音エッセイ

 日常を切り取る。そんな作品が好きだ。Twitterでも日常の一コマを肩肘張らずに描いたと思われるエッセイ漫画をよく見ている。定期的に追いかけるのも楽しいし、ふと思い立った時に好きな作家の漫画を遡るのも楽しい。こういうとき、やっぱりTwitterよりはBlogの方がいいのかな。

 かねがね、自分もそういうエッセイみたいなことをしてみたいと思ってはいるものの、実行しては挫折を繰り返し、このnoteですら数カ月ぶりの投稿という体たらくである。基本的に飽き性なのである。そんな自分がTwitterを10年も続けているのはコミュニティが形成されているからにほかならない。昔はクラスタなんて言ったりもしたかな。ともかく、コミュニティがあって、その上に発信と受信がある。そんな感じ。少なくともこのnoteに関してはほぼ発信がメインで、記事を読む時もたいていTwitter経由で流れてきた場合がほとんどだ。noteというサイトで自分が属しているコミュニティはない。少なくとも今のところは。

 さて、日常を切り取るという意味では、手癖で気楽にできる範囲のことがいいだろう。ということで、自分が一番得意といえることはなにかと考えてみる。ここでいう得意なこととは主に趣味の分野でのことだ。別にお金になってもいいけど、ならなくてもいい。あまり重たい責任を負わず気軽に続けられる趣味で、かつ人目に出しても恥ずかしくないもの――というと卑屈がすぎるかもしれないけれど。

 ともかく、趣味で得意なことといえば作曲といっていいと思う。いちおう15年以上ほそぼそと続けているし、個人でCDも10枚程度出してきた。インディーズのCDにも入れてもらえたこともあるし、楽譜が音楽雑誌に載ったこともカラオケに曲が入ったこともある。まぁただ運が良かっただけともいえるけれど。

 ただ、そんな作曲趣味ではあるけれど、別に手癖で気楽にできるという感じではなくなりつつあることに気がついた。自分の作品に求めるクオリティが変に上がってしまったのである。あぁ、これはエッセイ作品を作っている人が手抜きしているとかそういうつもりではもちろんない。ただ単純に自分にとっての「気軽」のラインでは人前に晒せないようになってしまったという自分自身の問題である。人に聞かせることができるような「体裁」を整えるのがもはや「気軽」ではなくなっているということである。かの名著の言葉を借りるなら「我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との 所為」である。実にくだらないプライドだ。

 どれだけDTM(Desk Top Music)が安価で始められ身近なものになったといえども、相変わらず音楽を作るという作業は場所と時間を選ぶ。通勤中にはできないし(やってる知人がいるけど)、静かな環境でないと集中力以前に作業がままならない。サンプリング音源の読み込みと書き出しに時間がかかる。録音となれば下手な楽器を手に延々とリテイクすることになる。そんなこんなで1曲が完成するのにかかる時間を考えるととても「気軽」なんてものじゃない。

 あぁ、分かっている。これは全部ただの言い訳だ。怠け者の自己弁護だ。だいたい、他の創作だってどれだけ時間がかかるか自分は知らないのに何を言っているのか。「深夜の2時間DTM」というハッシュタグで毎回投稿している人を知っている。すごいことだと思う。とても真似できそうにない。

 ……ということで、もう一つの趣味に文章を書くことというものがあると思い出したので、またこうしてnoteに何かを書いているというのが今日の日常の一コマである。オチは特にない。特にないけど、どうにか音楽を日常的に作る方法はないかと考えてはみようと思う。

 ちなみにこの文章を書くのにかかっている時間は20分程度である。頭を整理しながらなので速筆というわけではないが、たしかにこれなら肩肘張らずにできそうだ。

 さて、今度の投稿はいつになるだろうか。






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