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兄との関係

僕には4つ離れた兄がいる。

性格は僕と全くの真逆で、お調子者でよく喋る、社交的で人との付き合いが上手といった所だろうか。

小さい頃、1つのことにしか集中出来ない僕と違い、色々なことを要領よくやれていた記憶がある。

次男とはそういうものかもしれないが、小さい頃僕は、兄のやっていることをとことん真似したものだ。サッカーも、兄がやっていたから始めた。

ここまで書いたら、とても優しい兄のように伝わってしまうが、喧嘩もかなりした。いや、喧嘩というより一方的にやられた。笑

4つも離れていたら力の差は歴然で、負けると分かっていても何度も挑み、コテンパンにされて終わる。加えて、口の上手い兄は、僕がやってもいないのに無実の罪を僕になすりつけ、親に幾度となく怒られた。言い出したらきりがない。

そんな兄は、小学校でサッカーを辞めた後バスケットボールに転身し、身長170もないのにもかかわらず、プロバスケットボールプレイヤーにまでなった。(⚠︎決して身長だけではないことは重々わかっております)

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周りが、誰もプロになんてなれるわけない、と思っていたその壁を突き破ったのだ。

兄は、物事をどうにかなるだろ精神で考えているように僕は見える。そこに戦略があり、勝算があるから行くぞ!ではない。

僕はどちらかと言うと緻密に計算して、戦略を立てていくけど兄はそうではない。

そんな常識にあまりとらわれない兄の突進していく姿が、僕は本当に羨ましい。

母が昔よく言っていた。

「紳矢と淳矢を足して2で割ったら丁度いいがに」

それは今でも思う。少し僕にも分けて欲しいと。笑

そんな兄も、高校進学で迷っていた時がある。

2つの選択肢があった。

1つは、一年生から絶対にスタメンで使う。君が中心だという高校。

もう1つは、一年生からのスタメンは厳しいかもしれないが、センスがあるから頑張ってみないかという強豪校。

強豪校ともなれば、規則や規律はとてもきびしい。だけど、そこで揉まれて試合に出ることができれば、得るものはとてつもなく大きいはず。

しかし兄は、一年生からスタメンという甘い誘いに完全にのっていた。強豪校での坊主制度も嫌だったみたいだ。笑

そこで出てきたのは、両親だった。

目先の成功ではなく、長い目でみて何が彼の為になるか両親はわかっていた。

長い間、相談に相談を重ね、兄は強豪校に行くことを決断したのだ。

両親は僕だけではなく、兄のしたいことにも全力で応援して、その道筋をある程度立ててあげていた気がする。

両親は、強制ではなく僕たちの好きなことを好きな気持ちのままとことんやらせてくれた。
だから僕たち兄弟は、両親に本当に感謝している。

最後に

喧嘩をするほど仲が良いとはよくいったもので、自分で言うのもあれだが、兄とは超がつくほど仲が良い。

今も昔もかわらないのは、自分が困っていて相談したときには、迅速かつ親切に対応してくれることだ

最近で言うと、「コロナウイルスで困っている地元に何かできないかな?」と兄に相談したところ、色々な案を出し僕の思いを実現するために動いてくれた。

今でこそ喧嘩なんてしないけれど、兄とは話さなくてもなんとなくわかる「阿吽の呼吸」みたいなものがあると、勝手に思っている。

そんな兄も今年で33歳になり、僕は29歳になった。

僕が15歳で親元を離れたので、実質15年しか一緒にいれなかったけれど、会えない時間が愛育てるとはこの事だ。すくすくと育っていると思う。

ちなみに兄は今、バスケットボールを引退して、地元でプロのサラリーマンだと自分を名乗り頑張っている。

そんな兄に最大限のリスペクトを込めて、家族紹介を終わりたいと思う。

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