に気づいてしまった。つまり、ジレにとってフギオーは恋敵であっても邪魔者ではない。むしろ、チッチの未来を想うなら、フギオーは必要な存在だった。だから、ジレは正気を失ったフリをして、二人にナイフを突きつけた。ジレの愛する「清らかなチッチ」なら、フギオーを罰するなんて出来るはずがないから。チッチを愛しているはずなのに、急に「店の商品」呼ばわりするのもそのせいだよ。ジレはチッチを愛しているけれど、その手を取るのは自分でもルキオラでもなく、フギオーであってほしかったんだ。
もし、チッチがフギオーじゃなくてジレを選んでくれたとしても、このハヴェンナでは「一輪の花(チッチ)」は萎れてしまう。ジレはチッチの純潔を守るために、フギオーと共に外の世界で生きることを望んだ。だから、ルキオラがチッチを拒絶するように仕向けたんだよ。そうすれば、チッチのハヴェンナへの未練はなくなるから。

オー・ラマ・ハヴェンナは、あの四人が「清廉潔白なチッチだけがハヴェンナの希望の光」という理想を押し付けあう話だから、常に相手の本質を見ようとするスズくんには彼らの気持ちがわからなくて当たり前。そもそも、チッチとミゲルの会話から察するに、ハヴェンナの外にあるのは希望なんかじゃなくて、田んぼとネシロミ畑だけだよ。

チッチは神父と出会った時に、とっくにハヴェンナに染まってる。ヨモギ売り=娼婦なので、チッチと神父の冒頭の舞踏は処女喪失の暗示。ハヴェンナに生きる者は、皆、愛に振り回されていて、"チカチーナ"と神父のラストシーンは「結局、人間は欲望には逆らえない」という皮肉だよ。ルキオラの赦しを得て、彼女はより一層"ハヴェンナのチカチーナ"として人々を惑わせていく。

だから、愛や欲望に溺れることのないミゲルだけがハヴェンナを出ていく。ミゲルがチッチを買っていたのは、ヨモギを売ってほしかった=快楽目的ではなく、共犯者のチッチを見守るためだったんじゃないかな

だからこの時点で「チッチ」ではなく「チカチーナ」

シシアで演じたチャンスが主人公適性がありそうなキャラクターだったので、あのままジャックエースになっても何の違和感もなさそう。もちろん、スズくんのルートではじゃっかんチャンスの分量が増えるんだろうけど、今のままでも十分華のあるキャラクターだった。スズくんの性格的に、少女漫画みたいなルートになると思うので楽しみ。

・世長

化けた。なかなか芽が出ないと思っていたら、とんでもない化け方をした。代打で出演して、本家より活躍してしまうという展開は演劇モノあるあるだけど、まさか設定から変えてしまうとは。双子のかりうど、カッコよかったよ。

フィガロ、フギオー、イザクと、普段の世長からは想像も出来ないような役をやってのける。世長に対応したパラメータが読解なのも納得。スズくんがどんな役柄も自分色に染め上げる役者なら、世長は役の中に自分を溶けこませる=憑依しまう役者。舞台のために命を削る天性の役者気質なので「我死也」も出来そう。

世長もフギオーも決して清廉潔白ではない

フミさん√をプレイしている最中も、とにかく希佐のことが好きでたまらないという感情が滲み出ていたので、個別のシナリオはどうなるんだろう。なぜ、希佐のことが好きなのか、とか恋心の原点に立ち返る感じかな。

・白田先輩

クーデレINTJ先輩。

白田先輩はデレてからが本番。秋公演辺りから急に分量が増える。田中右に啖呵も切る。白田、77期の柱になれ。
秋公演で「ゴーストたちのママ的存在」と言われた時に嫌そうな顔をしていたので、母親と不仲なんだろうな。容姿が中性的なのも、まさか母親の趣味?「本当は可愛い女の子が欲しかったのに〜」って言ってくる暗殺教室の渚と同じタイプの自分の理想を押しつけてくるタイプの毒親っぽい。

冬公演、すごいものを見せられた。ルキオラはもちろん、公演前後の下りも共通ルートのセリフとは思えない。

作中屈指の名言だと思う

白田先輩は名言というか核心をつく台詞が多い。心が透明で純粋だからそんなことが言えるんだろうな。
そんな白田先輩を支えたい。何より、田中右に一泡吹かせてやりたいので、白田先輩ルートを早くやりたいです。個別のシナリオとしては、二人の関係はルキオラとチッチをベースに、白田先輩が組長としてクォーツを背負って立つ覚悟を決める話かな。最終公演は全学年クォーツが金賞取ろう。

・カイさん

能力の高さと自己肯定感の低さが釣り合っていない。ひょっとしたら、自己肯定感だけなら世長の方が高いかもしれない。世長は役への解釈の深さなら誰にも負けていないし、根地先輩に演出家として将来有望と言われていたので、本人もそこだけは自信がありそう。あと、忘れちゃいけないのが、希佐と過ごして時間と愛情も。
カイさんは、圧倒的な『華』を持つ『器』という同じ立場の菅知やアンバーの二人と比べても、自己主張が控えめすぎる。お陰で、冬公演の課題が演技の幅を広げることではなく、自分の欲と向き合うことになっていた。

一枚目のスチルすら回収出来なかったので、個別のシナリオの展開が全く予想出来ない。もっと休日に交流すべきだった。フミさんは中小路かダンス教室にいることが多かったけれど、カイさんはずっと山に籠っていた。皆が帰省する年末ですらマップ上に表示されていたので、帰省しなかったのかな。もしかしたら、白田先輩同様、家族仲が悪いのかもしれない。白田先輩や根地先輩ですら親との関係を匂わせる台詞があったのに、カイさんは全くなかったので、白田先輩のような単純な毒親ではなく「なかなか感情を表に出さないことから、家族から気味悪がられていた」というタイプかも。動物と仲がいいのも、幼少期、話し相手が動物しかいなかったから、という理由の可能性もある。演技の世界に飛びこんだのも、そういう経緯あってのことかな。

個別のシナリオでは、希佐と交流を育む中で笑ったり泣いたり、ありのままのカイさんが見たい。ハセクラですら「城間に振り向いてほしい」という欲があったのに、カイさんはそれすらないので、もっと自分のことを大切にしてほしい。
体験版の感想で、希佐とカイさんの関係がまほやくのアーサーとオズみたいって表現したけど、本当にそんな感じなんだろうな。夏公演の希佐⇔カイさん⇔根地先輩の関係が、アーサー⇔オズ⇔フィガロそのものだった。

・根地先輩

クォーツのジョーカー的存在。道化ではなく、あくまでジョーカー。元はアンバーの生徒で田中右のアルジャンヌだったとさらっと言ったり、突然「ルキオラは僕なんだ」と言い出したり爆弾をちょくちょく投下していくので気が気でない。

「ルキオラは僕なんだ」発言を受けて、そのままルキオラ=根地先輩、チッチ=立花希佐に置き換えてみると

・ルキオラは親友のチッチがヨモギ売りだと気づいていない(根地先輩は立花希佐が女だと気づいていない)

・ルキオラは父親をヨモギ売りの愛人に奪われており、実の母親はすでに亡くなっている。そのため、愛人、およびヨモギ売りを憎んでいる(根地先輩は父親を愛人に奪われており、実の母親はすでに亡くなっている。そのため、愛人を憎んでいる)

・ルキオラは親友のチッチがヨモギ売りだという事実を受け入れられない(根地先輩は立花希佐が女性だと受け入れられない)


・ルキオラは自分で自分を許せず、懺悔する(根地先輩は自分で自分を許せず、教会で懺悔する)
→もしかすると、この懺悔は「根地先輩の実の母親の懺悔(私がダメだから全部なくなってしまったの?)」と「根地先輩が立花希佐を拒絶したことへの懺悔(赦してください)」が混ざっているのかもしれない。

・ルキオラはチッチを、チッチはルキオラを許してハヴェンナで共に生きることを決意する(お互いの罪を許し、共に舞台に立つことを決意する)

ということになるので、オー・ラマ・ハヴェンナそのものが、根地先輩のシナリオへの布石になっているんだろうな。冒頭の神父とチッチの舞踏も、神父(根地先輩の父親、演出家)とチッチ(後の愛人、女優)に置き換えることが出来るし、ラストシーンも「先に仕掛けたのは根地先輩の父親だったけど、どんどん女優に溺れていって不倫に至った」ととれる。根地先輩も、年末にカイさん同様ユニヴェールに留まっていたので、ルキオラと同じく、実の母親はとっくに亡くなっていて、父親は愛人と共にどこかで第二の人生を歩んでいる、或いはドミナとファキオのように破滅しているのかもしれない。

ただ、ルキオラと根地先輩の性格はあまりにも違うので「ルキオラは僕(自身)なんだ」ではなく「ルキオラは僕(の理想)なんだ」という可能性もある。ルキオラはドミナ(愛人)に怒りを顕にして、チッチのことを一度は拒絶して、それでも最終的には許したけれど、根地先輩はそもそも愛人が目の前に現れたところで、ルキオラのように食ってかかることは出来ないだろうし、立花希佐が女だと受け入れられなくても、ハッキリと「二度と顔も見たくない」とは拒絶出来ないと思う。
ルキオラには「僕には出来なかったことも、ルキオラ(白田先輩)なら出来る」っていう、根地先輩なりの「あの時、せもしこうしていたら」という後悔が込められていて、どちらかというと、根地先輩自身はルキオラの「自分で自分を許せない」という要素の方が強く表れそう。

普段の根地先輩からは想像も出来ないような壮絶な過去だけど、これ以外に個別のシナリオへの布石(キャラクター毎のシナリオへ誘導するフック)がないので、ほぼ確定じゃないかな。スズくんなら足の怪我や役柄の幅の狭さ、世長ならずっと温めてきた恋心、カイさんなら自分の欲、フミさんなら自由、白田先輩の母親との確執や次期組長の重圧──と本編でキャラクター毎のキーワードが登場するのに、根地先輩だけ一切ない。強いていうなら「才能」?


根地先輩がやたらと「才能」という言葉を使いたがるのも、愛人のせいで家庭が無茶苦茶になったから、愛情なんて曖昧なものではなく、確かな才能で人を評価すれば見誤ることはないという人生経験から来ているのかな。ルキオラも「パパとママがおかしくなったのは〜」と言っていたので、幼少期は家族仲がよかったのに、愛人に無茶苦茶にされたんだろうな。

「自分には不倫した父親と同じ血が流れているから、人、特に女を見る目はないだろう。でも、他人の才能を見極める目は確かなはず」っていう思考回路の持ち主。「人を見る目」はないけれど「才能を見る目」はある。愛情は曖昧なものだけど、才能はある/なしで白黒ハッキリしているから。

ここまで書いてやっと思い出したけど「生き急いでいる」という一文に本編で一切触れられなかったのが不穏。持病があるようには見えなかったけれど、どこかでそれを匂わせる描写を見落としてるのかもしれない。もしくは、体験版の感想で書いたように、寿命の問題を抱えている?「根地家は女性に振り回される短命な一族」って言い伝えでもあるのかな。
この人は本当に謎が多いので、早く解き明かしたい。あと、フォロワーさんがオススメしてくれたバレンタインまで辿り着きたい。

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