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シコ音の全て


私の全てを
受け入れてほしい、、、

200X年、爆誕。

フランスのパリの
エッフェル塔のど真ん中で
産み落とされた。

、、、

と冗談はここまでに
しましょう。

関東の田舎でとある
普通の家庭にて誕生。

しかし、
両親はその3年後に離婚。

私はおばあちゃんのもとで
育てられた。

おじいちゃんは
すでに他界していて、
おばあちゃんの手一つで
育てられた。

当然、父と母の記憶はない。

物心ついた時には、
おばあちゃんがそばにいて、
みんなそれが
当たり前だと思ってましたが、
一般的にはそれはどうやら、
普通ではないらしい。

それを知ったのは
小学生になってから。

私はとにかく勉強が苦手で、
朝も寝坊がとにかく多い子だった。

おばあちゃんは
とにかく私に対して、
優しかった。

なんでも
「いいよ、いいよ、好きなようにやりな」
と言って甘やかして、育ててくれた。

でも、その代わりに、
学校では周りとはどんどん差がつき、
学校でとうとう私に対する
いじめが始まった。

勉強ができないことはもちろん、
親がいないことが知れ渡り、
とにかく馬鹿にされる毎日が始まった。

授業中には、
先生に「問題に答えてごらん」
と指されて、
回答するも、
毎回間違えてしまい、
クラス中から笑われる日々。

給食の時間には、
私の分だけ毎回よそられる量が
少ない。

掃除の時間には、
なにをすればいいか分からず、
立っていると、個室に閉じ込められ、
上からバケツの水をかけられる日々。

いま考えると、
ドラマのような出来事。

毎日、泣いていた記憶がある。

そこから、
トイレに行くことが怖くなり、
トイレにいけなくなった。

いつもトイレに行く時は
周りを伺って、
とにかく、
私のことは誰も見てませんように」
と祈りながら、
個室に入った。

クラスメイトが
私のことを見ている時は
トイレに行くことが怖くなり、
一生懸命、
限界まで我慢することもあったが、
時々我慢に耐えられず、
漏らしてしまうこともあった。

当然、そこから、
さらにいじめはエスカレート。

「お漏らし」「臭い」といった言葉を
常に浴びせられるようになった。

毎日、家に帰ると、
優しく迎え入れてくれる
おばあちゃん。

私の生きがいは
このおばあちゃんの
存在だけだった。

心の底から、
おばあちゃんが大好きだった。

学校で起こったことを家に帰っては
おばあちゃんに報告して、
毎日抱きしめてくれた。

本当に大好き。

大好き。

大好き。

そんなおばあちゃん突然、
この世から去った。

病気だった。

年齢も年齢だったから
しょうがなかった。

小学4年生の時だった。

私は1人になってしまったのだ。

そこからも毎日毎日泣いていた。

とりあえず知り合いの家に
預けれられたが、
しばらくすると養子として、
私は他の家に入ることになった。

その日から、ここが実家になった。

今までは
学が地獄で家に帰ったら
天国で毎日おばあちゃんが
いるからこそ頑張ることができた。

でも、
ここからは毎日地獄が待っていた。

この預けられた養子の家が地獄だった。

後から聞いた話、
よく分かっていないのだが、
養子に迎え入れると
どこかから補助が出る
とかなんとかで、
それ目的で私を養子に
迎え入れたとのこと。

養子先の過程には私よりも
2歳年下の女の子がいた。

学校での状況はいぜん変わらず、
毎日のいじめは続く。

テストの点数も低い。

これを家に持って帰ると、
とにかく怒鳴られた。

「できそこない!」
「なんでお前はそんなこともできないんだ!」

毎日こんな感じで暴言を受けた。

苦しかった。
誰かに助けてほしかったけど、
誰も助けてくれる人はいなかった。

「おばあちゃん、戻ってきてよ」

何度、心の中でそう叫んだことか。

出かけに家族で外に出た際に、
なにかの拍子に
新しい養子先のお母さんのことを
「お母さん」と呼んだら、
「外で私のことをお母さんと呼ばないで!」
「恥ずかしい!」
と怒鳴られたこともあった。

私のことが目障りだったんだろう。

「はあ」
「私って生きてちゃいけないのかな。」

と思うこともしばしばあった。

悲しいという感情すら
その時はなかったと思う。

無。

虚無。

空虚。

そんな言葉しか思い当たらない。

そして今までなにも私に対して
言ってこなかった
妹までもが私に対して、
強く当たるようになる。

「ねえ、邪魔なんだけど」

ソファーの前を横切る時に
わざと私に対して、
ぶつかってきたりする。

とにかくとにかく悔しかった。

でも、そこでは素直に
「ごめん」と謝るしかなかった。

抵抗したら、
養子の親が出てくるのが分かってたから。


ある日、お父さんとお母さんが
喧嘩をしていた。

私は近くでテレビを見ていた。

自分の部屋がなかったので、
ここにいるしかなかった。

なるべく物音を立てないように。

身をひそめるように、
その場でじっとしていた。

テレビの内容なんて
一切頭に入っていない。

嫌な予感がする。

その予感は的中した。

ついに怒りの矛先が
私の方に向いた。

「ねえ!!!!」
「こんなところでの呑気になにしてんの」
「テレビなんてあんたの
 見れるものじゃないのよ!」
「ってか、あんた、生きてる価値あるの?」
「死ねば???」

その瞬間、
私の中のコップの水が全て溢れた。

涙が止まらなくなった。
走って外に逃げた。

そこから家に帰ることなく、
一日中歩き続けた。

宛てもなく。

ただひたすらに。

次の日くらいだろうか。

補導された。

全ての事情を打ち明け、
そこからは疲れもあったからか、
嫌な記憶のためか記憶があまりないが、
児童相談所に預けられ、
私はまた1人となった。

はあ、辛かったなああ。

今では、
たまに養子の親とは会って、
当時よりは仲良くなったけど。

そこから、中高と学校に通い、
晴れて大学生になった。

今は友達も少ないけどできて、
毎日が楽しい。

あの時、一歩間違えてたら、
私は自分の人生を
自分で終わらせてたと思う。

そんな中で、大学生になったいま、
毎日時間を持て余している。

そんな中でTwitterを眺めていた。

すると、
こんなものSNSに載せていいの?
と思うような動画が
私のタイムラインに流れてきた。

びっくりしたけど、
そこで初めてこんな世界があるのかと。

興味しかありませんでした。

そして、募集してます。
みたいなツイートを見たので、
怖いものみたさで連絡してみることに。

あれよあれよですぐに日程が決まり、
当日を迎えた。

すると、そこには、
お世辞にも見た目がいいとは
言えないおじさんが立っていた。

「こんにちは」

少し、コミュニケーションが
苦手みたいでした。

でも、いざ話してみると、
物好きそうなおじさんで
今まであまり関わって
こなかったような人ですが、
楽しかった。

そこでこのTwitter沼に
ハマりました。

でも、実際にその場では、
本当に初めてらしく、
全く慣れていない様子。

正直な話、楽しかったけど、
痛かったりして、
あまり気持ちよくはなかった。

その場では、
手取り足取り教えてあげて、
ものすごく喜んでいた。

私はその時に人生で初めて、
人のためになにかをして、
喜んでもらった感覚を得た。

人生で初めて。

本当に涙が出るほど嬉しかった。

今まで、誰にも必要と
されてこなかった人生だから。

私に出会ってくれてありがとう。

私が守る。
私が教える。
私と、、、。

これからもよろしくね。


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