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note をはじめました

趣味が考え事のような人間なので、つらつらと思いつくままに Twitter なぞに長文を投げることが多々あるのだけれど、考えがまとまってきた時にちゃんと残しておきたいなと思い note を始めることにした。

Blog や Fanbox もあるが前者は技術の備忘録、後者はイラスト・同人関係に絞っておきたかったので note なるものに書き残すことにした。
Twitter のような public な場所に書くには少しリスキーだけど書き残しておきたいことなど課金によるプロテクションが働かせられるのも良さそうな気がしてる。

三日坊主になってしまう可能性もあるけれど、思えば今の Blog も初めてから2年くらいはアクセス数 100 くらいだったなーと気負わずやっていければと思っている。承認欲求をモチベーションにするのは続かない。嫌われる勇気 にもそんな事が書いてあった気がする。吾輩は有象無象の無名の人間である。そんな一般人が反応なんて期待しても仕方ないのだ。志は低く!そんな感じでゆるゆるやっていければいいかな。くらいの温度感。


そんな感じで自己紹介。

名前。もり はやし (KiKiKi KiKi)

美術系の大学出身。(デッサン経験がないので劣等感がある)
絵を描いたり、プログラミングを描いたり、歴史を調べたりしてる。
シーランド公国男爵。ポメラニア・リヴォニア大公国辺境伯。
好きなイヌは走る食パンことコーギー


大学時代に舞台をやっていて舞台衣装を作る仕事をちょこちょこしてた。
その流れて新卒で某ブランドのファッションデザイナーになったけど不況と毎日26時くらいに帰って朝9時に出勤するようなブラックぶりに心を壊して撤退。

自分で作ったものを自分で売れば生きられるか。売るには広告が必要だ。webなら自分でやれば広告費かからなくない?と無職時代に独学で web 勉強した。

その後個人のデザイン事務所に潜り込むも私の入社ととともに唯一の先輩が退職。実務経験がないのにわりと大きめの企業をまるっと任され、打合せ〜提案・デザイン・実装・素材管理などお金の管理以外を全部やることになった。その上にリ◯ナビの特設サイトや広告的なサイトの制作もあり、小道具づくりや撮影・絵コンテの作成や撮影の制作進行・ディレクターのようなこともした。
全ての経験も技術もないペーペーである。とうぜん足りないスキルを時間をかけることで解決するパワープレイをセざるを得ず毎日26時に家に変えるような生活だった。職場の椅子を並べて寝たり、月に4日くらいしか家に帰れなかったことも何度もある。
少しでも楽をしようと自動化の方法を考えプログラミングを触り始めた。過労死が先かプログラミングで自動化できるようになるのが先か…
そんな感じで雰囲気でプログラミングを覚えることができ今のキャリアに繋がっているので少しは感謝している。
ふつーにヤバいブラック会社だっただけなのだけれど、当時はスタッフが自分1人だったので自分がやめたら会社が回らない!! なんて思い上がった勘違いをしていてズルズル続けてしまっていただけである。新しく採用した人はたいてい2週間くらいで来なくなるのでその時に気づくべきであった。
恐るべき生存バイアス…

なんだかんだでやってることがルーティンになってきて。これ以上スキル付かなそうだし続けてても安月給な上にキツイだけだな。と感じることが多くなりあっさり辞めた。
辞めた時に自分が社員ではなく契約社員になっていて社会保険が払われてなかったことを知った。ただのブラック企業じゃねーか!

お金の管理以外全部やったし1人でもやっていけるのでわ?と思いその頃からフリーランスを始めた。といってもホームページ制作みたいなのが多かったけど。
そこで色々…お金を払わないとか、仕事もやらせてやってるんだみたいなパワハラとか、まぁ色々な地雷を踏み抜きまくった。日本人たいして遵法意識高くないよね?自分の近い周りに合わせる能力が高いだけなんじゃ?って思うようになった。(憲法より村や会社のルールが優先されるような事例からも大体合ってるのではないかと思う)

そんなフリーランス生活も、新しいサービスを手伝って!と言われて入った案件で発案者がユーザーから集めたお金を持ち逃げした事で終焉を迎える。
ユーザーからお金をもらっている以上サービスを回さなければと思い自分の貯金を使い1年無休で働き続けた結果、サービスは自走するところまで立て直せたのだが、完全に糸が切れてしまった。

僕はただ働き続け、気づけば日々弾力を失っていく心がひたすらつらかった。そしてある朝、かつてあれほどまでに真剣で切実だった想いがきれいに失われていることに僕は気づき、もう限界だと知った

秒速5センチメートル

こんな感じだった。
その後一度実家に戻った。1年くらいは死んでた。何かやりなおそうか。と思ったは良いものの仕事がない。いやあるにはあるのだが単価が都会と違いすぎる。など収入とは住んでいる場所で決まるなと実感し再び都会に戻ることを決意した。
受託案件だけではキツイと感じるようになりWEBサービスの方の勉強を始めた。戻るための引越し費用とある程度の貯金を貯めるために色んな仕事をした。それこそ言葉の意味通り。なんだかんだで費用を貯めるまでに5年かかってしまったのだ。(体感3年くらいだと思ってたけど計算したら5年だった)

この暗黒時代にまぁ時間はあったのでオタク友達だった多田先生誘っていただいて「放射線について考えよう 多田将著 (明幸堂) 」のイラストを描かせてもらい僕のキャリアに商業参加歴を作らせていただいた。
今も時々 わかりやすいかった などの反応をみかけて人の役に立つ仕事にかかわれた〜と嬉しくなる。

そんなこんなで都会近郊に戻り、ありがたいことに今ではWEBサービスをやっている会社さんでお仕事をやらせてもらっている。リモートワークも多くとてもありがたい。
加えて同人活動を再開して交友が広がったり、友だちに誘われて一緒に会社を作ったりもできている。

実家が自営業だったのでサラリーマンという生き方の実感が持てず、会社なんてすぐ潰れるものみたいな感覚が根底にある気がする。
データだけ見れば労働人生のほうが会社の平均寿命より長いのだ。
いまは収入の柱を増やしてリスクヘッジすることが目標である。

書いているうちに長くなってしまったけれど、そんな感じの世間から見ればなんてこと無い平凡な人生を送っている僕の自己紹介である。
きっと何者になることも出来ないだろうけれど、まぁそんなものでしょう。人類80億人くらい居るのだし。

これから書くであろう note の記事はもう少し文章量抑えようと思う。(続かなくなるからね)


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