正義を振りかざす「私は正しい」人たち ~本の感想と思ったこと
最近ネットでの止まらない正義感に危険と恐怖を感じて関連する本を読んでみた。
きっかけは、少し前に𝕏で、発売される商品の「詳細」をメーカーがポストしている文章にきちんと記述してないと激昂して、乱暴な言葉で悪し様に貶しているのを見かけたことからだ。
『私は正しい』(安藤俊介)によれば、こうした他者を許せず攻撃的に出る人は正義感の強い人だということだ。そして、その人中に譲れない大切なもの「コアビリーフ」があるほど、その大切だという思いが強いほど、より攻撃的な言動に出るということである。
おそらく、その乱暴なポストをしてしまった人も発売される商品に対してただならぬ強い思いを持っていたのであろう。自分が何かに対して強い思いを持っているときは、自分自身もそれを自覚して発言することが大事だと考えさせられる出来事だ。
さらに、つい最近では、ネット上で何か買えなかったのか、予約できなかったのか、サイトでの決済ができないということで、そのサイトを悪し様に批判しているポストが流れてきた。
いい歳をした大人(と思うが)が、たかが物を買えないぐらいでSNSで罵詈雑言を吐いてしまうのはどうかと思って見ていた。また、そのクレームをSNSに書くことで何か解決するのかという素朴な疑問を持ってしまったことも事実である。
『正義を振りかざす「極端な人」の正体』(山口真一)では、ネットで強い論調で発言する人には「極端な人」が多く、決して数は多くないがそういう人ばかりが発言するのでよく目立つということが述べられていた。
また、そういう極端な人にならないための5箇条として①情報の偏りを知る ②自分の「正義感」に敏感になる ③自分を客観的に見る ④情報から一度距離をとってみる ⑤他者を尊重する といったことがあげられている。
なるほどと納得するとともに、おそらく先に上げたお二人の例は、ご本人たち社会的に地位もあり、自分の大切なものもあり、それを守ろうと正義感から極端な行動に出たということであろう。おそらく社会生活では善良な市民であることと思う。その反面、こういう人たちがお店などでちょっとしたことに激昂してクレームを入れるような昭和世代老害クレーマーになりやすいのだろうとも感じた。
話を戻すと、このような極端な例を連続してみてしまったため、ちょっとその行為に疑問を感じつつ、やはり自分には読書からその疑問の解決法を探っていくしかないなと2冊の本を読んだというわけである。
一方で、こうした感想を書くこと自体が正義感から来る極端な行動にならないように、疑問を感じた発言に関してはできる限りぼかして書いた。今回の感想の本質ではない部分だ。
安藤俊介は『私は正しい』の中で、我々の中にある厄介な正義感をいかにして手放すかについても述べている。自分も今回の出来事を教訓に、自分だけの「正義感」を思慮なく貫くことなく、上手に捨てていきたい。
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