太陽の法と 政治と宗教 政治の奥に神の心がないと人間はこの世だけの幸福の追求にに終わる


政治を志そうとする方が ことさらに 宗教団体との関わりを否定する傾向があります。
報道される宗教の話題は 事件性のあるものばかりだから 仕方のないことなのかもしれないと思いはするものの

それでも
ちょっと 疑問を感じることがあります。

私は幸福の科学のもとでエル・カンターレ信仰を持っています。幸福の科学を母胎とした幸福実現党を支持しています。
ただ、外にも政策的に応援したいなと思う人や政党があったりします。

その場合  「私はどの宗教団体とも関わりがありません」と公言する人を 応援することは 躊躇われてしまいます。

それには2つの理由があります。
ひとつには 応援したい人の足を引っ張ってしまうことに繋がるのではないかと言う思い



もうひとつには 宗教や 信仰に対する否定的な見解をその候補者が 根本的に持っているのではないかと言う疑問です。

どの宗教団体とも関係していませんと言っても 応援し選挙活動を行ってくれる人々が 特定の信仰を持っていることだってあるわけです。

信仰を持つ個人が応援しているのか組織の指示で応援しているのか明確な線引きできるものなのでしょうか。 

ここに嘘が 生じることがあります。

特定の宗教の信者多数から応援を受けていながら 
「個人の信教の自由の問題ですから個人的に応援してくれたものと考えます」と 
政治と宗教の関わりを追求されたときに そうした答えが出てくることは予想できます。


例えば、政党の応援を受けている人が 無所属で出ることで その候補者の背景が分からなくなることがあるようなものです。

 鵺のように自分の本当の姿を見せない政治家ばかりが 当選するようになってよいのでしょうか。
 自分はどの宗教の信者なのか 信仰を持つものか、持たないものか、どのような思想 信条を持っているかを 政治家が語れるようになるのが本筋ではないかと思うのです。

なぜ それが堂々と語られる事が無くなったのかと言えば やはり 無神論や唯物論が世界に広がっているからでしょう。

この世だけが全てだと考える唯物的な世界観から生まれる政治は
この世のみの生存の安楽さを追求します。

 ある部分では 政治の目的だと思います。貧困が著しい値域では犯罪が増えますから 政治的に解決できるものは幾らでもあると思います。

科学技術の進歩で 解決できる問題や医療技術の進歩で病から解放され長寿が実現するということもあるでしょう。

この世の利便性追及や この世の生存の安全を願って政治に期待することは ある意味当然でしょう。

ただ、 もし人間が 霊長類という言葉通りに
霊  の 長 であると するなら

人間が この地球上に 生きて 他の動植物を食し 資源を利用して 生かされている事の意味も ある筈です。

私たちは 魂の成長の場として 霊的に成長していくために 何度もこの地上に生まれ生まれ変わって 新しい環境での人生経験を積んでいると言います。

それが 神仏の願われた地球の姿です。
ところが、この地上だけが全てだという思想が広まると肉体の生存だけを至上な価値として この世だけの幸福追及に走っていくこともあるのだと思います。

本来は霊的な自由自在の世界から魂を成長させるために地上に生まれた人々が この地上に生まれることで かえって 魂が退化していき 動物化してしまうような時代に  地上での生まれ変わりシステムが一時ストップして 終止符をうたれる事が 過去の文明ではいくつかあったようです。



今、日本でも 世界でも グローバリズムに対する警戒が沸き起こってきています。それに対抗しようとする力も立ち上がってきています。

けれども そのどちらもが 神仏への信仰無く
科学万能信仰に陥っている場合は

この太陽の法のアニメーションのなかに出てくる科学技術のみが進んだ異星人を神と崇めるような世界が生まれてしまうのではないかと思います。

現実に 神仏を否定した 中国共産党の政治体制のなかで 科学者がクローン人間を造り出したことを発表した事がありました。

 共産中国では、生きている強制収容所の人間から 臓器を収奪して 臓器移植ビジネスに使われているという告発もあります。

しかし、それは中国だけの問題ではなくて
アメリカのような 聖書に手を置いて宣誓するような国であっても それが形式上だけになってしまっている政治家がほとんどなのかもしれません。

世界規模で 起きている数々の問題も

人類にとって

 この世限りの物質世界に留まる生き方か
魂としても成長できる 生き方かの

どちらを選ぶか
どちらの信仰を選ぶのかという 
試金石にもなっているのかもしれません。








人類史は 私たちが学校教育で學ぶよりもずっとずっと古くからあったのだと何となく感じていたのは 子供の頃 数多くの神話に触れていたからもしれません。

神話のなかでは 

黄金の時代の人々
銀の時代の人々
銅の時代の人々
鉄の時代の人々

と人々の霊性が落ちていき

人類が 神の心から離れたときに
地上から人類が拭いさられるという
厳しい話も幾つかあったことも
思い出されるのです。


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