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岡村叩きにみる正義を語る悪魔

貧困問題の社会活動家・藤田孝典氏が先日4月26日に書いた記事「岡村隆史『お金を稼がないと苦しい女性が風俗にくることは楽しみ』異常な発言で撤回すべきではないかがいまSNSで激しい論争を呼んでいる。

事の発端は、ナインティナインの岡村隆史氏が深夜ラジオ番組で、「コロナ収束後にお金に困ったかわいい女性が風俗で働きに来るだろうから、そのかわいい子につくのを客として楽しみにしよう」という趣旨の問題発言をしたのがきっかけ。藤田氏は記事で、この岡村発言を徹底糾弾、政治・行政的不作為の結果として存在する風俗従事女性のバックグラウンドを物ともせずに嬉々として利用する客たちの問題性を説くとともに、性を売らないで済む社会の実現を呼びかけている。

NPO法人ほっとプラスで困窮者支援を行なっている藤田氏と私は面識はないが、Facebookで長年繋がっていて、社会活動家としてのラディカルさにおいて注目・期待してきた一人であったが、今回彼が書いた記事で採用している民衆扇動の手法が大きな問題を引き起こしているので警鐘を鳴らしたい。
というのも、彼の問題提起の社会化の手法は、様々なマイノリティや被差別コミュニティで生きる人々にとっても、かなり既視感と危機感を感じるものと考える。したがって他の社会課題のテーマでこの手の第二、第三の炎上問題が起こるのは避けたほうがいいし、藤田氏のやり方を真似る社会活動家や論客が現れないためにも藤田氏の何が問題か徹底解説したい。

●風俗業差別の火消しをする当事者、差別を内面化する当事者たち

今回藤田氏が書いた岡村発言批判記事によって岡村発言が炎上した。最も胸が痛いのは、SNSで風俗差別、セックスワーク/ワーカー差別ツイート(=差別という自覚のない、悪気のない好意的な差別、マイクロアグレッション)が蔓延し、たくさんの当事者たちがここ数日心労を伴いながらその火消しをしていることだ。
風俗を利用する客、経済的困窮で風俗で働くこと、働く人、これらを、性搾取ー被搾取というイデオロギーとして捉える従来の(第二波フェミニズム的)因習的議論を完コピした藤田氏の記事拡散は、現場で働く人々の多様なリアリティを一気に封じ込める作用があった。端的に言い換えると、構造VSたくさんの個別例、ともいえるし、藤田氏が性風俗を捉える枠組みVS単純なその枠組みに収まらないたくさんの当事者の多様な経験と多様な実感、と表現したらいいだろうか。
風俗で働く人と客をイデオロギーとしてみると、どうしても血の通った人間としてみることが難しくなる問題がある。実際、藤田氏の書いた記事では、セックスワークを、性の商品化、女性の性搾取と表現するステレオタイプなイデオロギーのオンパレードで、その結果、多くの風俗嬢やセックスワーカーたちが、自分たちの仕事が自分にとってどういうものでどういう経験でどういう仕事で、その断わりの上で岡村発言をどう思っているかを説明することに多くの時間を割いている。記事によってSNSで強化・拡散されている風俗の考え方の枠組みや誤解や偏った見方、差別的言説をみつけては修正し、イデオロギーとして生きてはいない風俗で働く生身の自分の言葉を発信しなければならない事態に見舞われている。
風俗で働く私たちは普段、世間に言いたいことがあるということと、それがどのような他者からどういう枠組み、思想、文脈で関心を持たれるか/持ってほしいか/持ってほしくないか、までを考えている余裕はない。
だから、突然思いもよらない社会的立場や“社会正義”から関心を持たれた際に戸惑うし、何をどう警戒、想定、準備したらいいかわからないし、自分の言いたいことがどれくらい幅広い関心にどのような刺激を与えるのか全体を把握できない不明確さの中にいる(※)
ただわかっていることは、個は正しいことを言う。大衆・集団として捉えると解釈が間違う。後者でよくありがちなわかりやすい例が、「主体的に働くセックスワーカーと、貧困でやむを得ず働くセックスワーカー」という大衆化されたフィクション。しかし当然そこには、「意味ある仕事と思う個人」「クソな仕事と思う個人」といった個別判断と普遍判断のパラドックスがある。そこへの理解のなさがフェアな判断を難しくしている。

この原稿では、風俗の解釈が複雑ということを言いたいのではない。ここからが深刻だ。筆者のところにも連日知人らから、「岡村発言をどう思っているのか」という踏絵のような詰問メール、SNSでも、「SWASHの見解はどうなのか」「要は岡村発言について何も発信しないのか」といった書き込みがあった。あなたは岡村発言についてNOなのかYESなのか、困窮して風俗で働く女性はやっぱり可哀想な人間だよね?好きで働いている人は別に勝手に働けばいいけどそうじゃない多くの人は国が助けないといけないよね?そんな可哀想な人が働く風俗を利用する客は悪魔だよね?だから岡村は叩かれて当然だよね?という数々の分断の芽がSNS上あちこちに植えられ、対立の煽りがひどい状況だ。
一方、藤田氏の因習的イデオロギーを内面化し、自分はそういう搾取的な産業に加担する悪い人間なのだと、今回の記事をきっかけに自分を責めているセックスワーカーもいたし、岡村のようなゲスい客を受け入れて収入を得るしかない自分という存在の惨めさを思い落ち込んでいるワーカーもいた。
藤田氏よくぞ書いてくれたと喜んでいるのは、岡村発言があろうがなかろうが、もともと性風俗や買春客がこの世から今すぐにでもなくなってほしいと心底望んで生きている人々のようだ。いつものことだ。

●藤田氏の最大の罪、政治的状況判断のミス

私がこのたび筆をとったのは、経済産業省がいま持続化給付金のことで、本当に風俗業従事者を給付対象にするのか否か、流動的な微妙な空気が流れているからだ。
どういうことかというと、官僚というのは、風俗店がこの先も存続すべきものかどうかを見据えて法律や制度を作るらしい。例えば風営法では、改築改装制限があることによって、防災、耐震の措置が取れなくなっているが、それは警察庁が店舗型風俗が将来的に無くなっても問題なしという判断からだと言われている。案の定、風営法改正時、風俗がデリヘル化に舵を切り、店舗型風俗から派遣型風俗になったら危険だし困るという反対の声は大きくならず、世論からもお咎めなしだった。風俗で働く人の安全のことなど本気で考えてくれている人などほとんどいない。警察庁の見立て通りだ。
この背景を藤田氏は知らない。私がとても懸念しているのは、経済産業省の官僚たちがまさに今、「世の人々は風俗は本来あってはいけない産業だと思っている、他の労働と同じ労働としては捉えてないらしい」というSNSでの世論をどこまで参照にしているかだ。
政治家にとって、政治・政局・選挙という3大状況判断を藤田氏はご存じだろうか。この3つの状況判断のいずれか1つを間違えても命取りになり、うまくいくはずのこともダメになってしまうという意味だ。だから、岡村発言を炎上させるのを、この持続化給付金のことが落ち着くあと数週間待ってほしかった。岡村発言は確かに問題で世間で騒がれて当然の話ではあるが、今はやめてほしかった。いま私たちは経済産業省をなんとか説得しようと必死で動いている喫緊のところだ。今からでも、藤田氏には、自身がまき散らした風俗利用叩き、風俗嬢は本来風俗ではなく福祉へ大合唱の禍根について急いで原状回復をお願いしたい。さしあたり、風俗が労働として否定されることがないよう追加アナウンスすべきだ。そのための草稿づくりであればいくらでも協力する。

●第二第三の藤田孝典的炎上商法が出てこないための具体的な話

せめて今後に活かすために聞いてほしい。なぜこのような、当事者にとってしんどい状況にしかならない、しかも政治状況判断ミスによる甚大な社会的損失を引き起こす炎上が、さも易々と行われてしまうのか。
その理由には2つある。1つは、特に社会活動家であれば記事を書くとき、自分が当事者でない、あまり詳しくない世界の問題に触れる際は、当事者コミュニティの人たちに草稿をみてもらわないと大概当事者らは傷つくか不快な気持ちになる原稿となる可能性が高い。この私でさえ、SWASHメンバー9名の原稿チェックを経てから世に出している。同じ当事者でも見えているものが全然違うし、捉えきれてる問題の幅も違うからだ。このプロセスによってかなり炎上しなくなるし、傷つく人や当事者コミュニティに極力迷惑をかけない原稿は可能だ。
2つ目は、どこに焦点を当てるかの問題。藤田氏は問題発言/行動をした者を糾弾し、人々にそこに焦点を合わさせる批判記事をよく書いている印象がある。今回の岡村発言批判記事もその一つ。こうした記事を読んだほとんどの人々は、自分や自分たちの中にある資本主義的振る舞いや、人を選別・序列化する選民思想的な自らの生き方と向き合い問うことがないままに、無自覚・無反省にそれを露呈した男を皆で叩く、その男や、社会の犠牲者として生きる風俗で働く自分たちとは違う可哀想な女として有徴化する、そのような光景が広がっている。
そこでは藤田氏が呼びかける猿の一つ覚え、「国や自治体が生存権を保障すべきだ」を人々も真似て大合唱。それによって皆が救おうとしている風俗嬢やセックスワーカー、ホームレスや野宿者が大量に永遠に生み出される競争社会のシステムに日々加担し支える生き方をしている人々に焦点化されることがない。
選別、選民、序列主義の諸悪の根源・カップル幻想や家制度、自らの子どもの偏差値分離教育・学歴能力主義の労働市場への参加等、自らの保守的なバックグラウンドを手放す勇気はないかもしれない貧困問題活動家の藤田氏が言うべきだったことを代わりに私が言おう。
競争社会による不平等をなくすため、誰一人飢えないため、自分の給料減額を覚悟の上、全労働全同一賃金に賛成してくれますか?
子どもを貧困や虐待から守るため、血縁主義の家制度を廃止して、すべての子どもを地域の人々で育てることにし、我が子と一緒に夜寝ることができなくなってもいいと割り切ってもらえますか?
3日に1人がDVで殺されているというデータがある夫婦・カップルという(結婚)制度によって、性風俗に逃げてくる人々をなくすため、結婚制度を廃止・禁止すべきと思いませんか?
ワークシェアリングして、いま自分がしている仕事の半分を、セックスワーカーやホームレスに分けてくれませんか?
以上、少しはお気づきだろうか。「国や自治体が風俗で働く女性を風俗から解放しろ」という主張は、主張する本人や、主張を支持する人々が本当は突き付けられたくないであろう数々の矛盾のスケープゴートとして大いに機能してしまっている。実は風俗で働く人々を風俗から解放させない諸悪の根源は私たち自身で、自分が他者を蹴落としてでも自分が選ばれることに執着し仕事や賃金を奪い資本家に盾突かない生き方をしてきたことに誰も直視したくないし非難されたくないのだ。その意味において藤田氏は資本主義システム温存強化の保守的な民衆扇動をしている側面があると言える。セックスワークからの解放も、セックスワーカーとしての解放も、この社会に生きる一人一人の問題、責任として語ることができればよかった。
以上述べてきたように、藤田氏は、性風俗で働く人々を風俗から解放しようとは本気で考えてはいない。それくらいは当事者は見抜く。彼は貧困問題における政治や資本家の不作為や搾取の問題を追及したくて「性風俗で働くかわいそうな女性」を印籠のように使いたいだけだ。それがいかに当事者に対するスティグマを強化・助長するかまったくわかっていない。既に多くのフェミニストが指摘していることだが、藤田氏はもうジェンダーや性に関する言及は控えるべきだろう。いい加減気付いてほしい。悪いけど、かわいい藤田少年のロマンチックな闘争幻想につきあってる暇はない。

(※)それには、支援する側―される側という米国風植民地主義的なコミュニティ介入と洗脳・啓蒙しかなす術を知らない日本の支援業界の責任、当事者主導/主権を根絶やしにする善意の罪のほか、セックスワーク研究で当事者とともに理論構築をする研究者が極端に少ない等、色々な問題が考えられる。それについては別稿で詳しく述べたい。

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(5月4日、C.R.A.C様よりご批判を頂き、最後のほうに書いていた以下の部分を削除しました。不快な思いをさせた方々にお詫びします。)

「米軍基地問題で我が国の婦女子が米軍によって性犯罪の被害に遭っている!買春相手にさせられている!と米軍反対を言いたいがためだけに、ここぞとばかりに性被害者の悲惨さ、売春婦の悲惨さを政府に向かって錦の御旗のように振りかざす日韓の左翼男たちと同じ類だ。」
(以下において、削除に至る経緯や理由を述べています。)
https://twitter.com/NoHateTV/status/1256838435987283968?s=20


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