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2023-07-05 誰が言ったかと信用の話

朝抜け出して観に行った「水は海に向かって流れる」って映画が大変良かったので早起きしてよかった。

Landry って映画で流れてた Bonnie Pink の Under The Sun って曲を想い出してた。

信用とコンテクストの話

何回か SNS に肩書を並べてる人が苦手だとって話をしていて、前回は何を言ったかより誰が言ったかよりかに価値を持たせようとしている行為が苦手なんじゃないか?って思いつくままに書いていた。

じゃ「誰が言ったかに価値を持たせる事」って何なんだろう?って事を考えていて誰が言ったかに価値が出るのは信用の話なのではないかって所に辿り着いた。

例えば @t_wada が言ってたとか、深津さんが言ってたとか、さいとうなおきが言ってたとか、ニーチェが言ってたとか。
そいいう誰が言ってたかで価値が出るのは、その人の積み上げてきた信頼があるからこそ、この人が言ってるから信頼できるってなるんだなってしっくりきた。

これには当然コンテクストを知っている / 理解している必要があるのだけれど…
ITエンジニアでなければ @t_wada は通じないだろうし、お絵描きをしてなければ さいとうなおき is 誰?ってなるかもしれない。

だから、誰が言ってたかで話が通じるのは、その人の功績や信頼ってコンテクストを共有している人の間でしか通じない話なんだ。

ITエンジニアの端くれとして、会社名や肩書を並べてる実名・実写アイコンの人より、Zenn や勉強会で登壇したり引用されたりする @なにがし なアニメアイコンのエンジニアの方が信頼できる肌感覚があるのは、彼らが何を成したのかを自分が知っている・成果を理解でできるってコンテクストを持っていたからだったのだ。

つまり、コンテクストを理解してない人には自分が何者なのかは伝わらない。
だから社名や役職みたいな肩書を入れてるのはコンテクストを知らない人に向けて自分にはこんな信頼があるとアピールしてるって訳。
これはちょっと 虎の威を借る狐 だと思っている。
つまり会社とか自分自身ではない者が積み重ねた信用を自分のものとして振る舞ってる風に感じるから、ズルっぽくて好きじゃないって感じてるんだと改めて実感した。

セルフブランディングの話

とはいえ小学校の教室とか、ちいさな村とかじゃない広大な SNS の中で、
自分の成果や評価が広く認知された結果そう呼ばれるようになる = 信用を築く
ってのは難しいと思う。(一部のクラスタ内ならそこまで難しくないかもだけど)

だから 〇〇する人 とか 〇〇を教える✗✗ とか 自分の名前やプロフィールに書いてセルフブランディングを行う人が増えたのだと思う。

ビジネス目的なのか、承認欲求が元なのか、根源は人によって違うだろうけれど。

最近聞いた超相対性理論の Podcast でもセルフブランディングについて触れられていて、既に取り組んでいることが伝わりやすくする方法だけでなく、戦略的にこうなりたいを先に言ってしまってから実態を近づけていくセルフブランディングもあるって言ってた。

確かに、先にできますって言って受注してから必死で作るって手法はキャリアの話でもスタートアップの話でも数々出てくるので、羞恥心で動けないよりは良いのかな〜って気もしてきた。

一方で、自分をフォローするとこんな有益な事があります。とか自分で〇〇 No.1 みたいに書いちゃうのには違和感がある。

有益かどうかは受け手が判断するものだし、No.1 かどうかなんてエビデンスが出せない領域だと自称モンドセレクション金賞受賞程度のものでしか無いと思ってしまう。

他人に評価 = 信頼が積み重なった結果そう呼ばれるようになる。なら分かるのだけれど信頼を勝手に自分で語ってるのが気に食わないから、そういうの苦手なんだなって "make sense" したのでした。

まとめ

  • 「誰が言った」が効力を発揮するのは、その人に信用があるから

  • 「誰が言った」は信用のコンテクストを共有してる人の間でしか成立しない

  • どんな信用を得たいかってのがセルフブランディング

他人の積み上げた信用にフリーライドして、さも自分の信用のように暑かったり、他人が評価するところの信用を自分で語ってしまう人が僕は苦手。なんだな。って言語化できたので良かった。

きっと何者にもなれないって想いで生きてきたけれど、今の時代を生き残っていくには僕も自分の思う正しさでセルフブランディングしていった方が良いのかな。って思えてきた。今更ながら

旅の恥はかき捨て。


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