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『えんとつ町のプペル』は西野の心臓を中心に名画のツギハギが固まって出来たゴミ映画

 川原泉の漫画で『ブレーメンⅡ』というものがある。
 内容としては「知能を持った二足歩行の動物たちがクルーの宇宙船、その船長となった女性が様々な積み荷を運んだり、色んなトラブルに巻き込まれる話」である。その中に、「ハッチポッチパッチ」という怪物が出てくる話がある。話としては「元々は優れた科学者であった男が、動物たちの様々なDNAを非人道的な方法で自身に取り込み、人間を超えるより高度な存在になろうとした結果、狂気の中に捕らわれ怪物となってしまった。宇宙警察がそいつを追っている」というものである。その劇中で主人公たる船長が「あんなクソ野郎にかっこいいコードネームはいらねぇ、ハッチポッチパッチ<ごった煮のツギハギ>で十分だ」と吐き捨てるくだりがあった。
 なんで急に川原泉の話なんかしたかというと、『えんとつ町のプペル』を見終わった後、不意にそれを思い出したからだ。題名にもある通りだが、この映画は<ごった煮のツギハギ>にしか僕には見えなかった。

■あらすじ
 絵本が無料公開していたので、これを読んでいる人の中に大体の話を知っている人がいるかもしれない。でも知らない人もいるかもしれない。というか、映画見てないのに感想だけ読んでどうするんだい、君。君だよ、君。スマホの前でホッピングしてる君だよ。その帽子、どこで買ってきたの? 跳ねる度にアメリカ横断ウルトラクイズの帽子みたいになんか板が出たり入ったりしてるけど? そういう仕事なの? ソフトバンクの社員なの? 電波を供給してるの? それはそれとして、以下にネタバレを含むあらすじをざっくり書いていこうと思う。
 と思ったが、公式にストーリーが載ってたので、そのリンクだけ貼っておこう。

 公式に補足すると、250年くらい前に金があるせいで暴力に支配されてしまった町がありました、それを何とかしようと一人の経済学者が「あらゆる物は腐敗して形がなくなってしまうが、お金はなくならないままだ。だから皆お金を絶対だと思ってしまう。そうだ! お金、腐ればいいじゃん!」と考え、腐敗してなくなる貨幣を造り、町に普及させた。結果、皆ため込んでも仕方ないからとお金を沢山使うようになり、町は平和に。しかし、それを良く思わない連中がいた。中央銀行だ。彼らは町に来て経済学者が流通させている腐敗する貨幣をやめさせ、彼のことをいたずらに世の中を惑わせる犯罪者として処刑してしまった。町はまた暴力の中に。経済学者の息子は、「こんなところにいては駄目だ! もっと自由な世界に!」と言い始め、町の人たちと一緒に新天地を求め、そこで腐敗する貨幣を流通させようとした。新しい町は出来、皆幸せに暮らしていたが、一つの懸念材料があった。外の世界と交流してしまうと、また中央銀行が因縁つけにきてしまうのではないか。だから、空を煙突の煙で覆い、海から外に出られないようにし、町の外との交流を絶ち、外の世界などないと町の皆に思わせることで、平和を保とうとした。外の世界の話をするものを異端とし、異端審問官が取り締まることにした。そうして、今のえんとつ町の仕組みが出来上がったのだった。らしい。
 最後、ルビッチとプペルは空の煙を爆弾で晴らし、星はあるのだと町の人たちに見せていく。空から降ってきた光る心臓を中心にゴミが集まって出来あがったプペルは、本当は父親の幽霊的ななんかであり、息子の成長を見届けると元のゴミへと戻っていく。心臓はまた空へと帰っていくのだった。
 そんなオチである。

■映像的な部分の感想
 先にも言ったがこの映画は<ごった煮のツギハギ>である。
 冒頭、ゴミ人間プペルが初めて町に出てきたとき、仮装した子供たちが「ナイトメア・ビフォア・クリスマスかな?」みたいな歌と一緒になんか踊っている。プペルもなんか一緒に踊っている。だって町はハロウィンだものみたいな感じで。ハロウィンってそんなに素敵な感じに浸透してましたっけ。完全に「ディズニーアニメでありそうだな」みたいな演出である。それでもディズニーは音楽から映像を作っている部分もあり、巧妙に物語の中へと組み込まれているのでそんなに違和感はないが、プペルは単純に「歌って踊ってるシーンを入れると面白いんだ」しか理解しないままでぶっ込んでいるようにしか見えない。ぶっちゃけ要らないと思う、あれ。
 またその後、プペルがなんやかんやで町の人というか異端審問官から逃げていたらゴミ収集車に落ちてしまい、助けを求める。その声を聞いたルビッチ。助けようと、ゴミ収集車へと走り出す。そのえんとつ町の配管を登ったり降りたり、走ったり、はしごを下りたりするシーンを所謂ドリフのコントのように横から写すのだが、これも、なんかどっかでやってる演出だし、コミカルに見せているが、それもなんだかどっかで見たような演出である。
 その後、ゴミ収集所の溶鉱炉に落ちそうなところから逃げる部分のアクションシーンもなんだか何ジオ・ジブリだよみたいな動きをする。
 一々書いてたら全部のシーンにケチつけていきそうなのでこの辺でやめておくが、全部が全部こんな感じだ。感動的なシーンまで全部。また途中で秋山黄色の挿入歌が流れるが、そのシーンも歌だけ流し、動きだけで見せようとするやつ、もう大分見た。ドラえもんの映画だと武田鉄矢が歌ってるやつ。そして、別にそのくだり、なくてもいい。いや、あってもいいけど、歌流さなくて良い。そう、何もかもが色々な映画で名シーンだと言われるものを、前後の文脈関係なくそのままぶっ込んでいるだけなので、見ていて「なんかかっこよくみせたいんだろな」というものしか伝わってこない。都度都度、構図やらカメラワークやらも「あの映画で褒められてたやつ」を継ぎ合わせているだけなので、ちょっと3D酔いっぽい気持ちになる。そのぐらいにチグハグ。他のレビューで「映像はきれい」という話を聞くが、確かに背景美術はきれいだった。だが、肝心の動画部分はなんかのパクリ(オマージュではなく、純然たる剽窃だと思う、あれ)の癖に、パクリきれてないので中途半端。3Dでキャラ動かしてるけど、正直プリズムショーの方がもっと自然である。いや、3D技術としてはプペルの方が多分上だが「何を見せたいのか」という観点に置いてはプリズムショーの方が上だ。あいつらはプリズムのきらめきもなく『PRIDE』を歌っている。電車すら出せないくせに。
 そう。プペルの映像にはプリズムのきらめきがないのだ。執着でもいい。執念でもいい。これだけは絶対に譲れない部分が何一つとしてない。それさえあれば多少作画が乱れていたって、素直に受け取れるものだ。小手先ばっかりで、映像として何をどうしたいのかがさっぱり伝わってこない。僕はあれに「映像はきれい」という感想は持てない。背景美術に金かかってんなだけである。背景だったら『AIR』だって金かかってるんだぞ。ゲームの方な。

■話の内容に対しての感想
 別に、ここで僕は西野亮廣のエンタメ研の話をする気はない。あくまでも映画の感想としておきたい。周辺の面白事象は、あれはあれで考察しがいのある話ではあるが、それとこれは別の話である。なので、純粋に話としてどうかというと、普通に面白くない。個々の設定の破綻を一々突っ込むときりがないので言わないが、大前提として西野亮廣の「夢を語ると馬鹿にされる。そんな世界を終わらせたい」という発言、並びに「夢を追うと馬鹿にしたり辞めさせようとするやつがいるが、あいつらは星を見たことはないだ、なのに星がないっていっている、気にするな、貫け、夢を追い求めろ」というメッセージを強く発信したいのは分かる。でも、それ5分に1回くらい言ってない? 言う人を都度都度変えて、何度も何度も直接そう言ってくる。映像は前述の通り。僕は何を見せられているのだろうか。話の構成やらなんやらが一本調子なのは別にいい。そういうスタイルもある。ひねったら良いわけじゃない。プペルが実は父親なのですと言われて(これは絵本を読んだときにも思ったことだが)「そっすか」以外の感想はないのは確かだが、これが面白いのだという強い意志で西野亮廣はこういう話にしたのだろう。高層ビルだかの上から相方のカジサックに「ここから見えるやつら、全員笑わせてやる」と言い放ったみたいな感じで。そこは敢えて何も言うまい。僕個人としては空を覆う煙が晴れた瞬間、外の世界が暴力で荒廃していて、星だと思ってたのは人工衛星的な兵器のランプでしたとかだったら面白そうだなとは思うが、それは求められてはいない。だからいい。ただ、喋るシーン喋るシーン、なんらかの西野の説教、それもどれも似たようなことを延々と言い続けているだけだ。もう少し加工しろよ。話の中に組み込めよ。

■全体的な感想
 どっかで見た名シーンと西野の言った名言とを何のてらいもなく、継ぎ接ぎして、映像っぽい形にして立たせただけのものである。なんだこれ。
 同じような感じで幸福の科学の映画も突然説法をぶっ込んでくるので似たような構成ではあるが、流石に長いこと映画事業やっているし監督もそれなりな人を連れてきているだけあって、あっちの方が一つの物語としてはちゃんとしている。映像も「かっこいい姿で声が梅原裕一郎(追記1)のエルカンターレを称えたい!」という情熱に満ちている分、なんだか笑っちゃうけど映画としては形をなしているといえる。プペルと幸福の科学のやつを一緒にしてはいけない。隆法ちゃんに対して流石に失礼である。
 この映画、西野亮廣の信者には確かに響くかもしれない。何者かになりたいが、別に何が出来るわけでもない、「ビジネスってやたら言うけど、お前結局誰に何を売ってお金が欲しいの?」みたいな人が語る夢を、ふんわり肯定してくれるし。夢って言うと馬鹿にされるよね、馬鹿にさせとけよ、貫けよ。そう優しく語ってくれる。いい話だ。感動的だ。だが無意味だ。
 まだ見てない人もいるかもしれないが、僕からは「<ごった煮のツギハギ>に金払うくらいなら、直接1800円をドブに捨てた方がいい。時間が短縮できる」とだけ言っておこう。まぁ記事一つ書けたから、怪我の功名かもしれない。
 ああ、後、最後に。
 西野亮廣エンタメ研辺りの話は、鬼越トマホークが西野本人に「オンラインサロンってネズミ講でしょ?」と直接言ったらしいので、僕からはもう何も言うことはない。正月のオールナイトニッポンで、本人らがそう言ってたので、間違いではない。

<追記>
1.最初、ここは緑川光と書いてしまっていた。
 というのも、直近の映画『宇宙の法~黎明編~』ではエルカンターレの名前は直接は出ておらず、代わりにアルファという地球神が登場していた。その声は子安武人から変更になっており、それを緑川光だと思い込んでいたので、そう記載していた。
 少なくない人から「エルカンターレは子安では?」との指摘をいただき、「あれ、ひょっとしてアルファさんはエルカンターレとは違うのか?」と思うに至り、もう一度調べ直したところ、アルファはエルカンターレの代わりであってはいるようだったが、声は緑川光ではなく梅原裕一郎であった。人間、勢いに任せて適当なことを言ってはならない。反省する限りである。
 して。
 記載を子安にするか、うめめにするかで悩んだ結果、「きょうこさんと別れたり、宏洋と親子喧嘩したりで、散々だから一度自分のエルカンターレ・イメージ(エルカンターレ・ヒーリングと同じイントネーション)をリセットさせたいのかな」と隆法ちゃんの御心に勝手に寄り添おうと思うに至り、子安ではなくうめめにしました。まぁ子安のエルカンターレの方がキャラデザかっこいいんだけどね。


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