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勘違いのおまじない。

自分を鼓舞してくれる他人の存在ほど大切にしたいものもない。根拠のない論理でもって私を励ましてくれる他人がほしくなる。

人は誰しも挫折や自信喪失の瞬間に直面する。仕事、学業、趣味、スポーツ、その他なんでも自信喪失の瞬間というのはあるもので。

そんなとき、他者のひとことが自分自身の見方を根底から変えることがある。根拠や論理などを超えたアドバイス。

勘違いさせてくれる人は魔法使いのようだね。

勘違いとは、よき方向に作用すれば自分の可能性を信じて力をもたらす行為である。小さなころの私は特別な才能もない、いたって普通の少年だった。カエルとゲンゴロウを集めトノサマバッタを追いかけて、コロコロコミックを買うような。


思い出すのは母の言葉である。



「やればできるんだから」



この話は過去にも書いたような気がするが、とにかく母の口癖は「あなたはやればできる」だった。なにかめんどうなことをやると、

「ほら、やればできるじゃん」

33歳になった今でもこうして思い出せるのだから、あの人はマジでそう言っていたのだと思う。きっとあのセリフは夢じゃない。夢ではないが魔法の言葉だと思える。おまじないのような。


母が与える子どもへの影響というのは、もう計り知れないもので、小さな私は「ボクちんはやればできるんだな」と思い込むようになった。すなわち勘違いである。



母が本当のところどう思っていたのかは知らないが、思うに心底そう思っていたのだと思う。私の息子はやればできる子だと。当時の私が本当にやればできる子だったのかはわからない。


が、母はいつでも「ほら言ったしょ。やればできるじゃん」と笑って私を信じてくれた。長い年数をかけて勘違いのおまじないをかけてくれたのだ。


これは持論だが、たいていの人間関係においては、互いに根拠の有無を恐れず、未来に賭ける勇気が重要である。未来にかけ相手を信じる行為。

そこには多少の勘違いが必要だ。その勘違いが、誰かに新たな自己認識をもたらし、成長のきっかけを提供することがある。


いま、私のすぐ近くに母はいない。

いつも私を鼓舞するのは私自身になっている。いつでも自分に言い聞かせる。俺はやればできる。これは少しズレると「俺はまだ本気出してないだけ」になってしまうんだけど、まぁそれでもいいさ。


自己を成長させる道のりは孤独だ。

そんなときに他者からのひとことや行動が、再び自分を信じる勇気をくれることがある。

勘違いさせてくれる人。

そんな人々の存在を大切にし、また自分も他者にとってそういう存在になれるよう心がけたい。大いに勘違いをして自分に自信をもとう。


だって春だからね。


〈あとがき〉
勘違いさせてくれる人がいつでも自分のとなりにいるとそれはそれで危険なもので。理想はきっとドラえもんのような存在でしょう。ときに励まし、ときに叱ってくれるようなそんな存在です。自分の周りにそういう人がほしいと思う前に、まずは自分がそうなってみようと思うのもまたオツなもので。今日も最後までありがとうございました。

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