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2024-02-07 成功の方程式

こんにちは。
きっと何者にもなれない匿名アカウント もりはやし(@KiKiKI_KiKi) です。

これまでの Note で 収入にはポジション取りと運要素が強いこと、何かを続けられることこそが自己実現への近道なのではないか?という事を考えてきたました。

改めて成功とは何か?ということを考えていたので書き残しておきたい。今、私が考えていた事の備忘録として。


成功とは何か?

そもそも成功とは何か?を定義する必要がある。
社会的地位がある・年収1000万以上・タワマンに住んでる・SNSのフォロワーが100万人以上いる・モテる・結婚してる… エトセトラ。エトセトラ。
何が成功なのかはその人が何を大切に思ってるのかって価値観によって異なる。それはそう。

一般的に成功と呼ばれるものは何かを考えたとき、私は社会的な名声を得ていることが成功だと呼ばれるのではないかと思った。

名声を得ている人は往々にして収入も良いし、有名人はモテる可能性も高く、有名人であることはSNSのフォロワーも多くなるし、発言に良くも悪くも影響力があるってことは社会的地位があるとも言える。

ぱっと思い付く成功の事例は、社会的な名声があれば実現可能な事になりそうじゃないかな?
なので、「社会的に名声を得られていること」を成功だと定義しよう。
この名声は芸能人のようにマスなものでも、知る人ぞ知る舞台監督とかイラストレーター界では神絵師とよばれてるといったその業界や界隈の中ではの名声でもでも良い。

成功とは周りの認知

ではその名声が得られているというのはどんな状態なのか?
アリストテレスの言葉を引用しよう

名声とはあまりに皮相的で、求めるものではない。
名声とはあたえられる側よりも、与える側次第のように思える

アリストテレス著「ニコマス倫理学」

言い換えれば、「名声というのは自分で得られるものではなく、周りがあの人は凄いと与えるもの」って感じだと思う。
そう思う。自分で私は有名人です!インフルエンサーです!〇〇No1です!ってアピールしてるのちょっと滑稽だったり胡散臭く感じてしまいますもの

例えばヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。
彼は生きている時に売れた絵は1枚だけだ。つまりゴッホは生きている時に名声を得ることは出来なかったが、死後に絵が再評価されてゴッホは実は凄かったって事になった。評価する人の声のデカさでかれの名声は変わってしまった実例だと思う。
孤独に死ぬまで一人で『非現実の王国で』を書き続けたヘンリー・ダーガーも、死後に楽曲が再評価されたバッハも同じだろう。

Snoopy vs. the Red Baron

第一次世界大戦での有名人は?
スヌーピーにも登場したり、赤い彗星シャアのモデルでもあったであろうドイツの撃墜王レッドバロンこと「リヒトホーフェン」はすぐに名が上がるだろう。一方彼と同じくらいもしかすると彼以上に活躍していたフランスの撃墜王「ルネ・フォンク」の名前は歴史から忘れされれている。

彼らの違いは何だったのか?

リヒトホーフェンはレッドバロンと愛称が付くほど、自分の戦闘機を中世の騎士みたいに目立つ真っ赤に塗って自分をアピールした。その活躍は目立つ機体とも相まってドイツ本国でもプロパガンダに使われ、敵国からも懸賞金が掛けられる程に認知されていた。そして彼は25歳という若さで戦死を遂げる。シンボルとされていた彼の戦死は彼を伝説や英雄としたり、相手国にも瞬く間に広がった。

一方のフォンクは確実に生き残る戦い方をした。操縦技術が高いことも相まって負けない。負けないから撃墜数も増えるという感じだ。
彼は第一次世界大戦を生き残り、その後フランスの議員にも選出された。
戦間期の1926年にはデモンストレーション飛行の着陸に失敗し、その後に始まった第二次世界大戦が始まりフランスがナチに占領された際には占領下で生活していたためにナチ協力者という疑惑を掛けられた。

目立ち国のシンボルとして扱われている中で死に国民からは英雄視され敵国からも好敵手だった奴として捉えられたままのリヒトホーフェン。
戦争中はエースパイロットとして栄誉を得て議員にまでなったが、晩年に失敗や疑惑を掛けられたてこの世をさったフォンク。
彼ら現代での評価(名声)は撃墜数という成果ではなく、周りからどう思われていたかで決まっているのではないだろうか?

アートの価値の謎

Les femmes d’Alger (Version ‘O’)

ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」は現在では8億ドルを超える査定になるらしい。1ドル145円なら1160億円以上だ。
パブロ・ピカソの「アルジェの女たち (version ‘O’)」は1億8千万ドルくらい。260億円ほど。

絵やぞ?
ついでに言えばピカソも死後に評価が高まった作家なんだ。

Fountain - Marcel Duchamp filosofianetdadaismo via VisualHunt.com / CC BY

これはどうだろう?「泉」ざっくり言えばサインがされた便器。
マルセル・デュシャン が 1917年にNYの展覧会に出品しようとして断れた作品だ。オリジナルは残っておらずレプリカだが1999年のオークションで172万ドル (約2億円) の価格が付けられた。
いや。便器やぞ。それも既製品の…

デュシャンの泉はアートとはこういうモノという暗黙の了解であった既成概念に対する初めての挑戦だった。コンセプトアートとか現代美術の始まりの作品というコンテクストが価値を与えている。
物自体ではなくモノに含まれる文脈が価値になっている

先のダ・ヴィンチやピカソの絵画だって、誰かがその値段の価値があると信じて値付けし、それを買う人が居るから多くの人がその価値なんだと信じているに過ぎない。
ここでも絵そのものではなく、他者が絵につけた値段をみんなが共有して信じているからその価値になっているんだと言える。

少し前に流行った NFT とかで考えると分かりやすいと思う。
ブロックチェーンにリンクが貼られたピクセルアートや子供の書いた絵が 6000ドル (80万円)近くで取引されていた。その頃は NFT だからその価値があると思っていた人が多かったから、その金額で取引されていた。
今では大半が 5ドル〜100ドル程度になっているそうだ。つまり人がその価値を信じれなくなった時に価値を失ったと言える
(参考: NFTの95%が無価値? 専門家らが「NFTは死んだ」と題したレポートを発表 - ARTnews)

価値があるとみんなが信じている事がそのモノに価値を与える。
そのもの自体の価値も他者画によって決まってるじゃないだろうか?
呪術というか、信仰に近いものだと思う。

話がそれるけど、東京都内のマンションの高騰も私には同じような構造に映って、価値があると信じている人たちのババ抜きになってるんじゃないかな?って感じてる。この仮説が、どうなるのかは数年後には分かるのかな?

成功とは

まぁつまり長々といろいろと書いたけれど
成功とは、何を成したという成果ではなく、その成果を周りの人がどう判断するのか価値を与える
成功とは、社会的成功だと言っても良い。

成功者はより成功しやすくなる

モナ・リザが有名なのはモナ・リザが有名だからだ。
YouTuber や SNS のフォロワー数などが何かのバズりをきっかけに指数関数的に増えるのを見たことがある人は多いと思う。

こんな事例がある。
ハリーポッターで有名になった J・K・ローリング は、自分の作品は自分の名前で評価されてるのではないか?と思いロバート・ガルブレイスという名前で「カッコウの呼び声」という作品を出版した。
本当に作品として面白いのであれば、「カッコウの呼び声」も多くの読者を獲得できるはずだった。
しかし結果は違った。「カッコウの呼び声」は殆ど話題上がることはなかった。
その後小説マニアによってロバート・ガルブレイスは J・K・ローリングであることが突き止められた。最終的に作者もそれを認めた結果「カッコウの呼び声」は瞬く間に人気作品になってしまったのだ。

成功している有名人は、有名だから更に他の人の目に触れやすくなってより成功していく。価値があるとみんなが言うものは、欲しがる人が増えるからより価値が高まっていく。

そうなっていくと何を成したか・言ったかではなく、その人が作ったから・言ったから評価されるという信仰に近いものになっていくと思う。
ブランディングという意味では正しいのだと思うけれど。

売れてるからこの作品は素晴らしいんだ。みんな見てるからこの作品はすごい作品だ。アニメや漫画界隈でも結構見聞きする話じゃないかな。

大きな成功も小さな成功から始まる

成功しているクラウドファンディングや売上の出る書籍を調査した結果、早い段階でクラウドファンディングに投資している人がいるとか良いレビューが書かれているという傾向がある事が発見されたそうだ。
その研究では「優先選択」と呼んでいて、投資があるとか良いレビューがあるとかというポジティブな評価があると、次に見た人がその評価に引きずられて良い評価をする確率が上がると説明されていた。
そして、そのポジティブな評価をしている人が有名人とかネームバリューがある人ならよりその効果が高いらしい。

みんなも何かを買う時に、Amazon のレビューを見たり口コミを見て検討した経験があると思う。
その分野に詳しい人がいい評価をしてたりオススメしてたら良いんだろうな〜ってポジティブな先入観でその商品を見てしまわない?
人は思ったより自分の評価だけだと不安で他人の評価を自分の判断に使っているんだと思う。それも無意識的に。

私の好きな「社会運動はどうやって起こすか」というTEDがある。

広場で1人で踊っているクレイジーな人がいるんだけど、それを面白がって一緒に踊る最初のフォロワーが現れたら後は雪だるま式に踊る人が増えてムーブメントになるって映像で、初期にポジティブな評価をして応援してくれる人がキーになるって事を言っている。
この成功が小さな成功から始まるのも同じ構造だと思った。

そうそう、その研究では悪いレビューはあまりネガティブな方向に引っ張るバイアスは無いと結論されていたが、アメリカでの研究結果なので日本だと異なるかもしれないんだけど…

そう思えば、自分が好きな絵描きやVtuberやアイドルがいるなら、思い切ってポジティブな評価をSNSとかに投稿することは、少なからず推しの成功に寄与することにもなるんだよね。ポジティブな事はドンドン投稿しよう!
その方がハッピーじゃない? 

ここまでつらつら書いてみたけれど、成功が他者の評価なので、成功していることが更なる評価者を呼び寄せより成功していく。
成功は雪だるま式という構造は間違いがないんじゃないかな。

運は試行回数のこと

運がいい人と悪い人の違いを10年間も調査したリチャード・ワイズマンの「運のいい人の法則」(タイトルが胡散臭くて損してる感はあるけど) って本がある。

この本には自分が運が良いと思っている人は単純に試行回数が多かったと書かれていた。
自分は懸賞によく当たると思っていた人は、懸賞に当たらないと思っている人の3倍ほど応募してたとか、運良く仕事が途切れない人は仕事が途切れがちな人より面談に行ってる回数が格段に多かったとか。

ちょっとした失敗で辞めてしまうのではなく続けていることとか。
失敗をダメなことではなく、改善するための経験だと捉えてるとか
自分が好きでやってることだから他人の評価を気にしてないとか

何かを続けられることこそが一番の才能だと思った話」で書いたようなことだ。

当然、続けている人の方が発見されやすくなるのだから成功に繋がる可能性も高くなるんじゃないかな

ポジションの重要性

「名声を得る」という成功を手に入れるには、続けていることと、それを見つけてもらって評価してもらうことがキーになるという仮説ができてきた。

見つけてもらって評価してもらうこと。
できれば、影響力のある人に評価してもらうこと。
これが難しいポイントだと思う。

例えば、君がある科学者で研究結果を国の人の前でしか発表する機会がないような社会主義の国に住んでいるなら、その研究分野で有名になるのは難しいだろう。

サッカー選手でポジションがディフェンダーなら、ある試合で50回相手のゴールを阻んだとしてもチームが勝利するための1点を決めたストライカーの方にスポットが当たりやすいだろう。

有名人と一緒に何かプロジェクトをやって発表したとして、君の貢献が大きかったとしてもその有名人のプロジェクトとして認知される可能性が高いだろう。

外に成果を出せない環境なら見つけてもらえないし、チームでの成果はそのチームで一番目立つ人の成果だと捉えられる可能性が高い。
君の成果だと見つけてもらう。成功を手に入れるには「良いものを作り続けていれば評価されるはずだ」と運に期待するのではなく、戦略的に動く必要があるのかもしれない。

バスキアってアーティスト知ってるかな?

1970年代。彼は友人と覆面ユニット「SAMO」を組んでストリート・アート。雑に言えば町に落書きをする活動をしていて、そのユニットが少し話題になるくらいになっていた。

友人は政治的なメッセージもあるから覆面でアートをすることが大切だと考えていた。一方でバスキアはアンディ・ウォーホルなどの有名アーティストに会いに行き自分の描いたポストカードを配りながら秘密だけど実は自分が SAMO の正体だと教えていた。

その結果どうなったのか。
バスキアはアンディ・ウォーホルたち有名人の口から名前が上がったことで現代でも知られるアーティストになったが、一緒に SAMO をやっていた友人は無名のままだ。

評価のハブとなる人や場所と繋がっている・チームの中で目立つ役割があるそういったポジション取りは成功という意味ではとても重要になる。

成功の方程式

パフォーマンスを発揮できる分野 ✕ インパクトのあるアイディアと実行 ✕ ポジション取り= 未来の成功

これが成功の方程式かもしれない。

書を捨てよ、町に出よ

つまり、成功を手に入れたければ自分の努力以外に評価されるハブとのコネクションを作りに行く行動もとても大切になる。

書を捨てよ、町へ出よう

寺山 修司

書を捨てるのは良くないと思うけど、書だけ読んでてもダメってこと。
吉田松陰が教えていた陽明学で言う所の「考えても実践して無ければ考えてないのと同じ」ってことなんじゃないかな。

自分の作品をアイディアを、この人に評価してもらいたいって人に評価してもらえるように戦略的に行動することが本当に大切なんだと思う

しかし成功と自己実現は異なる

成功の定義に戻るけど、名声という社会的な成功とは他者がどう捉えているかによって左右される。

自分が成し遂げたいことが、社会的な名声を手に入れるとか有名人になりたいという事と異なるのであれば、自分自身にとっての成功 (自己実現) とは異なるものだろう。
なぜなら、必ずしも作品の真価が人気とイコールではないってことは書いてきた事例からも分かると思う。

ヘンリー・ダーガーのように自分の思う世界を満足するまで描ききりたいだけ。そんな自己実現が目的なら、フォロワー数とかバズるとか、社会的な名声を得るためのレースに一喜一憂してモチベーションが失われるのは損だと思う。そんなレースからは距離を取るのが幸せになれる方法なんじゃないかな。

成功は、何を成功 / 目的とするかによって変わるのだから、他人の思う成功の物差しを自分に当てはめる必要は無いって思うんだ。

まとめ

名声を得ることを成功とするなら

  • 成功したい得意な / 好きな分野の事をやり続けよう

  • 注目されるようなアイディアを見つけ出そう

  • 評価してもらいたい人に見てもらえるように会いに行こう

  • ただし、真価と人気は必ずしもイコールではない

こんな感じかな。

参考文献


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