無記 なぜ 釈尊は答えられなかったか 問うた人にはまだその教えを聴ける段階にはなかったからかも…

大川隆法先生の説法は 3500冊の書籍になっていますが 一般書としては書店に並んでいない会内経典や まだ経典化されていないものを含めると 8万4千を越えるという釈尊の法門を
越えて 宇宙時代の人類への 教えさえも説かれているのではないかとと思います。

初期の頃の幸福の科学には 仏教的なお話が数多くありました。大川隆法総裁の魂の兄弟がお釈迦様ですから それは当然ですね。

そのなかで 釈尊の「無記」についてのお話もあり 書籍化されているのですが 今私はどの経典に収録されたのか探し出せません。

記憶を頼りに書いています。

やはり、いくら深遠な真理を求めてお釈迦様に教えを乞うたところで 人間として全うにやるべきことをやっていない人に対しては 何の役に立たないということなのです。

初期の頃には 空の袋は立たないということも よく話されていたと思います。宗教的な修行に入るまえに 人として当然果たすべきことを当たり前に出来ることが大切だということです。

スピリチュアルな話も 私は大好きなのですが いつも原点に帰った総裁先生の言葉を思いだして自戒せねばならないと思います。


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