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【我が家の愛犬「風太」のこと】

我が家の愛犬、風太について書こうと思います。
愛称は「ふぅちゃん」。男の子です。

これは長い話になります。
だので、記事にしようと思っても、なかなか踏み出せずにいました。
が、noteを書き始めて4ヶ月。
そろそろ、ふぅちゃんの記録する場所(マガジン)を作りたい、と思います。

X(元ツイッター)での投稿の時、ハッシュタグ「#柴犬」ではなく「#柴犬ミックス風太」と付けるのは理由があります。

おそらく柴犬なんだろうけれど、ふぅちゃんの親が何犬なのか。どこで生まれたものなのか。分からないからです。

●出会いは2015年12月26日

ふぅちゃんに初めて出会ったのは、2015年12月26日。
動物愛護センターのボランティアに入った時のことでした。

2015年12月26日の様子

市の動物愛護センターに放浪犬の捕獲依頼の通報があり、1匹で逃げ回っていたところを保護されたのが、12月15日のこと。

12月。仔犬の身で、寒い中をどれくらい逃げ回っていたものか。
辛い放浪期間の記憶のせいか。捕獲された時の恐怖体験のせいなのか。
仔犬はすっかりビビリになっており、ゲージの隅っこでガクガク震えて、いたわしい限りでした。。

そして、わたしは、この子をひと目、見た時。

衝撃が走った!!!

「この子、、くまべ〜にソックリ!」

●先代犬くまべ〜のこと

くまべ〜。
その子は、わたし達夫婦が、2000年〜2015年の15年間、一緒に暮らした大切な家族。

わたし達には子どもが居ませんので、まさに我が子だったのです。

↑「くまべ〜」についての記録はエキサイトブログにあります↑

くまべ〜は仔犬の時に、ダンボールに入れられて、道端に捨てられていました。その段ボールを開けた夫が連れて帰ったのが縁です。
2000年6月のこと。

大型犬(ハスキーミックス)の、くまべ〜が15年生きてくれたことは大往生であったとは思います。

最後の4ヶ月は寝たきりとなり、夫婦で協力をして老犬介護をしました。

2015年4月1日の朝にわたし達夫婦の腕の中で、静かにソラへ旅立った、くまべ〜。

思い出が多すぎて。介護時間で尽力したエネルギーも膨大過ぎて。悲しみと喪失感があまりにも深すぎて。

「もう二度と、犬とは暮さない。こんな悲しみは味わいたくない」

そう思っていました。

そして、ふぅちゃんと出会ったのはくまべ〜の死後、8ヶ月後のことでした。

●固い決意が揺らいだ瞬間

わたしは、動物愛護センターのボランティアに2008年〜2015年まで関わらせてもらった経緯があります。

↑ボランティアに初めて参加をした日の記事です(ブログの課金を止めているので記事のレイアウトが崩れてますが💧)↑

くまべ〜を失ってから後、ボランティアで仔犬を見ても心が揺れることはありませんでした。

だって
「もう二度と犬とは暮さない。あの悲しみを味わいたくない」
という決意は、相当に固かったのです。

が!!

ゲージの隅っこで震えていた仔犬を見て。

「なんで、こんなに、くまべ〜に似てるの!」

と、思わず駆け寄り、目が釘付けに。
わたしの心がグラグラ。。大いに揺れたのでした!

その様子を見ていた友人が

「抱いてみる?(^^)」

そう言って、わたしの腕に仔犬をぉぉぉぉ!!

人間が怖過ぎて体がバラバラになりそうなほど震えていました

。。経験のある人はお分かりでしょう。。

気になる子を抱いた後。知らん顔ができるでしょうか?!

。。いや、無理じゃろう。。

夫にすぐに写メールをしたのでした。
「見て!くまべ〜にソックリな子がおるよ」

二人で迷いに迷って考えまくりました。

●そして我が家の子になった日

そしてその5日後の、2015年12月31日の大晦日。

その子は、我が家の家族となりました。

ボランティア仲間の皆さんに、シャンプーをしてもらって

晴れて、わたし達夫婦の腕に💐

わたし達にとって二人目の我が子です

●ビビリーヌ「風太」

動物愛護センターからビビリーヌ(臆病でビビり具合が酷い犬のことを愛情を込めてそう呼びます)を家族に迎えた人には、共感いただけると思うのですが。

我が家に来てからも、ビビリは一向に良くはならず。

↑おびえて固まって、動けないふぅちゃん↑

ゲージの隅っこに体を押し付けて「この世から消えたい!」とでも言ってるような様子でした
このゲージから出てくるまで3日かかりました

わたし達の側に来るようになるまで1週間かかりました。

側に来ても、人間がはしゃいでビックリさせないように、静かに見守るようにしていました(↑夫。心の中では「側に来てくれた!」と、はしゃいでいる😆)
野良犬生活でお腹をこわしていました。紙オムツを購入するまでタオルで簡易オムツ。

ビビリの傾向は現在でもあります。

初めて会う人間には100パーセントビビリますし、金属音は苦手で、パニクリます。
ビニールの買い物袋のカサカサする音もダメです。
捨てられて逃げ回っていた時期や、捕獲され収容されたことが深いトラウマになっているのだと思います。

我が家に来てから、8年半年。
オモチャひとつ壊したことがありません。
ビビリ過ぎて、物を壊せないのです。

実は、先代犬くまべ〜は、全くの真逆のタイプでした。
くまべ〜は陽気で、人間が大好きで。
家の物をアレコレ壊した「ハカイダー」。

くまべ〜はハスキーミックス。
風太は柴犬ミックス。

体の模様は同じでも、洋犬と和犬の違いもあるのかなぁ、と思っています。

くまべ〜は捨てられたところを、すぐに夫が拾ったので、放浪の時期がありません。
人の手から人の手に、すぐに渡った状況でもありますから、その違いもあるのでしょうね。

そして、ふぅちゃんを、わたしに会わせたのは、くまべ〜の計らいだと、わたし達は、確信しています。

●くまべ〜の計らい

繰り返してしまいますが、それまでのわたしの決心は、相当に固かったんですよ。

「もう二度と、犬とは暮さない。こんな悲しみは味わいたくない」

大きな傷を抱えて意固地になっていた、ともいえるかな。

後に友人たちが
「くまべ〜が居なくなってから、二人の憔悴しょうすい ぶりがひどくて心配してたんよ。ふぅちゃんが来てくれて本当に良かったわ」
と口々に言ったことで、自分たちが、どれだけ落ち込んでいたのかを知りました。

そんな様子を、くまべ〜も心配したのかな。

「お父ちゃんもお母ちゃんも、そがいなことじゃ、いけんで」

そう思ったのかな。

だから、くまべ〜は、自分の体の模様にソックリな仔犬をわたしの目の前に連れてきた。

この模様でなければ、わたしは心は動かなかったでしょう。

それにね、お願いしてたんだ。
くまべ〜は、最高40キロにまで成長した大型犬だったから、介護が大変だったのです。

「くまちょん、今度、生まれ変わる時はさ〜、もう少し、小さく生まれてくれるかな〜、そしたら助かるんだけどな〜」

って言いながら、オムツを変えたり、寝返りを打たせたりしていたんですよね。

年老いた、くまべ〜

それを覚えてくれてたのかな。

ふぅちゃんの体重は現在14キロ。
ほどよい大きさなのでした。

「ありゃ?バレとった?ワシが仕組んだんじゃいうこと。風太のこと頼むで」 byくまべ〜

くまべ〜の犬生に寄り添ったように。
風太の犬生に責任を持ち、寄り添い生きてまいります。

あぁ、やっと、くまべ〜や、ふぅちゃんのことを書けて、ホッとしました。
ここまで読んでくださった人がおられましたら、
本当に、ありがとうございます。

また、くまべ〜や風太のエピソードを書きたいと思います。
わたし達の大切な家族の記録を。

それでは、また💐

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風の谷ReLien
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