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【試し読み】福田節郎「銭湯」(『銭湯』より)


福田節郎「銭湯」

顔もわからない人と待ち合わせるということになれば、自分から声をかける気恥ずかしさを味わわないですむよう、相手よりも先に目的地にたどり着き、身なりの特徴などを伝えて見つけてもらいたい、そう思って二十五分も早く到着するよう段取りをしていたのに、二つ手前の駅を通過したところで「お疲れ様です、改札前にいます、ジャイアンツのユニホームを着ているのでわかると思います」というメールが届いてしまった。
だいぶ早い到着なので、もしや約束の時間を間違えてしまったのではないかと確かめてみれば、そんなこともなく、向こうが勘違いしているのかもしれないが、「ちなみに着ているのはヨシノブのプロコレクションです!」とまたやってくる。そんな情報は別にいらない、球場の最寄りで待ち合わせているわけでもないのだから、ユニホーム姿の人が他にいるわけもなかろうとおかしくなって、だけど完全受注の四万円ぐらいするプロコレを購入するくらいであれば、筋の通ったファンなのだろうと少し身が引き締まるような思いもする。なんにせよ、こちらを見つけてもらうという目論見は外れてしまったので「了解しました」と返事を送り、しかし試合を見に行くわけでもないのにユニホーム姿とはどういうことなのか、普段から全身をグッズでかためているほどの熱狂的ジャイアンツ信者なのかと思えば、そのテンションについていけるのか、ちょっと心配になるけれど、俺は特に目立つような恰好をしているわけでもないから、わかりやすさという点では圧倒的に向こうが勝っているし、お互いジャイアンツを応援しているというくらいの情報しかないそれに対する配慮だと受け止めることにして待ち合わせの駅で降りると、改札を抜けたすぐのところにキザキさんらしい人を見つけた。けれどもデカくて黒いワイヤレスヘッドホンを装着した頭を左右に小刻みに揺らし、スマートフォンを指でするする滑らせているから声をかけづらく、避けるように南口とあるほうへ歩いてしまう。
約束までまだ時間はあるので俺もポケットのなかでぐちゃぐちゃに絡まっているイヤホンを解き、iPhoneに挿して音楽を聴くふりをしながら、キザキさんが見える位置に突っ立って人間観察がてら様子を窺いつつ、声をかけられそうなタイミングをはかる。この暑い夏の盛りに毛量がかなり多いのか、散髪をお勧めしたくなるボワボワと丸みを帯びて膨張したキザキさんの髪型と縁の黒い眼鏡という組み合わせに「サブカル好き」という先入観を勝手に抱いてしまう。初めて降りたこの駅にそういう人たちが集うイメージはあり、「讀賣巨人軍」という呼称のせいでファンもまた思想的に保守であるとみなされ、ときにはウヨク認定されることもあるそんなチームのユニホームはこの土地にそぐわないのではないか、などとどうでもいいことを考えるが、こうやって離れた場所から見ているのはストーカーのようだから一気に迫ってしまうか、それとも「着きました、どこにいますか?」と白々しいメールを送ってみようか、改札が一か所でなければその手も使えたんだけどなあ、なんて態度を決めかねていると、顔を上げてヘッドホンを首にかけたキザキさんは誰かの姿を認めたらしく、北口のほうから赤いアロハシャツに麦藁帽子の男が近づいてきて二人はがっちりと固い握手を交わした。
なにをしゃべっているのか、ここからでは聞こえないものの懇意な間柄であるらしく、軽くハグなどし、身体をバシバシ叩き合ったりするから久しぶりの再会なのかもしれないが、明るい表情の二人はそのままアロハシャツがやってきたほうへ肩を並べて歩いていく。尾行するように俺も移動して、さっきまでキザキさんがいたあたりで立ち止まり、目で追いかけるとユニホームはメールにあったとおり高橋由伸の背番号24だから間違いなくキザキさんのはずで、それを見れば「♪フィールドセンスを魅せつける~男背番号24~」と俺も大好きだった高橋由伸の応援歌が頭のなかで鳴り響いて瞬間的に感極まったけれど、そのまま二人は一緒に駅前に停まっていたバスに乗り込んでしまった。そして彼らを待っていたかのように乗車口は閉まってバスは動き出す。
あれ、なんで、なんで行っちゃうんだよ、と俺は呆然として、いやでも、まだ待ち合わせまで十五分とかそれくらいの猶予はいちおうあり、その間に何らかの用事をこなすのではないかと思うだけ思って、だけど普通に考えてそんなことはありえそうもなく、あの様子を見れば二人揃ってなにか楽しい時間を過ごしに出かけたと考えるほうが自然で、であれば、俺は約束を反故にされたことになるわけだから、は?どうなってんだよ、意味わかんないんだけど、マジで意味わかんないんだけど、と沸き立つ怒りはけれども、初対面で事前情報もほとんどない人と関わらなくて済んだという安心に封じ込められ、でも俺は本来キザキさんと会うはずだった平井さんの代役であって、それを務めるかわりに七万円もらうという変な約束をしていた。しかも押し付けられるように前金の二万円をすでに受け取ってしまっているから、頼まれた役割を果たせないそれはどうなっちゃうのか、という懸念はしかし先方がいきなりどっか行っちゃったんだからどうしようもない、俺の側に非はまったくない。それでもなんらかの連絡は来るかもしれないから、ひとまずここいらで待機し、約束の時間になっても音沙汰がないようであれば、初めて降りた、いい雰囲気の酒場が沢山あるらしいこの街を散策して、どこかで飲みながら事の次第を平井さんに報告しようと気持ちを切り替えれば、あの、水上さんですか、と背後から声をかけられるので、ふええっ!と大げさな声を出してしまう。振り返れば女性だし、ジャイアンツのユニホームも着ていないから、キザキさんではたぶんない。
「え、あ、あ、はい、水上、ですけど」
「あーよかった、当たったー」
「当たった?」
「うん、完全に勘だったからね、今日も今日とて私は沍えてんなあ」
「勘?」
「あー、あの、きーちゃん、いや、キザキくんと待ち合わせっすよね?」
「そういうことになってる、はず、だと思うんですけど」
「いやいや突然すいませんねー、なんか、きーちゃん急用ができちゃったらしくてー」
肩の上でピシっと切り揃えられた金髪にところどころ赤や緑のメッシュが入っている女性はへらへら笑って、ま、いろいろアレなんで、ね、ちょっと飲みながら話しましょうか、飲まないと人と話せないんで酒買ってきますね、とつかめないことを早口で言って、小走りで改札横のコンビニへ入った。これはいったい、どういう展開になっているのか、これもまた平井さんの企みなのだろうか、さっぱり見当もつかないが、平井さんの依頼自体がそもそもおかしいのだから、今のところは大人しく流されておこうと突っ立って待っていれば女性はちゃんと戻ってきてくれて、氷結とスーパードライ、どっちがいいすか、と両手に持った缶をこちらへ向けてくる。じゃあ氷結で、どうぞ、俺は差し出された氷結のグレープフルーツを受け取ると、でもさすがに改札前はアレなんで、あっちで飲みましょ、と歩く女性について行く南口駅前の車寄せには座って飲んでいる人がちらほらいるし、カーテンの開いた証明写真機に腰かけて飲んでいる、というか酒を持ったままたぶん眠っている人までいる。少し離れたところに交番もあるこちらのほうがアレなんじゃないかと思ってしまうが、空いている車寄せに女性は腰かけ、俺はただその前に立ち、だけど飲むことについてはやぶさかでないという気持ちを示すため先にプルタブを引き上げる。おし、乾杯しましょ、なんの乾杯かはしらんけど、女性も苦笑いで缶を持ち上げたから、お疲れっす、と意味のないことを言って缶を軽くぶつける。
「えーと、あれ、きーちゃんとは結局しゃべってないんですよね?」
「はい、キザキさんらしい人は見たけど、声かけようと思ったら、なんか知り合いっぽい人と話しはじめて、なぜかそのままバスに乗っちゃって」
「はいはい、ヤナギさんね、アロハシャツでしょ」
「アロハシャツっす」
「ヤナギさんってね、ホントはコヤナギっていうんだけど、ダサいからヤナギって呼んでくれって言うわけ、面白いっしょ」
「はあ」
「ヤナギさんは植木屋っていうか、庭師?みたいな、とにかくそっち関係の仕事してて、いちおう社長で、ロックンロールガーデンっていう会社の名前もウケるけど、バンドもやってんのよ、バンド名は忘れたけど、だいぶ激しめの感じで、ハードコアっていうのかなあ、もちろんガッツリ刺青も入ってんだけど、でもめちゃくちゃいい人だし、もし会うときがあったらね、なにかにつけてロックンロール!って言ってくるから、ロックンロール!って返せばそれで仲良くなれるよ」
「ロックンロールね、了解」
「ヤナギさんは一年中アロハでさあ、冬でも革ジャンとかロングコートの下にアロハシャツ着てんの、そんなの普通はどう考えてもダサくなっちゃうのに、ヤナギさんだと全然しっくりくるからすごいなあって思うよね、服装以前にそもそもがかっこいい顔してるってのもあるけど、マジでめちゃくちゃイカした人だよ」
もしや今日これからの俺が共有しておくべきことなのか、ヤナギさん情報をべらべらと楽しげに披露したかと思えば、一息置くようにスーパードライをぐっと飲んで女性は、あー、でもなあ、となんだか投げやりにもらす。それがどういう気持ちの落差なのか予想もつかないが、俺は自分からこの状況に関する質問をしようとはまったく思わないから氷結をただ飲む。女性の白いTシャツには忍法を唱えるときにイメージされる両手の組み方(ニン!)をイラスト化したものがデカデカとプリントされていてかなりダサく、でも大勢でこのTシャツを着ながら同じポーズを取って写真など撮ればそれなりに盛り上がるのではないかなんて、だったらどうなんだということを考えるついでに、小学校二年生の文化祭は「ファッションショー」と題され、各々が警察官とか消防士とかお嫁さんとかケーキ屋さんなどの装いを作ってステージに立ったそのとき、俺とクラスメイトのリョウちゃんは忍者だったことを思い出す。黒いゴミ袋を忍び装束に見立て、段ボールを刀の形に切ってアルミホイルを巻いたものを背負い、体育館の舞台袖から登場して俺たちは折り紙で作った手裏剣を投げるなどしたのだった。

【続きは書籍『銭湯』でお楽しみください】

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銭湯』福田節郎

四六判上製、224ページ
定価:本体1,600円+税
ISBN978-4-86385-577-9-C0093
2023年5月下旬全国書店にて発売予定。

装丁:加藤賢策(LABORATORIES)

【あらすじ】
知り合いから頼まれて顔も知らない人と待ち合わせをする羽目になった俺(水上)。この人と思ったキザキさんは別の男と去ってゆき、代わりに現れたサカナさんに誘われるままに不思議な居酒屋で飲み明かし、まさに迷宮にはまり込んでゆく、心理的ロードムービーのような作品。ほかに書き下ろし「Maxとき」も収録。

読む/書くを通して、人は自由にどこにでも行かれる。

言葉にはこんなことができるのだし、言葉にしかこんなことはできない。
見事な文章体力の、風通しのいいチャーミングな小説。
ーー江國香織(小説家)

呆れ返ること必至! 笑っちゃうこと不可避!! なのにグッときちゃうこの不思議!!!

新人はヘンテコなくらいがちょうどいい。
人間は少しダメなくらいがちょうどいい。
生き方はゆるいくらいがちょうどいい。
だから福田節郎の小説は、すごくいい。
ーー豊﨑由美(書評家)

【著者プロフィール】
福田節郎(ふくだ・せつろう)

1981年神奈川県生まれ。「銭湯」で第4回ことばと新人賞受賞。

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