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私の青春のすべて

4/15 20年近く好きだったバンドのベーシストが亡くなった。

れいたの訃報はXのトレンドで知った。

トレンドにバンド名があって、「珍しいな。ツアーするのか?新譜出した?もしや解散…?」とか思って開いたら全然それどころじゃなかった。
界隈で友達を作らなかったこと、現場から離れて長かったことで気持ち吐き出すことができず、ずっと胸につっかえているのでここに書いておく。

熱を上げていたのは中高生の頃だった。10年以上前の話。陽キャではなく友達も多くなかった中高時代、文字通り私の青春の全てと言っても過言じゃない。

中1?中2?の頃に初めてできた彼氏がガゼットというバンドがかっこいいんだと教えてくれた。
実家のリビングにあったPCでyoutubeを開き、CassisのPVを見た。衝撃だった。
ヴィジュアル系の存在は知っていたものの、イメージはX JAPANで、長髪をこれでもかと逆立てて癖のある歌い方をする昔のバンド、という印象だった。歌い方?というか声?に癖はあるものの、メロディラインがきれいで聞きやすく、見た目も当時中二病真っ最中の私にはドンピシャかっこよかった。
もうそこから彼氏なんかそっちのけで沼に沈み、崖を転がり落ち、私が出来上がった。

初めて買ったのはREGRETとFilth in the beauty。ほぼ同時期に出てたはず。REGRETは今でもカラオケで歌うし、あまり有名ではないけど名曲だと思う。
初めてライブに行ったのは中2のクリスマスイブ、大阪厚生年金会館大ホールのチケットをブログで仲良くなった会ったこともないお姉さまに「いけなくなったから」と譲ってもらって、お父さんに送ってもらって1人で参戦した。ダブルアンコールがあって超初期の曲をやってくれて凄くうれしかったのを今でも良く覚えている。当時の感想は「うわぁ本当に存在してるんだ…」だった。
この頃にはガゼットを教えてくれた彼氏とはとっくに別れていた。

nameless liberty武道館のライブDVDを何度も何度も見返して、なぜこのときにはまだ知らなかったんだとむせび泣き、廃盤になったCDもヤフオクで買い漁り(枯詩がどうしても欲しかった。赤いワンピースや関東土下座組合は上記のチケットを譲ってくださったお姉さまがMDに落としてくれた)、雑誌も表紙のものはかき集め、なんなら前身バンドのフライヤーのコピーまで収集していた。

ここまで来るとほぼV系しか聞いていなかった。影響を受けたとされるDir en grayを始め、V系界隈いろいろ通ったけど、私にとってのガゼット以上は現れなかった。

高校生にもなるとバイトができるようになり、せっせと働いて、つぎ込んでいた。
今と違ってどのバンドでも握手会などの触れ合いイベントなんて珍しかったし、姿を見られるのはライブ会場だけだったので、高校生の出来る範囲で関西2府4県とツアーファイナルは全部行った。
ファンクラブにも当然入っていて、FC限定イベントももちろん行った。当時は第2次?V系ブームがあったのでチケットは争奪戦だったし、なかなか小さな箱(ライブハウス)のライブは取れなくて悔しい思いをしていたのが懐かしい。それでもZepp osakaやBig catとかの大きめの箱には行けて、ホールと違うもみくちゃ感が新鮮で、メンバーが本当に近くて感動した。
文化祭すっぽかして1人で夜行バスで横浜アリーナまで行ったなぁ。勉強は人並みにできたので先生も親も好きにさせてくれていた。ありがとうでしかない。

メンバーは私の中でどんどん神格化されていった。
サイン会イベントに行ったときは緊張しすぎてタワレコのトイレで吐いた。初めて触れられそうな距離で見るガゼットのメンバーは、硬そうな衣装を着ていて、香水の良い匂いがして、目の色がきれいで(カラコンだけど)、化粧はバリバリに濃いはずなのに全然崩れていなくて、爪先まで色白できれいで、本当に現実感がなかった。

ライブから離れるきっかけになったのは大学受験。単純に忙しくて余裕がなくなった。
この時期に音楽の方向性が変わってきていて、海外志向も強まってメタルちっくな曲が増えたのもあると思う。ちょうどDIMの頃だった。
軽音部に入り、いろんな音楽を知って、私はいつのまにか30才になった。

今ではお小遣いやお年玉、コソコソやっていたバイト代のほとんどつぎ込んだ時に比べると、完全に落ち着いている。細々と新譜が出たらチェックするくらいだった。
当時の熱量はなかったので今ファンか?と聞かれると自信をもってyesとは言えない。でもずっと好きだった。
こんな私が一丁前に悲しんで良いんだろうか、お気持ち表明してウザくないだろうかという気持ちもある。現役で追っていたファン、ご家族、そして苦楽を共にしたであろうメンバーは私なんかよりずっとずっとずっと辛いに違いない。


れいたの訃報をXで見かけて、自分でもびっくりするくらい動揺した。ボロボロ泣く私を見て、夫は困惑&ドン引きしていた。夫はバンプオブチキンの藤君が好きで、漫画はワンピースが好きで、バリバリの体育会系出身という陽の道を歩いてきた人だったので、元バンギャなことは言っていなかった。妻が突然知らないバンドマンの訃報で取り乱しているのだから困惑して当然だろう。

V系バンドの寿命は短くて、長寿バンドはタイアップなどで一気に売れて一般受けにシフトするか、hydeや櫻井さんみたいな強烈なビジュアル担当がいるかどちらかではないだろうか。どうしたって年を取ってくると濃いメイクが似合わなくなるし、体形維持も難しいからだと思っている。もちろん私の勝手な持論です。
ガゼットと同世代のバンドもほとんどが解散や活動休止になったんじゃないだろうか。ガゼットは超初期にドラムが由寧くんから戒くんに代わってからずっとメンバーチェンジもなく、活動休止期間もなく、化粧も薄くせずうまく方向転換して第一線を走ってきたと思う。
私が一番熱を上げていた当時は新規御用達バンド、アンチも多いイメージだったけど、今や実力も伴う安定したベテラン枠だっただろう。ガゼットはメンバー仲、売上、動員、安定してたじゃん。そう思っていた。ガゼットはこの先もずっと活動してくれると。

死因は公式が言及していないし、憶測でどうこう言うのは良くない。
やめたい。考えると眠れない。


れいたの最後のポストは「the GazettEは永遠であってほしいと願う」

the GazettE「は」?。20年近く経ってもガゼット以上にはまるものは出てきていないし、10年現場から離れていてもこんなに泣けるんだから永遠に決まっている。いまは上がったファンのみんなも、現役で通っていたみんなも同じ気持ちだと思う。
解散するかも…、新しいベーシストを入れるかもしれないし、サポートメンバー的な感じで4人で活動を続けるかもしれない、と思っていたけど、結構早い段階でメンバーがコメントを出してくれた。
私の中のガゼットはずっと5人しか考えられなかったから、ずっと5人でガゼットであることは変わらないとはっきり言ってくれて、悲しいけれど、本当に悲しいけれど救われたような気持ちだった。
私なんかよりもずっとずっと辛いはずなのに、早いタイミングでコメントを出してくれてありがとう。


HERESYのラジオ聞いてると、時が止まっているようだった。
私の青春がこんな形になると思わなかった。19年前に出会ってからずっと大好きだった。
一貫性があって、硬派で、ファンに媚びず、でも大事にしていることはちゃんと伝わっていて、音楽に対して真面目なところが好きだった。


追悼公演はあっさり落選した。何度か開きなおしてみたり意味のない悪あがきもしてみたけどはっきりと落選と書いてあった。
昇進論文提出直前で徹夜覚悟のかなり無理したスケジュールだった。れいた本命が行くべきだし、現役で追いかけていたファンが行くべきだし、本当はこれで良かったのかも。なーんて何にもならない嘘をこんなところでついても意味ないよね。行きたかったよ!!!

私は今でも受け入れられないというか、現実感がないというかでフワフワしている。
気持ちに区切りを付けようと応募したけれど、この先受け入れられるだろうか。


もう良い大人なので時間が解決してくれることは知っているのだけれど。

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