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原点に帰す。清く、正しく、美しく

 最近のことはよく忘れてしまうのに、小さい頃の記憶はいつまで経っても忘れない。
 そんなこと、あなたにもありませんか?

 あなたは小さい頃、どんな夢を描いていたのでしょう。
 どんな大人になりたいと、思っていたのでしょう。
 そして、その夢は、叶いましたか?
 思い描いていた「大人」に、なれましたか?
 わたしは、なれて、いないです。

 そこで、改めて、「原点」に帰ってみようかと、思うのでした。

 ーーー

 わたしは今現在、禁煙をしていて、5日目になります。
 ですが、ちょっとズルをしています。
 ズル、とは、「紙巻きタバコ」「加熱式タバコ」でなければノーカンにしよう、と、しているところです。

 具体的にいうと、わたしはタバコの葉っぱ(シャグ)を持っていて、パイプもキセルもその他もろもろの喫煙具も持っているので、それはオーケーにしよう、ということです。

 つまり、禁煙中であっても、キセルでの喫煙は喫煙としてカウントしない、としています。

 ズルですね(笑)

 そうして5日目となったのですが、少し良心が痛むような気になりました。
 そこでふと、「わたしの『良心』とはいったい何だ」と考えました。

 一番古い記憶の「良心」、それは「母の目」でした。

 子どものころの道徳心のほとんどは、親から教えられます。
 親の言う事を聞くこと=正義、なのです。
 あなたのところはどうですか?
 わたしは、そうでした。

 わたしはよく母の言葉を聞き、母の教えを守り、きょうだいの中で一番「いい子」であるということを自負していました。

 あれは、幼稚園の年長さんのころのことです。
 わたしの通っていた幼稚園では、「部活動」のようなものがありました。
 そこでわたしは、少林寺を習っていたのです。
 園長先生が、少林寺拳法の先生でもあったから、そういう環境が整っていたのかもしれません。

 わたしは、その、少林寺拳法を休まず通っていました。
 そして、卒園の際に、「皆勤賞」だったものは、みんなの前で表彰されるのです。
 母も言ってくれます。「休まず行けてえらいね」「皆勤賞狙えるね」と。

 ところがわたしは、生まれてはじめて、その少林寺を休んでしまうのです。
 その日、わたしは教室の掃除をしていました。
 掃除が終わり、少林寺拳法の教室、つまり体育館に行く、という予定でした。
 しかし、なかなか掃除が終わらず、遅刻してしまうのです。

 わたしの心に、大きな焦りと恐怖が生まれました。
 今まで、無遅刻無欠席だったのに、遅刻してしまう。怒られる。
 園長先生は、顔面が恐いので、きっと怒ったらさぞかし恐いだろう。
 ようやく教室の掃除は終わりましたが、遅刻が確定しました。

 重い足を体育館に運びます。中を見ると、「えい」「えい」と園児たちが蹴りをしています。もう、始まっているのです。
 そこで、「遅れてすみません」と入っていけばよかったのですが、わたしはそのドアを開けることができませんでした。
 恐くなってしまったのです。
 おずおずと引き下がり、わたしは体育館の外側の壁にしゃがみこみました。
「どうしよう」「どうしよう」「どうしよう」焦りと恐怖が頭の中でいっぱいに広がりました。
「怒られちゃう」「怒られちゃう」「怒られちゃう」
 恐くて恐くて仕方がありませんでした。

 そして、母の目を思い出しました。「休まず行けてえらいね」「皆勤賞狙えるね」

 あ、皆勤賞、無理だ……。

 そう認めたが瞬間、ぽろぽろと涙がこぼれました。
「お母さんごめん。お母さんの期待に答えられなかったよ。皆勤賞無理だったよ」と。
 そしてわたしの恐怖はどんどん広がっていきます。
 母の期待に答えられなかった=よい子ではない=捨てられる。
 そういう図式が頭の中に描かれました。

 幼い子どもにとって、母という存在は生命線そのものだったのです。
 その生命線を失う恐怖が、わたしを襲ったのでした。

 わたしは体育館の外壁でうずくまりながら、嗚咽していました。
「捨てられる」「捨てられる」「捨てられる」と、恐怖に打ちひしがれていました。
 そして、あまりの混乱のためか、嘔吐してしまいました。

 今でも覚えています。「あ、ネギだ。給食で食べたネギ、吐いてもしっかりネギってわかるんだね。しっかり緑色だ」なんて場違いなことを感じていたのです。

 本来であれば、「遅れてすみませんでした」と理由を話して入ればよかったのです。
 でも、わたしは、たったそのことが、できなかったのです。

 少林寺拳法の教室が終わるまで、わたしはずっと泣きながら膝を抱えていました。

 時間が来て、母が迎えに来てくれました。
 母の姿を見て、わたしは声を上げて泣きました。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と、大声で泣きました。

 そして、手を引かれて園長先生のところに連れて行かれたのです。
「怒られる」と覚悟していました。

 園長先生の前でわんわん泣きわめきます。ごめんなさいごめんなさいと謝ります。
 きっと怒られる、そう覚悟していましたが、園長先生は怒りませんでした。
「そういう事情があるのなら、それをちゃんと話してくれればよかったよ」と。
 そしたら、遅刻ではなくなるよと教えられました。

 安堵の気持ちと同時に、それが出来なかった後悔が募りました。
「でも、休んじゃったから、今日はお休みだね」と。
 そこで、わたしの皆勤賞はなくなってしまいました。
 悲しくて、やはりわたしは泣きました。

「こちらへ来なさい」園長先生が、手を招きます。
 体育館に入り、奥へ向かいました。
 園長先生が壇上を見上げる。
 壇上には、お釈迦様の像があります。
 園長先生は、幼稚園の経営もしていますが、住職なのです。
 そのため、幼稚園の壇上に、お釈迦様の像が置かれているのです。

「清く正しく美しく」と園長先生は言いました。

 その言葉は、体育館の上に標語として掲げられています。そのことを、幼いながらもわたしは知っていました。

「お釈迦様は、いつでも君を見ているよ。今日、遅れたのは、君のせいじゃない。君は掃除を頑張っていた。えらいね。それを、お釈迦様は、ちゃんと見てくれている。だからね、遅れてしまったのは、仕方がないんだ。でもね、それを隠して黙って休んでしまったのはいけない。ちゃんと、正直に言えば、許してもらえるものだよ」
 そんなことを言っていました。
 さっきとは違う意味で、涙がこぼれました。
 覚えているのはそこまでです。

 幼い頃の記憶というものは、しっかりと焼き付いているものですね。
 おそらく、わたしの人生初の大きな「失敗」と「後悔」だったのでしょう。

 話を現代に戻します。

 禁煙5日目のわたしは「ズル」をしている。

 ふと、「お釈迦様はいつでも君を見ているよ」という言葉が蘇りました。
 そして、「清く正しく美しく」という言葉も。

 わたしの心は、清く、正しく、美しくないなと、思いました。

 今日の記事、本当はその「清く、正しく、美しく」という言葉から、どのようにしたらその通りに生きていけるのか、その本当の意味はなんなのかということを話したかったのですが、長くなりそうなのでまたにします。

 社会で生きていれば、いつでも清く正しく美しく生きていられません。

 厳しい環境に揉まれながら、汚れ、過ちを犯し、醜く生きてしまいがちなのです。
 それでも、本当に「清く正しく美しく」生きていくためにはどうしたらいいのか、どのような心構えでいたらいいのか。
 また、機会があれば、お話しましょう。

 今日はありがとうございます。

 わたしのちょっとしたエピソードでしたが、あなたの心に少しでも触れることができれば、幸いです。

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