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【福島帰還困難区域ルポ こぼれ話――旧庁舎の片隅で埃を被った白鶴】

 「本当にこれでよかったのだろうか」。自分で書いたあの2本のルポルタージュを読み返すたびに、そんな不安に襲われる。原発事故から13年。政権は民主党から自民党の手へと渡る中、「30年代に原発ゼロ」と誓った政府の方針は大きく様変わりした。岸田政権になってからは、脱炭素のために原発を最大限活用する政策を掲げる。
 国民の反応も変わってきた。日本原子力財団が毎年行っている「原子力に関する世論調査」では、原発を即時廃止すべきだという意見が4.8%(2022年度)と16.2%(14年度)から大幅に減少し、反対に原発の維持・増加を支持する意見は17.4%(22年度)と10.1%(14年度)から跳ね上がった。
 そんな国内の風向きに押されてか、自分の原発に対する見方も揺らいできた。活用か廃止か。せめてでも中立で見ようとするあまり、現地に分け入って感じた虚しさや住民の怒りを十分に受け止められていなかったのではないか。後悔が胸中を渦巻く。

 時々、自分のパソコンに撮りためておいた福島の帰還困難区域の写真を見返しながら、あの日のことを思い返す。それらの写真の中でも、私の脳裏に強く焼き付く一枚がある。双葉町の旧庁舎で町長室に入ったときにふとカメラに収めた、白鶴の箱の写真だ。あのとき、なぜそんなものにカメラを向けたのかは自分でも分からない。埃の被った部屋をカメラのレンズ越しに凝視する中で、あの日本酒の箱に目がとまった。その瞬間、ここには確かに人の営みがあったという実感が心の奥底からどっと湧き出してきた。「ああ、原発事故はこの町のすべてを奪ったんだな」。そんな悲しみを感じていたときには、既にシャッターを切っていた。
 ささやかな日常生活の面影には人知れぬ力がある。それは国や研究機関のどんな調査が示す数字なんかよりも、実感を伴って強く人の心に訴えかける。あのとき感じた原発に対する忌避感や、今の原子力政策に対する違和感を忘れずにいたい。それこそが二度とあの事故を繰り返してはいけないと決意し、今後の行く末を導く羅針盤となるはずだからだ。(文・写真 工藤優人)

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