テオフィル・ド・ジロー『反出生主義者宣言』序文

人類を耐え難いほどに日々苦しめているすべての不幸の真の立案者たち、つまり祖先たちを告発する時が来た。

哲学は、人間の心を悩ませるすべての疑問を議論してきたが、ひとつだけ例外があった。それは子産みの倫理的妥当性についてである。あたかも生殖が私たちの究極の偶像であり、私たちの千年王国であり、問いただす権利はないと思わされる装甲に覆われた聖域であるかのようだ。しかし、産み殖やすということの奇妙な神聖さの背後には、注意深い観察者なら誰でも発見できるはずの多くの倒錯が潜んでいる。

未創造の生命に人生を押し付けることの是非をめぐる議論は、未創造の生命が、その受け入れがたい困難をすべて事前に知っていれば、おそらく拒むであろう人生に基づいて行われなければならない。

生誕を称賛する者たちが巣食う不健全で詭弁的な建造物を解体しようと試みた本がほとんどないとしても、一方で、あらゆる時代、あらゆる大陸の一群の著者たちが、私たちの苦痛についての嘆きを際限なく表現してきた。文学や哲学の領域には、この世に持ち込まれたことに対する激しく悲観的な叫びや痛烈な抗議が数え切れないほどある。凪いだ湖というわけでもない不快な氷塊の下で死ぬまで泳ぐためだけに生まれるのを強いられたことに対して、集団心理がどれほど憤慨しているかを示している。

理想的な世界では、すべての産む者が罪悪感、恥じらい、自責の念を感じるはずだ。

生きる喜びは、控えめに言っても、全会一致には程遠いように思える。だから、両親が私たち自身の利益のために私たちを産んだという考えは幻想だ。彼らは私たちの存在から得られる楽しみだけを気にしている。私たちは、私たちの恩人を装うという考えられない偽善を持ち、非人道的な厚かましさを押しつける暴利者たち──理解しがたい母の日と父の日を称える贈り物は言うまでもなく、私たちに感謝、従順、親孝行を要求する──を安らぎで満たすためだけに存在している。

しかし、人類で最も鋭い洞察力を持つ精神的覇者の一人であるゴータマ・ブッダは、彼の有名な言葉で私たちに厳しく警告した。一切皆苦。誕生、病気、労働、老衰はもちろん、その喪失を悼む悲劇を避けることはできないのだから、幸福さえも、すべてが苦しみである。

逃げずに答えてほしい。もし、悲惨な人類が呻吟している諸悪の根源を絶つことのできる解決策が存在するならば、単純な治療法(単純であるだけでなく、非常に安価で、すぐに利用可能で、無害で、決定的かつ絶対的に効果的である)によって、あらゆる苦悩に、あらゆる涙に、あらゆる苦痛の叫びに、あらゆる病に、あらゆる絶望に、あらゆる大惨事に、あらゆる不安に、あらゆる苦役に、あらゆる拷問に、あらゆる不運に、終止符を打つことが可能であるならば、 そのような救済策を軽蔑し、そのような奇跡的な万能薬を軽んじるような不気味な無関心をあなたは維持できるだろうか?

いや、それは言うまでもない。さて、この解決策は存在し、その秘密は今明かされる。それは、その神聖かつ救済論的な単純さにおいて、単に子孫を残すのをやめるということである。

今すぐ樹上性霊長類の一族のように繁殖を止めれば、100年も経たないうちに、人間の苦しみは地球上から消えてなくなるだろう。残念なことに、あなたは鼻を曲げて苦笑している。あなたは、不都合な代償を払うことなく、存在し続けたいのだ。大変残念なことだが、永遠の歓喜に満ちた存在という夢には、とても手が届かないことをお知らせしなければならない。生きるということは避けられない苦しみであり、幸福は何千もの不愉快な努力の代償としてしか買うことができず、氷でできたロープよりももろいのだから。

何?人間が絶え間なく不平を口にするあらゆる苦悩を根絶する力を持つ解決策が提示されているのに、あなたはそれを掴むことをためらい、そして拒否するのか?それならあなたはサドマゾヒストであるに違いない。あなたは、私たちが存在と呼ぶこの虚しい苦しみに溺れるだけでなく、邪悪な崇拝者のように、そのような苦しみの存在を是認し、さらに、この存在とその苦しみを欲しない他者に、残酷にも、それを押し付ける権利を主張するのだ!

あなたは繁殖を望んでいるが、本当にメリットはあるのだろうか?あなたを導いているのは魂の気高さなのか、それとも単なる矮小な利己主義なのか?

偽る必要はない。子どもというのは親からの親自身への贈り物である。

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