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飯森正芳「鐵鎻を禮拜する奴隸」

1.凧には絲、そしてその絲を持つて凧を操縱する人。船には重荷、そして
 その荷を預つて船を運用する船長。奴隸には鐵鎖、そしてその鎖の鍵を
 持つて働かす主人。凧も船も奴隸も凡て人が作つたのだ。

2.奴隸の形は人に似てをる。そして人閒に似た言語動作をする。鐵鎖から
 解放されると何だか寂しい。鐵鎖を大切にすると衣食住が得られる、そ
 してこれを禮拜すると一層立派な衣食住が得られる。自由よりも平等が
 善い。人類社會よりも國が善い。家庭が善い。それよりも猶自分の命が
 善い。命あつての物種子だ。そして命は鐵鎖によつて保護されてをる。
 少し位の不自由は是非生活に必要なんだ。絲の切れた凧は落ち、積荷の
 ない船は顚覆する。服從第一平和第一、安全第一、これが生活の三寶だ。
 成程さうだと奴隸が言ふ。測り知られぬ蒼空や大地に餌を求めて飛び廻
 るよりは美しい籠の中で行屆いた監督と親切な取扱を受けて、立派な文
 化的な餌を居ながらにして食べ、そして機嫌よく囀づつてをればそれで
 よいのだ。誠に生の極致、幸福の極致、そして道德の極致であると奴隸
 は言ふ。

3.俺は軒端に繋がれて、主人の所へ來る變な奴や、擧動不審の通行人に吠
 えてをればそれで善いのだ。さうすりやビフテキの殘りもパンのかけら
 も何不自由なく當る。放浪して犬殺しに撲殺されるよりは遙に善い。こ
 れといふも全く此の鎖のお陰だと言ふ。嗚呼此の鐵鎖! これぞ世の眞善
 美! 神の中の神、佛の中の佛、いと强き主人、いとも溫情に富めるお
 上である。鐵鎖を禮拜し鐵鎖に感謝することが唯一にして無二の覺醒で
 あるさうだ。これさへ身に着けてをれば人生は決して寂しくない。逃亡
 囚が或夜見た「夢」をざつと記せば先づこんなものである。

 39---4---18.飯森正芳

虛無思想硏究 第一卷・第六號 (大正14年12月)

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