終わりを始めるのは今 〜森喜朗氏の発言に細かく突っ込んでみました

上記のツイートの「森氏の発言」とは、ご存知、JOC臨時評議員会での森喜朗氏の発言です。もはや21世紀ジェンダー平等博物館に永久展示しておきたいほどのセクシスト発言ですので、もう一度よく読んでおきましょう。

東京オリパラ組織委員会のトップで、かつて首相まで務めた人が公然と「会議で活発に意見が出ることは望ましくない(民主的プロセスの否定)」 +「女性の発言時間を制限するべきである(女性差別)」発言をしたにもかかわらず、政府は当初、コメントを差し控えました。それでは黙認したも同然です。一方で、オリパラ組織委員会や日本政府などに対して、今回の発言についてしかるべき対処をするよう求める署名活動が立ち上がり、瞬く間に署名の数を増やしています。

森氏のような女性差別発言は、残念ながら日本のあらゆる組織で日常的に耳にするものですし、地域や家庭でもお馴染みです。「森さん」はそこら中にいます。あまりにも多いので、仕方がないと受け流してきた人も多いでしょう。そればかりか、いつの間にか自分の中にも、小さな「森さん」を飼ってしまっているかもしれません。もう、おしまいにしよう。男尊女卑が当たり前のヘルジャパンにさようなら。うやむやにさせないよう、ジェンダーの別なく”身の程をわきまえずに”しっかり異議申し立てをしていきたいですね。

せっかくなので、今回の森氏の発言に、順に細かく突っ込んでみます。

「テレビがあるからやりにくいんだが」:自身の発言がテレビで報じられたら批判されそうな内容であることを自覚しているが、あえて発言している。

「女性理事を4割というのは文科省がうるさくいう」:うるさくいう、という表現から、女性理事を4割にするべき理由(ジェンダー平等の推進)を理解しておらず、快く思っておらず、自ら進んで実践する気もないことが窺える。

「だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」:女性を一括りにし、「女性は会議を円滑に進める妨げになる」と決めつけている。女性理事を4割にという文科省からの働きかけに対して、女性を増やせばいいというものではないと反論する意図が窺える。

「うちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる」:自身が名誉会長を務める日本ラグビー協会で、女性理事たちが活発に発言するために会議時間が従来よりも延びたことを、「恥」と表現している。森氏が女性理事たちの態度を不快に思い、組織としてあるまじき状態だと考えていることがわかる。森氏と女性理事と、協会にとってどちらが「恥」であるかは明らかである。

「(女性理事は)5人か、10人に見えた(笑いが起きる)」:日本ラグビー協会の女性理事たちは発言が多くてうるさいので、実際の人数(5人)よりも多く感じると揶揄している。周囲が笑っているのも深刻。

「女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。」:「女性っていうのは」と性別で一括りにしている。女性は積極性があるのはいいが、協調性に欠けると示唆している。

「誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです」:森氏が、女性は大人しく黙っているべきだと考えていること、そもそも会議というものは活発に意見が出ないことが望ましいと考えていることがわかる。積極的に発言する女性理事たちの熱意や責任感を「男社会で目立とうとする女の争い」と断じ、女性は冷静さに欠け、自分のことばかり考えていると決めつけている。

「結局女性っていうのはそういう」:セクシスト枕詞とも言うべきフレーズ。前後の文脈から「結局女性っていうのはそういう、競争意識が強すぎて自制心に欠け、いたずらに会議を長引かせる厄介な存在だ」と言いたいことがわかる。

「あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど」:森氏は、自身に批判的な報道を「悪口」つまりメディアの悪意と考えている。また、自身の発言が「女性の悪口を言った」と受け取られることを懸念し、メディアを牽制している。このことから、自らの女性蔑視発言を、感情的な悪口ではなく正当な意見であると認識していることが窺える。確信的な女性差別と言える。

女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。:女性の発言時間を規制するべきと明言。口を塞ぐ行為で、断じて許されない明白な女性差別。第三者の意見であることを示し、女性の発言を問題視しているのは自分だけではないと主張している。

私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。:「わきまえて」という言葉に家父長的な森氏の姿勢が顕著に表れている。意志決定の場に多様性を持たせるために女性理事を増やそうとしているのに、その意味を理解していない。組織トップの会長である森氏が「わきまえておられる」と言えば、女性理事たちに対して暗に「余計なことをせず大人しくしていろ」という圧力になる。これも女性の口を塞ぐ行為である。ここにも、女性は自己主張するべきでないという森氏の認識がはっきりと表れている。

みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。:自分は決して女性を差別しているわけではなく、むしろ五輪組織委員会では女性を積極的に迎え入れようとしているという主張。しかし、森氏が「うちの恥」と呼んだ日本ラグビー協会の理事会にはアスリート出身ではない女性理事がいることから、「一流アスリート出身ではない女性の意見は、的外れで役に立たない」と当て付けた発言と思われる。空気を読まない「部外者」を低く見て排除する姿勢と、忖度を強いる権威主義的な組織をよしとする認識が表れている。

大変な文字数になってしまいました。文節ごとにセクシスト警報が鳴る内容で、まさに呼吸するように差別的な発言を繰り返しています。こんなにはっきりと女性を蔑視し、自由な議論を封じる人物が、日本の元首相であり、オリパラのトップだとは。ダイバーシティ・アンド・インクルージョン(多様性と包摂)を推進する立場にある者にあるまじき発言です。

こういう態度は森氏だけではありません。2018年、当時の財務事務次官による女性記者へのセクハラ事件が起きた際に「セクハラ罪という罪ははない」と言い放った麻生太郎財務大臣や、今回の森発言を受けて五輪ボランティアを辞退した人が出たことについて「そんなことですぐ辞める」と述べた(後から文書で「そのようなこと」に訂正)二階俊博自民党幹事長など、女性に対するハラスメントや差別を容認する発言をする政治家が、重鎮として長く権力の座にあり続けています。

永田町以外でも、意思決定層のほとんどを男性が占め、肩書きの高い人物が同調圧力で議論を封じるような組織は、日本中にありますよね。少数者やよそ者は排除され、笑い者にされ、口を塞がれる。理不尽な目に遭っても助けてもらえず、声を上げても黙殺され、泣き寝入りする他ない。何を言っても結局、ウエは何も変わらない。異論を封じて自分の主張を通すあちこちの「森さん」に痛めつけられて、日本中が疲れ果てています。

オリンピックもそうです。「復興五輪」を謳いながらも、津波で亡くなった方たちや、原発事故で今も故郷に戻れず苦しむ人々と共に迎える五輪という強い志は、感じられませんでした。そして新たな災害である新型コロナウイルスのパンデミックの最中に、国内外の人びとの健康をリスクに晒してでも開催すると言い張る。JOCも日本政府も、人の命よりも自分たちの都合と利益を優先しようとしているようにしか見えません。そこへきて、森氏のこの発言です。誰が開催を祝福することができるでしょうか。

反省したなら辞任しなくてもいいという人もいますが、そうは思いません。森氏は、人権と多様性を尊重するオリパラ組織委員会の会長です。「男尊女卑で威張りんぼうな、よくいるおじいちゃん」代表ではありません。自由な議論を封じ、性差別をする人物に「職務を全うさせる」のは、国として差別を黙認しているのと同じことです。

森発言がここまで批判されていることで、仲間と密かに苦笑いしている人もいるでしょう。なんだか窮屈な世の中になったね、と。森氏の発言がうやむやにされず、その地位を退かざるを得なくなれば、あちこちに遍在する「森さん」にも、NOが言いやすくなります。

一人ひとりの声は小さくても、世論は社会を動かします。自分にできる形で家父長制的な価値観にNOを示せば、何十年も澱んでいるこの諦めに満ちた空気を変えられるかもしれません。ほんの小さなアクションでも、集まれば力になる。終わりを始めるのは、今です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?