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僕たちは未だ重力に縛られている

格上・格下、上流・下流、どっちが上だの下だの、上を目指すだのどうだの。上昇志向。エトセトラ。エトセトラ。エトセトラ。

インターネットの中でも、生活してる中でもよく耳にする、上下の話。
上だとか下だとかの話みんな好きだな〜って思ってたんだけど、ふと上と下って何?ってなった。そうはならんやろ?って言われるかもだけど、そうなってしまう人種の もりはやし です。

そこで、ちょっとイメージしてほしいのです。

  1. ベッドに仰向けに寝転んでください。

  2. 「上」を指さしてください。

  3.  今あなたは、どこを指さしましたか?

この状態で上方向を指さしてみて!



まぁ前にも考えたことがアンケートを取ってたわけですね。
こんなこともあろうかと。2回もね。

細かいことは抜きにして、どっちのアンケートも700票位入って、85%程度が仰向けに寝転んだ状態で天井の方が上だと感じてるって事だった。
まぁTwitter(X)のアンケートはフォロワーに届きやすいから n に偏りがあるってことには留意が必要なんだけど。

それでもこの結果は、日本人の結構な割合が「上」ってのは空の方。つまり重力と逆方向だと捉えているんじゃないかってこと。

上と下は重力があるから生まれた概念

地球生の僕らは生まれたときから重力を無意識に感じている。
重力は常に地面の方向に対して存在している。
バレエでは重力を感じさせないのが美しいとされ、木の上の方が安全で、城やタワマン最上階みたいに高いところが価値があるようにされている。

権力者や金持ちがいつの時代も高い場所を目指すように、重力という地球上に生まれた僕たちが意識していようが無意識だろうが共通に感じている軸から上下という価値観が生まれたんじゃないかって思う。

重力の方向・地面に近づく方を下、
重力の逆方向・空に近づく方を上。

みんな共通で持ってる感覚だから、軸を揃えやすい。
シンプルで二次元的な軸だとおもう。

つまり、変数を固定した二次元的な軸を持つ価値観で比べるてるのが、上下なんじゃないだろうか?

どれだけお金を持っているとか、社会的地位とか、会社の名前だとか、身長とか、顔とか、ブランド物持ってるとか、コミュニケーション能力とか、幾ら貢いだとか。とか。後なんか知らんけど、
特定の値や、複数の軸を合算した合計値に置き換えると、二次元的なグラフが作れる。
わかりやすく言えば数値化して序列を作ってるようなもの。
シンプルでわかりやすい考えだ。

ピラミッド構造

ピラミッド型の組織・カーストとか身分制度のある社会、学校の中のヒエラルキーとか、僕たちの身近にある枠組みだって特定の軸で序列を作った同じ構造で溢れている

上下のヒエラルキーとマウンティングは猿山時代からの名残なのか?

この構造を思い描いたときに、頭に浮かんだのがサル山だった。
ボスザルがサル山の上の方に居て格下の猿がその下にいる。

人間も昔は猿だし、サル時代も当然重力は存在したはずだ。
人類がピラミット型の上下構造を作ってしまうのはサル時代から DNA に刻み込まれた上下の感覚からなのかもしれない。

Twitter (X) でもよく、どっちが格上だの格下だのでマウンディングを取り合ってるのを目にする。マウンティングってサルの世界で言えば相手の「上」に乗っかって上下をはっきりさせる行動だ。

サルは力って軸でマウンティングしてて、人間は色んな軸を作ってそれを基にマウンティングし合っている。
方法は違うけど、やってることって同じなんじゃないかな。

サルのマウンティングや序列の作り方は遺伝子を残せるか、要は生殖のためのものだろう。そう考えると、どっちが格上だとかハイスペだとか美女だとか上下で言い合ってるマウント合戦が全て潜在的に "モテるため" のものなのか〜って思えてちょっと微笑ましい気持ちになった。

重力のない宇宙生まれには上と下の概念が生まれないのでは?

一方で、重力がない状態で発生する文化や価値観では、重力を基準とした共通の上下って概念は生まれにくそうな気がする。
高いところから見下ろすとかもできない訳だし、

自分の頭のほうが上、足のほうが下、向いてるほうが前、背中のほうが後ろ。そんなふうに個人個人が軸を持つ感覚になるんじゃないかな?

3D 空間にそれぞのオブジェクト(人)が xyz軸を持ってるようなイメージ

現実問題として、価値観が多様化している日本のような先進国の現代社会では、人によって価値観が異なるので同じ軸で並べて序列を作るのが難しくなってるんじゃないかって思う。

だからどっちが格上だ格下だって論争は言い合ってる人が使っている軸が異なっているけど、お互い無意識的に同じモノサシを使っていると思い込んでるから延々に言い合いが続いてしまうんじゃないかって思う。
だってモノサシが違えば同じ空間に並べられないからね。

上と下が無い宇宙的な価値観になると、進むか止まるかになる。

共通の上下って価値観が存在しない宇宙的価値観ってのは、それぞれが、それぞれの軸を持っている = それぞれが個別の価値観を持っているということになる。

なので、共通の軸でどっちが上とか下とかという話になりにくい。意図的にどの軸で比べるかを決めなければならないからね。

上下の概念から解き放たれた宇宙的価値観になると、その場所から移動するか、その場に留まり続けるかになる。進むか止まるか。それだけだ。

変化することが成長

例えば「成長」で画像検索すれば右肩上がりのイメージがたくさん出てくる。

「成長」Growth での画像検索結果

「成長」って言葉に暗黙的に対して僕たちは、より良くなっていく・より高みを目指す・より上に行くのようなイメージを持ってそう。
ここにも上を目指す重力的な考えが入っているように思う。

それが宇宙的価値観なら上と下が無いし、上下が人それぞれだから、どこに進むも、どこを目指すもその人次第になる。
それには、良い悪いもない。未来がどうなるかなんて分からないのだから。

それはまるで生物の進化の歴史やDNAの多様性に近い気がする。
どうなるか分からないから多様な方向に変化して、偶然環境に適応できたものが生き残る。

ペンギンみたいに飛ぶことを辞めるのも、空を飛ぶことを至上とする鳥の視点から見ればマイナス (下)方向への変化かもだけど、生き残る・環境適応という意味ではポジティブな結果だった。

お金を稼げる仕事・美人と言われる顔やスタイル・アメリカスタートアップ的な組織文化など…特定の価値観を軸にして、その上を目指し続けることが環境適応という意味では必ずしも正しくない可能性だってある。

僕たちは、生物的な環境適応とは異なり自分たちで変化を選択することができる。変化することを宇宙的に捉えれば「この場所に留まらない」「この場所から移動する」になる。

つまり、宇宙的価値観で成長とは常に上昇していくことではなく、一見マイナスな方向に行っても、ぐるっと一周回って元場所に戻ったって良い。
変化している事、それ自体を成長と呼べるようになるのではないだろうか?

そうなれば、重力に縛られた、より良くならなければならならないという意味を含んだ「成長」のプレッシャーや呪縛からも解き放たれるだろう

重力的成長から宇宙的成長へ

宇宙的価値観になれば、進むか止まるか。やるかやらないか。価値観は人それぞれ。ただそれだけだ。

自分のモノサシを持って世界を認知するってイメージ。
何が成功なのかは自分が決めればいいし、何が美しいとするかも自分が納得できるものが美しいとすれば良い。それを咎める人は居なくなる。誰かの決めたモノサシに自分を当てはめて比べて疲弊することはなくなるだろう。

宇宙的価値観が次の社会変容をもたらす?

それぞれのモノサシ(価値観の軸)を持つ社会

これは、個人の価値観だけじゃなくて、企業の価値観にも同じことが言えると思っている。

今までの資本主義って重力的価値観の中では儲けられる企業の方が正義であり、投資を集めやすかった。静かな退職や寝そべり族。親ガチャって言葉や異世界転生モノの流行からも資本主義は富の再分配が上手くいかない事が段々と目に見えて感じられるようになっていると思う。

ESG投資なんてのも、儲けられるかって軸以外の軸で企業を評価しようって宇宙的価値観なムーブメントが起こり始めているんじゃないかなって感じる。日本ではまだ少なそうだけど、経営者や投資家が宇宙的価値観に変わってくると投資や企業価値ってものが単なる決算やBSでは測れないものに変わり、何のために働くのかって価値観も変容する可能性があると思ってる。

ただし、この宇宙的価値観は、自分のモノサシを持とう!って事なので自分で物事の価値を考えて決めなければならななくなる。
はっきり言って意思決定のコストが高いと思う。
それが面倒だったりする人は今まで通り誰かのモノサシで比べる世界で生きることになるんじゃないかなって思う。
もしかすると、それが次の時代の分断になる可能性もあるのだけれど、それはまだわからない未来の話だ。

僕たちは、僕たちの社会を含め未だ重力に縛られているのだ。

また、変わるときだ

紫吹蘭 10th STORY ~未来へのSTARWAY~ より

今回は頑張って挿絵も描いたので褒めてください!!!!!!



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